下剋上ヒーローの影響
二学期に入った九月、昼休みに漫画を見せた時のことだった。
その日見せた漫画の内容は、それまで裕福で恵まれた大星の人間に対して反発していたユウキが、大星にも色々な事情の人間がいることを知り、葛藤していく回だった。
その日の竜来は、いつも以上に真剣に漫画を読んでいた。緊張感漂う空気にドキドキしながら感想を待っていると、読み終わった竜来は静かに口を開いた。
「このウィリーっていう金持ちの奴も……辛かったんだな」
ウィリーはユウキが初の大星での任務で助けた少年だ。ウィリーは一年前に親友を亡くしたのだが、その苦しみを誰とも上手く共有できなかった彼は、日々元気に振る舞っていた。そんな中、親友と会わせてやるという悪の組織の甘言に乗せられ、騙せれてしまう。ユウキは組織に捕まったウィリーを助ける中でウィリーの孤独を知り、自分が目の敵にしていた大星の人達も同じ人間なんだと気付き葛藤し始める。
「オレも、カッコつけてるクラスの連中がずっとズルくて気に入らなかった。でも、あいつらもあいつらなりに、色々あるのかな……」
「えっ何? 改心したの?」
「かいしんって何か分からんけど、馬鹿にしてるだろ?」
竜来の言葉を聞いた俺がずっとニヤニヤしてるので、馬鹿にしてると思われたらしい。いや、確かに少し冷やかしたが、それは照れ隠しだった。
俺は、自分の描いた漫画で人の心が動いたのが正直とてつもなく嬉しかった。それはもう嬉しくて、その日は終わりの会までニヤニヤして竜来を怖がらせた。
終わりの会も終わって帰ろうとした時、俺は竜来に呼び止められた。
「なあ、今日どっか寄り道しねえ?」
せっかくの誘いだったが、その日の俺には大事な予定があった。
「今日のゆずん家のおやつはママの手作りマカロンなのだ。よって速攻で帰らねばならない」
俺の返事を聞いた竜来は、暗い顔になった。
「そうか……あんまり家に帰りたくないんだけどな」
俺はお母さんと喧嘩でもしたのかなと思った。「じゃあ」と俺が提案を持ちかける。
「ゆずの家に来いよ! 持て成してやる! ママが!」
俺の提案に竜来は驚いた顔をして、珍しくしおらしい声を出した。
「いいの…………?」
「当たり前だろ、友達じゃん!」
それを聞いた竜来は、ぱあっと明るくなって、喜んで着いて来た。
「柚子ちゃんおかえりなさい! ……あら、お友達?」
家に帰るとお袋が玄関まで出迎えに来た。竜来はキョロキョロと、珍しいものを見るように俺の家の中を見ていた。
俺は竜来をお袋に紹介する。
「そう! 友達のりゅうきだ! 自慢のマカロンを食べさせに来た!」
お袋は竜来の方を見つめ、優しく微笑んだ。
「あなたが竜来くん! はじめまして、いつも柚子と仲良くしてくれてありがとうね」
「は…………はじめまして……」
竜来はいつもの威勢はなく、しどろもどろの返事をした。
というか、竜来は大人全体に対して割とこういう態度だった。まるで怖がっているような。俺は当時それが不思議で仕方なかった。だって大人は、いつも守ってくれるから。
お袋に続いて廊下を歩いていると、竜来がこそこそ話しかけてきた。
「なんかお前の母さんすんごい優しいな。天使みたいだ。すごいな」
「そうか? すごいって何が?」
「でもあれか。うちの母さんもなんかよく分からないスイッチ入らなきゃ優しいしな。急にブチギレて物壊したりする時はあるんだろ?」
「なにそれ怖っ! そんな大人いるわけんないじゃん!」
「え……?」
そうこう喋っているうちに、リビングに着いた。竜来は何故か廊下の端で立ち尽くしていた。
「おーい、なに突っ立ってるんだよ! 早く入って!」
「あ、おう……」
竜来を連れてリビングのソファに腰掛ける。机の上には色とりどりのマカロンが、大皿の上に綺麗に並べられていた。
「遠慮なくたくさん食べてね、竜来くん」
お袋の言葉を聞いた竜来は、目をまん丸にした。
「これ、食べ物なのかっ!?!?!?」
あまりに驚いたのか大声が出た。「ごめんなさい」と小さく呟く竜来に、お袋がふふっと微笑む。
「マカロン、初めて見たのね。甘くて美味しいわよ」
お袋に笑われた竜来は、ホッとした表情をしてヘラっと笑った。そして恐る恐るマカロンに手を伸ばす。
「う……うめえ。こんなうまいもん……初めて食べた……」
マカロンを口にして感動する竜来に、「大げさだなあ」と言いながら、横で俺はバクバク食べていく。すると竜来がまたこそこそ話しかけてきた。
「これ手作りってマジかよ。お前の母さんって魔法使いかなんか?」
「いちいち大げさだなあ。確かにママのマカロンは世界一美味いけど」
竜来は感心しながら、またマカロンに手を伸ばし始める。ちなみに俺は、竜来が二つ目に手を付けるまでにもう五つ平らげていた。
「でもあれだな、手作りって久しぶりだ」
竜来が急にしみじみ語りだした。かなり味わって食べている。そのスピードじゃほとんど食べれないぞと思いながら、俺はバクバク食べ続ける。
「え、何で? 毎日ご飯食べるでしょ?」
「最近母さん不安定で…………父さんもいつも遅いから、カップ麺しか食ってなくてさ。なんかしゃっきん?ていうの父さんがいっぱい作ってるの分かってから、特に荒れてるんだよな……」
「借金のこと? なんかよく分かんない……」
俺がバクバク食べながら竜来の話を聞いていると、お袋が近づいてきた。
「こらっ柚子ちゃん! 竜来くんの分がなくなるでしょう? もう〜、せっかく来てくれたのに!」
「だ、だって〜、美味しいんだもん……」
俺はしょんぼりして、竜来に耳打ちする。
「怒られちゃった……」
「怒った…………? 今のが?」
「最後の一個、食べていい?」
「お前いつの間に……だめだ!」
竜来は俺の目の前から最後の一個のマカロンを奪っていった。
心底悲しそうな目をしている俺を尻目に、竜来は手に取ったマカロンをしばらく眺めていた。食わないなら寄こせと俺は思った。お袋が竜来に尋ねる。
「どうしたの?」
「……おばさん、これ持って帰っていい?」
お袋は「いいわよ」と言って食品用のポリ袋を持ってきた。帰ってから、ゆっくり食べるつもりか……俺はそう思って竜来を睨んだ。
「何だよ、いっぱい食ってただろ!? これはひめるにあげるんだよ」
そう言い放ち、竜来はマカロンをランドセルに仕舞いにいった。絶対自分が食べるつもりだ、俺はそう疑わなかった。
「遅くなったから、お家まで送っていきましょう。竜来くん、お母さんに連絡出来る?」
竜来はその後も俺の家で遊んで、時間は夕方の四時半になっていた。小学一年生が寄り道するには遅い時間だった。
「うん…………一応メッセージ送っとく」
お袋は車のキーを用意して「じゃあ行きましょ」と三人で車に乗った。
竜来の道案内で少し走ると、古びたアパートの前に着いた。
お袋が「遅くなったしご挨拶するわね」と車を降りると、竜来が慌てて静止した。
「ここで大丈夫! えっと、今、誰も居なくて……」
「そうだったの? じゃあ、お母さんお父さんによろしくね。今日は来てくれてありがとう」
お袋の言葉に、竜来は笑顔を見せた。そして少し名残り惜しそうな顔をして、もじもじしだした。
「また……行ってもいい?」
お袋と俺は、顔を見合わせてにっこりと笑う。
「もちろん! いつでもいらっしゃいね」
「いつでも来い‼」
お袋と俺の言葉を聞いた竜来は、見たことがないくらい嬉しそうな顔をした。そしてブンブン手を振って、古びたアパートの階段を駆け上がっていった。
だが、竜来が俺の家に訪れることは二度と無かった。
帰りの車の中、お袋は俺に質問してきた。
「柚子ちゃん、竜来くんって最近大きな怪我したの?」
「え? してないと思うけど、何で?」
「包帯、いっぱいしてたでしょう…? 気になって…………」
竜来はよく包帯をしていたのだが、その日は特に包帯の量が多かった。まだ暑さの残る季節で半袖半パンだったので、それはかなり目立った。
「ああ、あれ? ヴィランの呪いだよ! 秘めたる力を封印してるんだって」
「ヴィランって……ヒロヴィラの?」
「そう! だから怪我じゃないよ。ぶっちゃけ設定だから! あいつ、だいぶ変なヤツだから!」
「そんな言い方してはいけません」
また怒られてしょんぼりした俺は、ふと、今日の包帯の巻き方は雑だったなと思い出した。それに何か傷……みたいなものが見えていたような。
後ろで大人しく考えていると、お袋がぼそっと何か呟いた。
「きゆうだったらいいけど」
そう聞こえた。その言葉の意味は、まだ分からなかった。




