第三話 厄介な隣人
※注意※
この物語に登場する用語は、本来の使い方とは異なる場合がございます。
ですが敢えてそのような使い方をしている場合が多々ありますので、ご理解いただければ幸いです。
時は遡り海興王国 王都長港宮
太陽暦1304年6月終旬 呂登角
主様は執務室にて西の戦線より届いた報告を確認しておられた。
「今年も害虫駆除が終わったようであるな。しかし今年は随分と手ごわったらしい」
「はい。李将軍の奮闘と恵楽郡やその周辺領主の協力もあり、今年もどうにか乗り切ることが出来ました。ですがどうにも今回は随分と粘られてしまったようで。彼の地の領主ら曰く、兵糧に余裕があったのではないかと申しておりました」
私の報告に頷く主様。主様こと、高白麗様は長年続く隣国からの侵攻に頭を悩ませておいでである。
現状、建国当時から一切領地を奪われてはいないものの、隣国の燕国は再三にわたって恵楽郡に対しての侵攻を繰り返してきている。それは私が海興王国で御役目を頂いていた頃より続くものであった。
こうも侵攻を繰り返してくる燕国の狙いは2つ。
1つは海興王国西部にある広大な穀倉地帯を押さえること。そしてもう1つは穀倉地帯の南の地にて発展している洛洋の巨大港を奪取すること。そういった理由で燕国は北を山地に東以外を森林と海に囲まれており、唯一平坦な地で繋がっている西の海興王国領恵楽郡の地が喉から手が出るほどに欲しいのだ。
海興王国と燕国が領地を接してはや14年。両国の国境は建国以来大西将軍である李雲玉将軍が守ってくださってはいるものの…。
もはやこれが何度目なのかと数えるのも煩わしいと思ってしまうほどの侵攻の繰り返しに、主様も、他海興王国の人間の大半がうんざりしておられる。そろそろ何かしら有効な手を打ちたいところではあるが、逆に燕国に攻め込むとなるとこちらに利点が少なすぎるという問題もあった。
国境の北泉川を越えた先にあるのは、恵楽から一転して荒れ果てた大地であるゆえに。
「…損得度外視にしていっそのこと燕国領に攻め込んでやろうか」
主様の口より非常に物騒な言葉が聞こえた。そういった考えに至るのは理解できるものの、その発言をとある一部の者たちに聞かれでもすれば一大事。
私は恐れ多くも主様に自重していただくようにと口を開く。
「しかしながら主様。主様があの地を得たとしても得られるものは微々たるものかと」
「分かっている。しかし守るに徹しているゆえに奴らは何度も何度も攻め寄せてくるのではないか?それに雲玉の爺様をいつまでもあの地に縛り付けておくわけにもいかぬ」
苛立っておられる。主様は机を強く一度、二度と叩き、そして整えられた髪に触れて無造作にかきむしられた。
ここ数年は燕国の侵攻と撃退の報告を受けるたびにこの調子。私を除く側近らは誰も困って報告書を届けようともしない。決まって私のもとへと届けられるのである。その者たちとは違って、私は無官の役人であるというのに。
「そういえばそろそろ宰相様がお戻りになられるのではございませんか?」
気を紛らわせるための露骨な話題転換。主様もそんなことは見抜いておられるであろうが、気分転換も兼ねてか何も言わずに乗ってこられた。とりあえずはこれ以上悪くしないようにと、十分に発言に気を付けながら私は言葉を続ける。
「予定通りであれば四日後の夕暮れ前には王宮に到着されるかと」
「夕暮れ前か」
主様はしばらく外を眺められ、そして小さく息を吐かれた。何か言われるのではないかと緊張する私を他所に、主様はおもむろに立ち上がり簡易の寝台へと腰を掛けられる。
「ならば報告書をまとめるまで猶予があるということ。すまぬが少しばかり1人にしてくれるか。連日の燕の報告と内政諸問題の解決で少々寝不足のようである」
「はっ。では夕餉時になる頃にまたこちらに寄らせていただきます」
「そうしてくれ」
私は頭を下げて部屋を出ていく。
あのようになられた主様を途中で起こすことは誰であっても許されることではない。たとえ一ノ妃である朱妃様であっても。部屋の外を守る護衛の者たちに主様がお休みであること夕餉時までは何人たりとも部屋に入れないようにと伝える。
この話を聞いた2人の護衛たちは緊張の面持ちで頷き、より一層厳しい表情でこの扉を守ると宣言していた。
安心した私は主様が用意してくださった私専用の執務部屋へと戻る。無官である私には勿体ない話ではあるが、主様がそれを認めてくださったのだ。
その道中、よく知った疲れた顔が私と向き合う形で足を止める。何か用があるのかと顔を上げると、その者は両手に何やら大量の紙の束を抱えていた。
「これは父上。主様のもとから戻られる道中でございましたか?」
「伏龍であったか。今から主様に報告に上がるのであろうかな」
「はい。燕国撃退に加え、もうじき始まる麦の収穫と納税集積の報告が物産省ほか、関連省庁より届いておりますので。主様には1度目を通していただかなければなりません」
よく見ると背後には多数の尚書令付きの部下を連れていた。この者、我が倅の呂伏龍と申す者であり、国家における主要三役の内の1つである尚書令の長を主様より賜っている。前任の長は私で、私が辞すると同時に伏龍が賜ったのだ。同時に私は無官となり、色々と検討されたが全てお断りしたうえでお傍に仕えることが認められている。自分で言うのもなんであるが、主様のお傍に無官の人間が仕えることは異例中の異例。私が唯一の存在であった。
「しかし時が悪い」
「時、でございますか?もしやお忙しくされているので?」
「いや。ちょうど今しがたお休みに入られた。夕餉時までは誰も部屋に入れるなとのことである」
「それは…。なんとも時が悪うございました。此度の報告の中には急ぎの案件も報告も含まれており、早急に担当部署からの返答を求められていたのでございますが」
ちなみにの話ではあるが、国家における主要三役の内一つが尚書令であると申したが、あとの二つは内政官の長である宰相、軍部の長である大将軍である。それらは二つは互いに干渉することなく、国家のために働くことが求められており、それぞれが多数の部下を抱えている。
陸宰相に関しては主要省庁の人事において唯一の女でありながら、多くの官僚や役人を震え上がらせる。かくいうこの伏龍も元は陸宰相の弟子であり、随分と良いように使われた1人でもあった。
「事情を説明すれば返答を待つ担当の者も理解するであろう。良かったではないか。返答を待っているのが宰相様でなくて」
「…それはたしかに」
やや声が震えているのは、その仮定を咄嗟に想像してしまったからか。
背後の部下たちも震えあがってしまっている。
しかしそれは仕方がないものであった。尚書令とは本来の役目とは別に他二役と主様の調整役のような役割を与えられているゆえに。私も当時はなかなかに苦労したものよ。
「正直に言っても地獄、誤魔化しても地獄。しかし私はあの女と深く関わらぬと決めているからな。いざという時が来ても、残念ながら私では力になってやれそうもない」
「…そう、ですか。では今はまだ返答いただけない旨を伝えに行ってまいります」
明らかに気分が落ち込んでいる背中と、仮の話に引っ張られ過ぎて頭が落ちている。気が重くて仕方が無いのであろうな。我が倅ながらなんとも哀れな姿である。
とにもかくにも宰相様がお戻りされた際の支度を進めるとしよう。いくら関わりたくないとは言っても、無官の私は様々な雑もこなす必要があるゆえに。それがあの宰相様の出迎えであったとしても、当然のように動かねばならない。
顔だけは直接会わせぬようにしなければ。細心の注意を払うとしようか。
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