プロローグ
ある話がオクタビロ領の住人達の間で噂になっていた。
領主の住む屋敷に勇者が訪れるらしい。
夕焼けに沈む街中に赤ワインの買出しに来た私は、何処か浮足立った住人達にうんざりしていた。
「そのワインを三本お願いします」
店主からワインを受け取り、金貨を何枚か渡す。
……酒のストックはまだあったはずなのに。屋敷の酒がすぐになくなるのは彼……ディックが客人用の酒を勝手に呑むせいだ。
「勇者が来るって本当かい?」
…この店に来るまで何度も聞かれた質問を店主にも、同じように訪ねられた。普段は寡黙な店主だったが、今日ばかりはそうも行かないようだ。
「そのようですよ」
適当に返し、楚々草と店を去る。冷静に振る舞っているが、正直気が気じゃない。ふとした瞬間に、あの手紙のことが思い浮かぶのだ。
佐倉くんには借りがある。この世界に、強力なスキルを持って召喚された私達。その中で私だけ、何のスキルも持っていなかった。
そんな私を見放さなかったのは、彼と日比谷くんだけだった。そして彼は、思えばどんな状況でも、私を助けようと動いていた。正義感が強く、孤独で。よくわからない行動は、いつも何かを守る為に動いていた。
人知れず無茶をして、ダンジョンで死にそうになった。ギルバートさんがあの場に居なかったら、彼はそこで死んでいただろう。
多額の負債のせいでこき使われることも、彼への恩返しだと思えば耐えられた。
佐倉くんが死んだなんてこと、信じたくなかった。彼が死んだのなら、私は一体。なんのために。
いつの間にか、屋敷に辿り着いていた。メイドは裏口から入るのに、間違えて正門の方に来てしまった。もう日は暮れて、夜空には星が輝いている。裏口に行かないと。少し遠回りになってしまったな。
門番が私の方に軽く会釈をして、正門を開けた。一瞬、彼の行動に疑問を抱いたが門の前に馬車が止まったことによって納得した。
見た所それは、貴族が乗るものと比べても見劣りがない程立派な馬車だった。今日の客人は彼だけ。つまりこの馬車は……目線を馬車の扉に移した。
扉が開き、美しいメイドの女性がストンと地に立った。彼女には見覚えがあった。すぐさま、記憶を手繰り寄せる。確か、彼女は佐倉くんについていたメイドの……ルイザさん。でも、彼女がなぜ馬車に乗っているのか。
そう考えているうちに、馬車に乗っていたもう一人も降りてきた。
「…日比谷くん?」
馬車から出てきたのは、記憶通りの顔をした日比谷くん。しかし、私は彼が本当にあの日比谷くんなのかを疑っていた。
それほど、前にあったときとは彼の身に纏う雰囲気が似ても似つかなかった。彼は、私を見て顔を少し強張らせると、静かに笑みを浮かべた。
「渡辺さん。久し振り」
その笑みは紛れもなく、日比谷くんだった。
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国民たちに勇者と讃えられるようになってからは、領主の屋敷に招かれるようになった。大抵、乗り気にはならなかったがオクタビロ領ではそうも行ってられなかった。あの屋敷には彼女がいるのだから。
渡辺美織。彼女はクラスメイトの中で唯一能力を持っていなかった。絶望する彼女を蔑む視線の中。佐倉くんだけは何かを憂いでいた。
いつしか、渡辺さんは彼に守られていた。それは、僕が彼に頼みに行く前からだったのかもしれない。渡辺さんは彼を信用していた。
彼女には、彼の死を知らせなくてはならない。僕はずっと、伝えることを避けてきた。今回オクタビロ領に来たのは一年半越しにやっと彼女に伝える決心がついたからでもあった。
あったのだが……まさか、馬車に降りた途端に遭遇するとは思わなかった。どんな顔をしたらいいのかわからない。
長袖のメイド服を着た彼女。怪我をしたのか頬にはガーゼが貼ってある。随分と印象が変わったように見えた。彼女も彼女で驚いた表情をしている。きっと僕も同じような顔をしているのだろうな。そう考えると強張った顔が少しだけ緩んだ。
「渡辺さん。久しぶり」
彼女は困ったように横に視線を逃がすと、素早くお辞儀をして、何処かに行ってしまった。呆然とする僕。
「……えっ、ちょっと待って! 」
一拍遅れて、反応した僕だったが、その時には彼女はかなり遠くにいってしまった。
「……コタロウ様、行きましょう」
腕を引くルイザ。心配気な表情で僕を見つめていた。予想外な出来事に固まってしまっていたが、彼女を見ると少しだけ落ち着いた。
「そうだね」
元々、ここに泊めてくれるという話だった。渡辺さんに会って話す機会はいくらでもあるだろう。
僕は屋敷の門に入って歩き出した。




