思い出はそのままにしておくほうが綺麗だと思う 後篇
後悔先に立たず。
そんなことわざがぽんと頭に思い浮かぶほど、私は今激しく後悔している。
何に後悔しているかといえば、あのホームセンターでの影虎の勢いにのまれ、思わず首を縦に振ってしまった自分に、だ。
嗚呼、どうしてあの時、影虎の意味不明な言葉に呆れるだけで済まなかったのか。あの後呆然としている私を横目にペットフードをカートに入れつつ私の鞄を奪い取り、さっさとレジまで強行して、気がつけば家の前という瞬間移動の不可思議さ。「お邪魔します」と礼儀正しく家に上がってきたけれど、誰も影虎なんぞ招いていない。私、たしか他にも買い物あるっていったよね?と思い出したのは家のリビングにあるゲージから我が家のアイドル、うさぎのしーちゃんを壊れ物のように抱き上げて悦に浸っている影虎のそばにあるテーブルにジュースをことんと置いたときだった。
「いいなあ、いいなあ、お前ん家。こんなに可愛いうさぎがいるんだもんなあ」
「はあ」
「なあなあ、この子の名前はなんていうんだ?」
「……シナモン。しーちゃんって呼んでるけど」
「しーちゃんかあ。えーっと、お前は男の子?」
いやいやいやいや、なぜにひっくり返してお股をみる!?
「わかんないなー。女の子かなあ。なあなあ、どっちなんだよ? 教えろよ」
「男の子だよ」
「そっかあ。男の子かあ」
なぜにため息をつくのかよくわからないが、しばらくすると気を取り直したのか、しーちゃんを胡坐の上に仰向かせ、真っ白なもふもふのお腹をわしゃわしゃしだした。
妙に手つきが慣れているからてっきりうさぎを飼っているんだとばかり思っていたけど、そうじゃないことを知ったのはこの後だ。
「俺ん家じゃ、絶対飼ってもらえねえもん。大型犬なら許してくれるんだろうけどさ。うさぎは……駄目なんだ」
あほぼけかすなんきんかぼちゃ。
なんでどうしてこうなった?
原因はわかってるけど決して認めたくない。
あの時の私はきっとどうかしていたに決まってる。
リビングの片隅で胡坐をかいて大きな体を丸めていた影虎の、愛兎をわしわしと愛でる後ろ姿がとてつもなく寂しそうだったからかもしれない。哀愁なんて漂いまくりだ。ラ○ウ様にも匹敵する覇気はどこぞに消えた?目の前にいるのは小学校の頃は私の前を走り続けて追いつくどころか追いかけることもできなかったヒーローだ。カリスマ様だ。決してもうすぐリストラされるだろう恐怖をその体いっぱいに感じ取って窓際で打ち萎れているサラリーマン・仮(若干16歳)ではないはずだ。
たしかに私が知っている限り影虎の家ではうさぎは飼わせてもらえないだろう。
影虎の家はご近所どころか地域では有名な格闘家で、子供会の運動系の行事には必ず両親揃って参加するし指導もしてくれた。母親なんてきっぱりはっきりした物言いであっけらからんとして大雑把な、いわゆる肝っ玉母さんと呼ばれる部類の人なんだなあとか思っていたけれど、運動音痴の私にあきれることなく付き合ってくれてちょっとしかない良いところをほめてくれた優しい人だ。父親は格闘家なだけあって精悍な顔つきで無駄口を叩かずじっと私たちの行動を見ているような人だった。もちろん指導が必要な時はビシッと口をはさんだけど。あの二人だったらきっと影虎が言うようにうさぎは飼おうと思わないだろう。格闘家の家のイメージにうさぎはない。動物を飼うならドーベルマンとか、ピンシャーかな。どちらにしても毛足が短くて背筋ぴしっとした感じの動物がイメージだ。影虎の希望はきっと叶うことはない。
妙に背景を知っているのもよくないな。
だからきっとほだされてしまったんだ、きっとそうだ。
気がついたら項垂れている影虎に声をかけ赤外線でアドレス交換なんてしてしまったから最後、気がついたら履歴にあるのは影虎の名前ばかり。
家に来初めのころは「急に訪ねてくるようになったけれどどうしたの?まあ、江麻の彼氏とは思ってないけど」といらん突っ込みを交えつつ驚いていた母も、もともと我が母上様の覚えめでたき御仁であった影虎だったから我が家に入り浸るようになろうが歓迎こそされすれ決して嫌がられることなどない。それどころか県内上位校に通学する素晴らしい頭脳をちょっと披露してもらって底辺な成績を上げてみれば?などとやぶ蛇が数匹やってくるようにもなった。もともとの出来がちがうって。ついでに言うならあなたの娘に何をきたいしているの? 遺伝子には逆らえないっての。
影虎は嬉々としてやってくる。
お土産なんて満載だ。一週間もかからずにしーちゃんの好みを理解すると、ちゃんと私に断わってからドライフルーツをあげるようになって、それが高じて自分でも買ってくるようになったからだ。なんでもいろいろ試してもっと好きなものをあげてみたいんだと。どんだけしーちゃんが好きなんだ。その追求心を他に向けたらいいと思う。
その副産物というかなんというか、しーちゃんは影虎がやってくると木片を加えて駆け回るようになった。構ってほしいの合図だよ……しーちゃんも懐きすぎだよ。
我が家のリビングはこうして影虎としーちゃんの愛の巣となった。しーちゃん、オスだけどね!
さてさてそんな日常が当たり前のようになってきた頃、ふっと私は我に返った。
―――――そういや影虎って、小学校の頃はそんなに動物が好きじゃなかったような……?
ドッヂボールの練習をしていた時に迷い猫がやってきて、ボールを投げていた手を止めてみんなで猫を囲んでいても影虎だけは近くに寄ってこなかったし、私が学校の飼育小屋で掃除をしているときにたまたま横の渡廊下を通っていた影虎に声を掛けたら、こっちをちらっと見たくせにそそくさと逃げていった。……って、どっちかといえば嫌いだったんじゃないの?
最近すっかり主人を間違えている我が家の愛兎のはずのしーちゃんを胡坐の上に乗せ、ふにゃっとへなったしまりのない顔でしーちゃんを見下ろしている影虎に疑問をぶつけた。
「ねえねえ、影虎っていったいいつからうさぎが好きになったの?」
かなり広めの飼育小屋にはセキセイインコと文鳥とうさぎがいた。
ある時、飼育当番で小屋に行くとうさぎの赤ちゃんが生まれていた。皆は小さな小さな生き物にくぎ付けで、里親募集のポスターにあれよあれよという間に赤ちゃんたちは引き取られていった。赤ちゃんうさぎがいる間は赤ちゃんうさぎ目当てに皆がやってきて賑やかだった飼育小屋も、すべての赤ちゃんが引き取られた後は興味を失ったのか誰も来なくなった。ところがうさぎの繁殖期は年中だったらしく、しばらくするとまた赤ちゃんが生まれていた。赤ちゃん熱、再来か?と思ったけれど、流石に今度は前ほどの人気もなく引き取り手ももういない。慌てたのは先生だ。こう何度も赤ちゃんが生まれてくると、貰い手もだんだんと少なくなっていってなかなか里親が決まらない。ポスターを貼って三か月たっても引き取り手が決まらない子がでてきた。
うちのしーちゃんは学校の無計画な繁殖で増えすぎた、最後まで引き取り手のいなかった赤ちゃんうさぎだった。
この後、赤ちゃんが生まれることはなかったのできっと先生がどうにかしたんだろうなあとは思ったけれど、どうしてもうちょっと前に対策しなかったのかなと呆れたのは内緒だ。
そんな突発的な出来事を除いて、飼育小屋には常時4匹のうさぎがいた。鳥も10羽はいたと思う。一見して弱者の動物ばかりだから動物が苦手な子たちも檻の外からだったらテレビを見ているような感覚で見ていることが出来ていたようだった。情緒教育って大切。
……ああ、だからだ。影虎の走り去る後姿にとてつもない違和感を感じたのは。
動物が苦手な子ですら金網越しで見ることができていたというのに、いつもは堂々として何事にも前向きで怖れる者など何もないという態な影虎の、苦手を知られた恥ずかしさからか赤くなった顔で小屋の前から逃げていった姿があまりにも似つかわしくなかったのだ。
私のヒーローだった影虎の唯一だろう弱点を思わず知ってしまったことに、何とも言えない気持ちを抱いてしまったことが記憶に焼き付いてしまった。
でもまあ、いつの間にやら克服してホームセンターに入り浸るようになってんだから、人ってものは本当に不思議に満ちていると思う。
「……から、だ」
「え?なんて?」
昔を思い出していたせいか、影虎のつぶやきに反応が遅れた。
胡坐の上のしーちゃんは最近太ってきた体を押しつぶされた饅頭さながらに身体をぺったんとさせて至極満足そうに眼を閉じている。そんなに影虎の撫でる手が好きなのか。好きなんだろうなあ、影虎がいるときは絶対私の傍にこないもん。誰がご主人様だっていうの。
「……うさぎが好きだから」
「うんそうだね、それは否定しない……っていうか好き過ぎでしょうが」
だからどうしてうさぎが好きになったんだって聞いてるのに。誰も影虎のうさぎ好きを疑ったりはしないよ。
でもちょっと悔しいから、しーちゃんにご主人様は誰か思い出させてみようと影虎の傍に腰を下ろして耳の生え際を撫でてみた。
びくんと動いたのは気持ちよさそうに目を閉じたままのしーちゃんではなく、その下の胡坐をかいている本人であるところの影虎だった。
驚いて顔を上げると、そこには真っ赤になって口をぱくぱくとしている影虎の姿。金魚か。
「ねえ。しーちゃん、抱っこしたいんだけど」
「おっ……おう」
返事はすれどぴくとも動かず。
影虎は石像のように固まったまま動いてくれない。
仕方がないので手を差し入れてしーちゃんを抱き上げると、途端にむずがって抱き上げた手から逃げ出したしーちゃん。そしてそのまま影虎の胡坐の上にもどるとはどういう了見だ。私が可哀想すぎるだろ。最近のしーちゃんは本当につれない。すっかり私の立ち位置を影虎に奪われたような感じがする。
いいなあ、いいなあ、影虎は。
どこかで聞いたようなセリフが頭の中をかすめてしまったが、まさかそれを呟いているとは思わなかった。
「なにいってんだよ。お前の方が羨ましいよ」
ため息交じりにそういうと、影虎はギギギと錆びれた音がきこえそうなほどぎこちない動きで手を上げて私の肩の上にぽんと置いた。
私の記憶が正しければ、子供のころから通じて影虎に触れられたのは初めてだと思う。
私はこう見えても人と触れ合うことを嫌う。
なんでそうなったのかはわからないけれど、友達同士で手を繋ぐのも、肩を抱き合うのも、ましてやハグとか絶対無理で、気の置けない友達はそれを知っているから無理強いはしないけれど、そうでない人から急に障れると拒否反応を起こすのだ。人とふれあいが少ない分、動物さんたちとは仲良くしたいと思っているから、しーちゃんのつれなさにちょっと涙がちょちょぎれるのだけれど。
だけど不思議なことに影虎に手を置かれても嫌じゃなかった。
いつもなら無意識に手を払うくらいするのに、驚きはしたものの嫌じゃなかった。
「……俺はお前が羨ましかったよ。飼育小屋で幸せそうに笑っていたお前が。さっき、いつからうさぎが好きになったんだって聞いてきたけど、俺がうさぎ好きになったのはお前のおかげなんだ」
「え、私なかしたっけ?」
「した。いや違うな……たぶんしてない。けど、俺にしてみたらしたことになるな」
なんじゃそれ。思わず首を影虎の言葉の先をみようとした。
「小学校の時にさ、うさぎの赤ん坊の里親募集ってのがあっただろ? あの時最後まで貰われていかなかったうさぎを飼育委員のお前が引き取った。お前は知らないだろうけど、丁度その時俺は飼育小屋の前を通りかかった時に見たんだ。赤ん坊のうさぎを大事そうに抱き上げて頬ずりしていたお前を。最後の一匹を貰ってくれてありがとうと先生にお礼をいわれてたけど、私のほうこそこの子が家に来てくれて嬉しいですっていってた。最後の子の貰い手が現れないんだよ、だから家で飼ってもいいでしょうって親を説得しやすかったですって笑ってた」
そんなこと言ったっけ……言ったな。
今ではすっかりうさぎにメロメロなうちの家族だけれど、初めは動物を飼うことを反対されてたから、交渉材料として誰にももらわれない子なんだよって情に訴えやすかったんだよね。功を奏してうちに迎えられたときはよっしゃとガッツポーズだったなあ。
「誰だ、こいつ。本当に江麻かって思った。子供会のときにはしかめっ面しか見せないくせに、たかだかうさぎを飼うことがそんなにうれしいのかって思った。小さなうさぎ一匹がしかめっ面の江麻を笑顔に変えるんだ。……それまで別段動物なんて好きでもなんでもなかったけど、あの時からうさぎが好きになった。だから俺がうさぎ好きなのは、江麻のおかげ」
ちょっとまて。
しかめっ面って何。
そして今の話でどこに赤くなる要素がある?
……って、肩が地味に痛い。ちょっと力が入りすぎじゃないですかね?
「影虎。手、どけて」
「手? 何でどける必要があるんだ? お前ぜんぜんわかってない」
「何が、」
「なあ、ちゃんと聞いてた? お前が聞いてきたから答えたのに」
ぶんぶんと頭を振って肯定してるのに、影虎は盛大にため息をついた。なぜだ。
「お前相手だと自信がなくなる。ライフポイントががりがり削られていく音が聞こえそうだ」
「意味、わかんない」
「わかんなくてもいいから、わかれ」
「なにそれ無謀」
「無謀でもなんでもいいから、」
肩に置かれた手がすっと離れていく。
けれどそれもあっという間、その手は私の肩に回されてしっかりと抱きしめられてしまった。
わたわたしても仕方がないと思う。
こんな至近距離、どうしたらいいのかわからない。
さっきまで手を置いていたはずの私の肩に今度は顎を載せた影虎の息が髪にかかる。
「か、影……虎?」
「俺のことを好きになって。うさぎに見せる優しさを、俺にも見せて」
俺は、お前が好きだ。
消えそうなほどの小さな声は、しっかりと私の耳に入り込んだ。
題名詐欺?いえいえ、この後の小話で挽回です。




