第四楽章―1:陰る
午後7時40分。
ネコリーノは大学を疾走、と思いきやふよふよと浮遊しながら電脳ルームへと向かっていた。
隣を並走する庄司龍一郎は、ため息混じりに改めて訊ねた。
「その被り物の経緯は?」
「ウサリーナのお友達だニャン!アルニカ星からやってきたのニャ」
「恥ずかしくねぇのか、高校生だよな」
すると酷い低音がボソリと落ちてきた。
「うっさい黙ってろ二丁銃」
恥ずかしいのか。と暗黙の中で理解した。
ネコリーノは警備員の武器を根こそぎ奪っていき、それでも向かってくる者は庄司に蹴り飛ばしてもらった。
か弱いネコなのニャン。
一際警戒されていた電脳ルームに辿り着くと、リクライニング式の接続ブースが並んでいた。
奥にはベッド式もあり、一つだけ稼動している所に着くと、黒いゴーグル機器を付ける鼎梗香がいた。
モニターにはアルニカと戦闘している様が映っており、ネコリーノは素早く準備を始めた。
「許容量を元には戻せない、でもセーブさせる事はできる。要は携帯のエコモードだな」
「節電して電池を保たせる、と」
「その間に充電器を作る」
「充電器だと?」
ネコリーノは鼎へのアクセスを始めると、ちらと振り返った。
「あんたの研究所に忍び込まなくて済むと良いんだけどニャン♪制御装置で常に待機電力が回る様にしておけば、能力は枯渇せずセーブもできるニャン!」
この語尾ニャンは必要なのだろうか?と庄司は問うのを堪えた。
「但し、これは電脳での話ニャン。だから現実世界では暴発しないように制御装置を別に作らなきゃならないニャン」
「俺がそれを作って来りゃ良いのか?」
「作ってくれるニャン?」
「…何とかする」
「あっそ……」
ネコリーノはふと黙り込むと、鼎へのクラッキングを止めずに考え込んだ。
やがて、周囲を警戒する庄司に声をかけた。
「あの」
「あ?何だ、終わったのか?」
「いや、その。……制御装置、お願いね」
人にものを頼むって難しいな。
そう思いながら、いつも自分にものを頼みまくる美咲を羨ましく思った。
アルニカは画面の向こう側で自作ツールへの変換に成功していた。
ネコリーノは鼎の能力をパラメータにしたページに辿り着くと、素早く上限を変えていった。
「よし、よし!アルニ」
その時、稲光が電脳を襲った。
画面の眩さに目を瞑り、嫌な予感に声が自然と震えた。
庄司も画面から目を離すことができず、彼女の名を呟く。
「アルニカ?」
「何、今の。アルニカ!聞こえる?!返事しろ!」
電脳結晶が煙る中、瓦礫の下敷きになったアルニカが映し出された。
見えているのは鼎から見た視界のため、俄にしか把握できない。
鼎の視界も霞んでおり、すぐに画面は真っ暗になった。
その僅かに見えたのは、アルニカの伸ばす手の先に、軽傷で倒れるウィステリア。
ネコリーノは選択した。
大きく息を吸い、キーボードでの作業を続けた。
「?!」
「アルニカなら同じ事する!」
「でも」
「うっさい!!」
ネコリーノはアルニカに向けて声を飛ばした。
* *
「すぐ行く!信じるから、あんたも信じて待ってろ!」
そう言う声が聞こえた。
アルニカは息苦しさを堪えて弱々しく返した。
「…ありがとう、信じるわ」
アルニカは転げていってしまったオルゴールに手を伸ばした。
鳴らすことができれば、ログアウトができる。
ボロボロになった鼎がログアウトする様を見て安心すると、気絶してしまったウィステリアを呼んだ。
目立った怪我は無いらしく、アルニカは安堵の息を漏らした。
うっすらと目を開けたウィステリアは、状況の違和感に顔を歪ませた。
目の前のアルニカに対し、自分は彼女に押し出された位置にいる。
まさか、と彼女を見ると、元気そうに手を振ってきた。
「ウィズ、オルゴール取ってくれないかしら?ちょっと手が届かなくて」
「馬鹿じゃないの?!何笑ってんのよ!」
ウィステリアは慌ててアルニカに駆け寄り、電脳結晶の瓦礫をどかしていった。
混乱しながらも、彼女は言いたかった事、そして聞かなければならない事を吐き出した。
アルニカにとっては忘れてほしい程の情報であり、三原則「アルニカの正体を言ってはならない」を破りかける事柄である。
「この嘘つき…!私の事も、祖母の事だって、実は知らないんでしょう?!何よ、生身って!母親ってどういう事よ!」
「…」
「生身なら……何であの日のままなのよ!生身なら、何で平気な顔してるのよ!」
「ごめんなさい、話せないわ」
「卑怯者!!話しなさいよ!!」
ウィステリアは泣き出してしまい、とうとう最後の瓦礫とともに座り込んだ。
「あなたは…何者なのよ」
「アルニカよ」
「あの時のアルニカじゃない!偽物じゃないの!」
アルニカは身震いした。
偽物、という言葉を初めて投げられたのである。
水の中に引きずり込まれたような、口から空気が出ていくような、感覚。
「そこまで」
二人の間にしなやかな黒猫が降り立った。
金色の瞳がウィステリアを睨みつけ、アルニカの前に立った。
「アルニカはアルニカだろ」
クロはオルゴールを咥えると、アルニカの手元に置き直した。
リン、と小さな音を残し、アルニカはログアウトした。
クロもログアウトしようとしたため、ウィステリアは慌てて呼び止めた。
睨む視線に竦んだが、訊ねた。
「…あの怪我、どうするのよ」
「あんたに関係ないだろ」
「あなたは、知ってて一緒にいるの?何で、あれは、誰なの?」
「話してはならない、原則なんで」
そう言い残してログアウトした空虚が滲んでいく。
ウィステリアの頭の中は混乱し、電脳世界が復旧しても立ち上がる事すらできなかった。
他の生徒会や警察が来てやっと、彼女は戸惑いを堪えて聴取に応じた。
しかし提出したアイコン記録の映像には、アルニカについて語られた部分は全て切り取られていた。
* *
午後7時58分。
重傷の美咲は大学正門の脇に放り出されていた。
サイレンが遠く聞こえる。
こちらに向かってくる。
逃げなければならないのは分かっているが、どうにも体が動かない。
電撃を受け、瓦礫の下敷きになり、骨が折れている事も理解できていなかった。
「美咲!!」
聞こえた声に顔を上げた。
どうしても伝えたい事があったのである。
駆けつけた襟澤が膝をついた途端、美咲は彼の肩を掴んだ。
「?!」
「あんたねぇ…マイクからビームが出るわけないでしょうが!!」
「それ今?!」
「でも衣装が超かわいかった!ぁぁぁありがとう!」
どう、いたしまして。と辿々しく返した襟澤は、兎にも角にも美咲をここから連れ出さなければならなかった。
鼎梗香はログアウト後、庄司に病院へと運んでもらった。
あとは美咲を合流させれば一息、という所なのだが歩けそうにない。
素早く背を向けた。
「とにかく病院行くぞ、あんたのお母さんが押さえてくれてるから」
「…すごい手際ね、さすが私の」
「もう!重傷なんだからさっさと乗る!!」
骨が折れているにも関わらず、走る襟澤は美咲の愚痴を延々と聞いた。
チュートリアルはいらないだの、ビームは出ないだの、と言っている内に彼女は眠ってしまった。
病院に着く前、美咲の寝言に足を止めた。
「……歌えない」
「…歌えるよ、待ってるから」
* *
午後8時32分。
非常電源によって稼働する病院のとある一室、鼎梗香は意識不明の重体となっていた。
最後に放った電撃によって能力がショートしたのである。
更に広域に渡って停電した花柳は大混乱に陥っていた。
病院もそれは同じで、事故にあった患者が次々と運ばれていた。
扉一枚向こう側を眺めながら、美咲歩遊は煙管をくるりくるりと回した。
「騒がしいもんだねぇ。で?その犯人がこの子なのかい?」
尋ねる先は鼎の横に腰掛ける庄司だった。
ぶつぶつと考察していた彼は、歩遊の声にふと顔を上げ、席を立った。
「はい、これから研究所に行って制御装置になる代替品を探しに行きます。このままでは能力尽きになります」
「あんたに出来る事なのかい?」
「はい、頼まれましたから。引き受けたからには必ず作ります、時間がかかるとは思いますが」
一朝一夕で出来上がるものではない、つまりしばらくの間は彼女をここに入院させなくてはならない。
しかし、その負担を一高校生が背負えるわけがない。
「……あの」
「安心しな、あたしが看ててやるから。ってもウチの野郎どもだけどね」
歩遊はにかっと笑い、庄司は深々と一礼した。
カバンを持ったため、娘を待たないのかと尋ねると、時間が惜しいと更に頭を下げられた。
「彼女をお願いします」
「あいよ、任せな」
庄司が病院を後にすると、暫くして入れ替わるように襟澤が入ってきた。
彼は既に見知っているため、歩遊は笑顔で出迎えた。
しかし、彼の表情を見て一変した。
「美咲が…」
「何があったんだい?」
「…今、手術中です。骨が折れてて」
顔を見ればすぐに分かる、彼は彼なりに急いだのだろう、息を切らしている。
思ったより重傷だったのだろう、血の気が引いている。
歩遊はすぐに他の者に部屋を任せ、手術室に向かった。
実際、自身も不安でいっぱいになった。
あの子はとても危なっかしい喧嘩娘だが、傷を作って帰ってくる度に心配した。
でも、手術するなんて初めてだった。
勘弁しておくれ、もう家族を失うなんて御免だ。
「…大丈夫さ、天下の美咲組の娘なんだから」
赤いランプが点く手術室を前に、二人は静かに待った。不安の中で「大丈夫だ」と暗示をかけながらひたすらに待った。
* *
午前0時57分。
目を覚ますと、傍らに義母がいた。
私に気付くなり、安堵に顔を歪ませた。
涙を両目いっぱいに溜めながら、私の名を呼んで抱きしめる。
この温もりは、久しぶりな気がした。
「……歩遊」
「この馬鹿娘!こんな大怪我して!あたしの心臓を考えておくれ!」
泣きじゃくる彼女は一つの組を束ねる長には見えなかった。
一人の娘を心配する母親、私のためにそうあろうと努力してくれてきた結果。
決して無理をしているのではなく、彼女もまたそれを生きる糧にした。
お互いに、ぽっかり空いた穴が大きすぎたから。
どうにか繕って、穴を埋めて、仮染めの親子になった。
いつから、仮染めでなくなる日を望んだのだろうか。
いつから、そんな事はどうでもいいくらいに家族になったろうか。
「良かったぁ…!」
「……ありがとう、お母様」
「もう喧嘩禁止!」
「それは無理かな」
ショックを受ける母親に微笑みかけると、辺りを見回して尋ねた。
「あの…襟澤はまだいる?きょん……鼎さんは?」
「おや?起きてすぐ男の話かい?大人んなっちまって!」
「違うわよ?!そうじゃなくて」
「冗談さね、呼んでくるよ」
私はふと思い出し、首を横に振った。
「呼ばなくていいわ。鼎さんの事だけ教えて」
「?その鼎って女の子なら、まだ目覚めてないよ。制御装置がなんたらかんたらで、作ってくるんだって」
「そう…ありがとう」
歩遊が部屋を出ると、急に静まり返った病室にウィステリアの言葉が響く。
【あの時のアルニカじゃない!】
【偽物じゃないの!】
偽物、という言葉が脳内をぐるぐると巡り、涙がこみ上げる。
跡を継いだ所で完璧なその人になれるわけではない。
助けた人々の記憶を受け継ぐ事なんてできない。
姿は同じ。でも中身は別人。
中身は偽物だ。
そう考えるうちに、私は口を開けながらも嗚咽を押し殺していた。
「違う、私は…継いだだけ…!正義のヒロインは、私じゃない!私、私は、アルニカじゃ」
「それ以上言ったら怒る」
顔を上げた。
ベッドの傍らには呼びたくなかった、私を見せたくなかった人がいる。
立っていたのは襟澤だった。