第6話 ドライバー曰く、ちゃんと凄い先生
禁域災害に巻き込まれながら生きていて、そのままよくわからない施設に呼び水だとか生贄だとか言われて軟禁され、どうしてか奇妙な男の手を借りて脱出したのに、今は全ての原因であろう化物が自分を追いかけてくる。
夢であれば、いや、たとえ夢だとしてもこんな景色を見ることはないだろう。想像にしたってファンタジーが過ぎる。
だというのに、車上に上半身を晒した誘拐犯から、目が離せないで居るのはどうしてだろう。
「大丈夫だよ、柚本さん」
「え?」
運転席から聞こえた声に顔を向ければ、ルームミラー越しにととさんと視線が合った。
「先生は色々だらしないし、基本的にちゃらんぽらんだけど、ホントはちゃんと凄いから」
「そ、そう、なの?」
多分、彼女は私を安心させようとして声をかけてくれたのだろう。
とはいえ、凄いと一纏めに言われた所で、想像もままならない私は、曖昧な返事をすることくらいしかできないのだが。
「けち火招来」
走行風にかき消されそうな声に、再び視線を頭上へ向ければ、いつの間にかボツさんの手には、自身の物であろう草履の片方が握られていた。
彼はまるで鼓を打つように、その裏をポンポンポンと3度叩く。
すると、窓の外がふいにぼんやり明るくなった。
「火の玉?」
3つ程現れた小さなそれらは、ボツさんの周り。つまりは猛然と走る車の周りを、風も受けていないような様子でフワフワと舞い遊ぶ。
かと思えば、彼が人差し指をつと白い化物へ向けた途端、それらは弾かれるように飛び出した。
対するは吹き荒ぶ白。紙吹雪のようにも見える何かに晒されながらも、小さな炎は消えることなく猛然と突き進み、やがて本体であろう人型へとぶつかった。
たちまち、轟と音を立てて巻き起こったのは、白を覆い尽くす赤々とした火柱である。
「すご……何これ」
「怪火の一種って奴でね。アレが見た目通りの紙切れであるなら、妖し炎で燃やしちまえば片も付くだろう、っつぅ単純明快な作戦なんですが」
渦を巻くような炎は、ただの紙を燃やすにしては大げさすぎる。少なくとも、普通の生物ならあっという間に黒焦げになってしまうだろう。
これは流石の化物にも効いたのか。追いかけてくる勢いが大きく緩んだように見えた。
しかし、それも一瞬のこと。赤々と周囲を照らしていた炎は、まるで何かに弾かれるように辺りへ飛び散って消えてしまう。
熱と光があったはずの中心では、ぐるりと大きく体を回す人形折り紙が、焦げの1つすら残さない純白の姿を晒しているではないか。
やはり化物と戦慄する私の隣で、ボツさんもポリポリと頬を掻いた。
「やーっぱびくともしねぇか。周りの塵芥が払えたのは僥倖だが、こっからどうしたもんかねぇ」
「っ……! さ、さっきエレベーターの前でやったみたいに、バチってできないの!?」
「ありゃあ盛大な猫だましですよ。それも前仕込みが前提の技なんで、気軽に連発できるもんでもなし」
「なら、もしかして今の状況は……」
私を攫った男の自然体からはそう思えなくとも、実は大ピンチなのではないだろうか、と。次第に大きくなる不安は、シートベルトを握る手に自然と力を籠らせる。
ただ、そんな私の気配を察してか、ボツさんはカラカラと笑ってみせた。
「ほほほ、そこまでビビりなさらんでも大丈夫ですよ。これでも一応、結界はきっちり張ってるし――っとぁ!?」
言うが早いか、パキィとガラスの割れるような音が響き、着流し男がのけぞりながらシートの上に落ちてくる。
見れば筒状に伸びた白い何かが、ボツさんの居たであろう車の真上を、払いのけるように通り過ぎていくではないか。
「うひぃ、こりゃあダメだわ。影ならまだしも、本体が相手に簡易法結界なんざ、濡れ紙もいいとこだねぇ」
「ちょっと先生!? 大丈夫ってなんだったの!?」
声を失っていた私の気持ちを代弁するかのようなととさんの叫びに、うんうんと頭を縦に振って同調する。この場合、同じ思いの人が居ることが、安心材料になるのかは甚だ疑問だが。
その上、最も危機感を持ってもらいたい相手は、どっこいしょと言って姿勢を正してもなお、ヘラリとした笑みを顔に貼り付けているのだからどうしようもない。
「まぁまぁ、ありゃ言霊だと思ってくださいな。俺だって、言った以上は叶える努力はしますから――ってな訳で」
「ア痛ぁっ!?」
ととさんの悲鳴と共に車が左右に振れる。
同時に窓ガラスを隔てたすぐ横へ、白い棒状の何かが降ってきて道路を砕き、飛び散る破片が車体をカンカンと鳴らした。
「も、もぉーっ! 毛が必要な時は先に断ってって、いつも言ってるじゃない!」
「緊急事態ですよ緊急事態。埋め合わせなら後でしますから」
強ばっている自分が少し馬鹿馬鹿しく思えた。なんだこの自然体は。
ボツさんの手に一筋銀に光って見えるのは、頭を擦りながら苦情を叫ぶ彼女の髪。
その行為自体にも疑問は尽きないのだが、しかし怪訝な目を向けた私はそれ以上に、己の目を疑わなければならなかった。
(今一瞬、ととさんの頭に、耳みたいな何かが見えたような……)
当然、ふわふわしていそうな銀紫の髪を改めて見返してみても、そんなものは見当たらない。
過度なストレスに晒され過ぎて、ついに自分の目がおかしくなりはじめたのだろうか。聞いたところで誰にも答えられないであろう質問を、頭の中で嚙み潰していれば、前のシートがギシリと鳴った。
「これでよし、と。んでは、もう1回試してみますかね」
「髪の毛なんかで、どうにかできるの?」
細い髪の1本を、この短時間で綺麗な蝶々結びにする器用さは凄いような気もするが、正直それが何かの役に立つとは思えない。
だが、そこは私の知らない世界。あるいは常識から大きく外れた、想像もできない部分の話なのだろう。ボツさんは再びうっそりとシートの上に立ち上がりながら、ニィと歯を見せて笑った。
「髪を馬鹿にしちゃいけませんぜ、お嬢やん。場合によっちゃ、命と等価で扱われるくらい重要なモンですから。特に、可憐なる白菫の御髪ともなればなおのこと」
「ちょ、ちょっと! 急に変な言い方、しないほしいんだけど……!」
ととさんの照れとも苦情ともつかない呟きは、きっと彼に届かなかったのだろう。
ボツさんは返事をしないまま、小さなマッチ箱を袂から取り出したかと思えば、その側面へ指に挟んだ蝶々結びの髪を軽く擦り付けた。
「仕切り直して参りましょう。雨露凌げ、葡萄の傘化け」
綺麗とはいえ、それは何の変哲もない毛髪。
しかし、まるで花火のようにパッと小さな光を放ったかと思えば、次の瞬間にはどういう仕掛けなのか、彼の手に赤みがかった紫の和傘が握られていた。
否、これが私の知る手品であれば、化物相手に何の役にも立たなかっただろう。
後ろの窓から見えた伸びる白。それは真っ直ぐボツさんを目掛けて一直線に迫り。
「ほぉいっ、とぉ!」
独特な掛け声と共に、着流し男が開かれた和傘を大きく振り回す。同時に、傘からしたとは思えない、まるで鉄板を叩いたかのような鈍い音が響いた。
動くものを追って窓へ貼りつけば、見えたのは弾かれたかのように車から大きく逸れていく白い何か。
いや、多分私の思った通り、和傘を使って弾いたのだろう。ただ、ボツさんは顔を顰めながら、傘の柄を握っていた手をプラプラと振っていた。
「あっちちち、効いた効いたぁ……流石にとんでもねぇ硬さしてるねぇ」
「ナイスだよ先生! そのまま頑張って!」
「いやいや、無理言うんじゃありませんよ。あんなの何べんも受けられるほど、俺の身体が頑丈な訳ないでしょうが。もう腕肩腰が怖い歳だってのに――左!」
車体が大きく右へ振られ、その勢いに後部座席でひっくり返りそうになった。
次の瞬間、上から叩きつけられたムクなんとかの一部に、道路が大きく陥没する。
(本当、夢じゃないのかしら。これ)
危機感と理解できない状況が混ざり混ざって、いよいよ頭が処理不良を引き起こす。それはどういう訳か感情の熱を奪い去り、もうどうでもいいやという無気力無感動状態となった私は、ため息を吐きながら硬い革張りのシートに背中を沈めた。
「やっぱりピンチなんでしょうね、これ」
「ほほぉ? 物静かそうな別嬪さんの本性は、中々どうして肝が据わってんですねぇ」
適当なおだて言葉を並べたオッサンに、褒める気なんてない癖だろうと、ジト目を投げ返す。
ただ、それをどう受け取ったのか。ボツさんは薄い流し目をこちらへ向け、ニィと歯を見せた。
「しかし、絶望は先にとっといてくださいな。ってのも、今この瞬間に真正面から敵わねぇのは、先刻承知ってもんで」
「矛盾してるわ。今がないのに、後のことを考えろだなんて」
「まさか。今があるのを確信してるから言ってんですよ。ここまでの動きも含めてねぇ」
むっ、と。少しだけ顔に力が入った。
よくよく思い返せばこの男、今の今に至るまで本当に焦った様子を見せていない気がする。こんな意味の分からない相手と、殺し合いのようなことをしているというのに。
ただの強がりでないのなら、余裕の裏打ち。だとして、煙を吹き火を投げ傘を振り、この次は一体何が出る。
そう思ってちらと後ろを振り返った時、ちょうどそれは空から弧を描いて飛来した。
「流れ星?」
「お膳立ては上々。思ったよりも時間がかかったのは、まぁご愛敬って事にしときましょうかい」
弧を描いた細く青い光の筋。ムクなんとかも異変に気づいたのか、動きを止めてそちらへ身体を向けたが、時既に遅し。
山の中から尾を引いた飛来物は、導かれるように人形折り紙へ向かい、直上で9つに割れて降り注いだ。
糸のようになった光はか弱くすら見える。しかし、火柱さえ跳ね除けた怪物の身体にそれが触れた途端、ムクなんとかは苦しむように回って暴れはじめた。
チクリ、と首筋が痛む。
「嫌がってる……それとも、苦しんでるの?」
薄っすらと覚えた感情は、まるで自分とは別の何かから流れてきたように曖昧な物で、無意識のうちに口からそんな言葉が零れていた。
短い沈黙。多分、誰にも聞こえなかったからだろう。
「いやぁ、流石に八幡さんとこの破魔矢は違いますねぇ。結界の外で禁域存在をぶち抜けるたぁ、大した神力だ」
「破魔矢? それって、お正月の?」
「流石に正月飾りの売りモンそのまんまって訳じゃありませんが、根っこの部分は同じですよ。大事なのは作り手と使い手ってトコでね。おっ、ありゃあ落ちるな」
いよいよ暴れることもできなくなるほど弱ったのか、ムクなんとかはぐらりと姿勢を崩し、いつしか高架に差し掛かっていた道路の脇から落ちていく。
走る車の中から、谷底は覗きようもない。ドスンとボツさんが身体を助手席へ戻せば、張り詰めていた空気が一気に弛緩したように思えた。
「あれで、倒せたのかな?」
少し唸りを小さくしたエンジン音の中、ととさんは前を向いたまま呟く。
「さぁてねぇ……お嬢やんはどう思います?」
「私に分かるわけないでしょう」
意味不明な振り方にため息が出る。こちとら不思議な力の1つすら持たない、ただの一般人なのだから。
しかし、ルームミラー越しに糸目から発される視線は、どうしてか私から離れてくれなかった。
「……何なの?」
「いえ、お嬢やんにはどう見えたか、と。そいつを聞かせてもらえませんか?」
「どうって――」
たとえ化物でも、身体に穴が開いては生きていられないのではないか。のたうち回ることもできないくらい弱っていたのだし、挙句は高いところから落ちたのだから、死んでいると考えるのが普通。
そう思うのに。
「なんとなくだけど、まだ生きているような気がする」
「――ほぉ? そいつぁ用心深いことだ。ま、相手の異常さを考えりゃ、いい判断だとは思いますが、とりあえず今日の所はこれで終い。ってぇところで」
少しの間を置いてから、ボツさんはそう言って背もたれに体重を預ける。
それでもなお、ルームミラーから消えない糸目は何なのか。緊張するなという方が無理だと思っていた矢先、それは緩く弧を描いた。
「腹ぁ減ってるでしょう。軽く寄り道しながら帰りましょうや」
からかわれているのか何なのか。真面目に返事をした自分が馬鹿馬鹿しく思えてきた。




