第5話 名無しの権兵衛に毛が生えた奴
ぷらぷらり。寝台に腰掛けながら揺らしていた足を止めたのは、外が少し騒がしくなったから。
見れば手元の小さな端末は、いつしかインジケータを赤色に染めており、ウチはそれを確認してから、グッと体を反らせた。
「んーっ、そーろそろ気付かれるかな。表も始まったみたいだし、これならオッサンに文句言われることも無いでしょ。さぁさ、ウチも退散退散」
トンと軽い足音を立て、寝台から立ち上がったウチは、薄暗い部屋を扉へ向かって歩き出す。
撹乱は十分なはず。であれば、寝起きする人の居なくなったこの部屋に、最早用はない。
覗き魔御用達である機械の目が、真面目に仕事をし始める前に、ウチは悠然と明るい廊下へ歩み出た。
保護エリアに人の気配はなく、さりとて禁域の奴が暴れ回るでもなく、至って静かなものである。気を抜けば睡魔が襲ってきそうなくらいに。
(瑞穂ちゃんに事実を知られないためとか言ってたけど、やり方が甘っちょろいンよねぇ。中途半端で勝てるほどの地力なんて無い癖にさ)
エレベーター前に向かって歩きながら、フンと小さく鼻を鳴らす。
単に非情になり切れないだけか、それともお役所という組織の問題か。どちらにせ彼らは、自分が何を相手にしているのかなんて理解していないのだろう。
無論、彼らを責めようなんて思わない。むしろ、仕事がしやすいことに関しては感謝しているくらいなのだ。
「おい貴様、そこで何をしてる!?」
前言撤回、面倒は油断するとやってくるらしい。
非常階段を目前に、舌打ちしそうになった自分を仮面の下に押し隠す。
酷く驚いた風を装って振り返れば、そこには想像通り、機動隊のように武装した一団が武器を構えていた。
「ま、待って待って! 私です! 古甲です!」
怯えたような作り物の声に加え、両手を上げて肩を震わせながら後ずさる演技。我ながら吐き気がする。
しかし、少なくとも連中から警戒感を奪うには十分だっただろう。中央に立つ1人だけスーツ姿の男。室長補佐の郷原は、軽く拳を持ち上げて短針銃を降ろさせた。
「なんだお前かよ。非戦闘員には退避命令が出てるぞ。聞いてなかったのか?」
「ゆ、柚本さんを探していたんです。さっき夕食を届けに行ったら、部屋に居なくて……」
「チッ、やはりな。こりゃ厄介なことになったぞ」
郷原はツーブロックの髪を軽く撫でながらため息を吐く。その口調といい仕草といい、医者の真似事をしていた時とは随分な差だ。
「どうします、補佐」
「仕方ねぇ、処理2班を2チームに分けるぞ。Aチームは施設内の捜索、Bチームは逃走した車両の追跡に当たれ。人員の選抜はお前に任せる」
「了解」
返事をしたのは処理班本来の班長なのだろう。半分ほどの班員を連れて来た道を引き返し、残りは瑞穂ちゃんの部屋がある方へ向けてゾロゾロと歩いていく。
既に何の意味もないというのに、全くご苦労なことだ。とはいえ、それに巻き込まれて足止めされる訳にはいかない。
「それじゃあ、私はこれで。柚本さんの事、お願いします」
「……待て古甲。あるいは、古甲と呼ばせてる何者か、と呼ぶべきか?」
低い声に非常階段のドアノブへ伸びた手が止まる。舌打ちを飲み込むのも楽でないと言うのに。
「な、何ですか急に。古甲なんて珍しい苗字、この施設には私の他に居ないでしょう?」
ただのか弱いケア担当の女を演じ、妙な事を言われたような振りをして。
彼の鋭く細められた目を見て、その無駄を悟らされた。
「昔、陰陽師かぶれの同期が言ってたぜ。化け術の基本にして究極は、相手に欠片も疑いを持たせないことだとよ。聞いた当時はアホくさい話だとしか思わなかったが、実際経験してみりゃ馬鹿にもできん」
1歩、郷原はこちらへ近づいてくる。その手に真鍮色の輝きを放つ五鈷杵を握り、軽く首を回しながら、それでも視線を決して外すことなく。
「いざ緊急事態って時に、1人でフラフラしてるケア担当。それも、空間侵食発生エリアの中でだ。怪しむなって方が無理だろ。なぁ?」
低く落ち着いた声に滲む力。成程、処理班だけ先に行かせたのは仕事の為だけでないらしい。
ここの連中では頭1つ抜けていると思っていたが、そう高く見積もられるとお腹の底から笑いが込み上げてくる。
「んふふ……ここで会わなきゃ、最後までバレないと思ったのになぁ。厳つい見た目の割に聡いよねぇ、郷原センセ?」
「人じゃねぇな。手前、何者だ」
郷原は肩幅に足を置き、半身に五鈷杵を低く構える。
ああ、気づいてもらえることの喜ばしさよ。普通に過ごしていては中々得難い興奮であり、自然と口も弛もうというものだ。
「ウチのことが知りたい? 秋刀魚の1尾でも持ってきてくれるなら、話してあげてもいいけど――っとと」
パァンと音を立てて白い光が正面で弾ける。それを軽く横へ跳んで躱せば、床にウーンを示す梵字が浮かんでいた。
金剛杵の使い手らしい、雷を呼び出す護法の力。おかげで毛がチリチリする。
「俺は搦手ってのが苦手でな。次は外さねぇぞ」
「おっかないなぁ。どうしてもって言うなら遊んであげてもいいけど、センセはウチなんかに構ってる暇、あるのかい?」
「何……?」
チロリと舌を唇に這わせる。ウチの身体も少し興奮しているのだろう。
だが、時間という奴は待ってくれないのが、この世の重い理だ。
お腹の底を揺さぶるような地響きに、天井から埃が舞い、照明がちらちらと明滅する。
(あれ、思ってたより酷い感じ?)
嫌な予感が背中を伝う。
そろそろ派手なのが来るとは思っていた。しかし、建物を揺さぶるような規模となれば話は別だ。
慌てて近くの空き部屋へ飛び込み、強化ガラスが砕け散った窓から外に身を乗り出せば、ちょうど景色にかかる透明な薄膜のような物が、緩く波打ちながら消えていくのが見えた。
「あーもーっ! 何やってんのさボンクラぁ! 逃がすの早いってぇ!」
「ま、まさか、結界が破られたのか……!?」
後を追って来た郷原が微かに青ざめる。当然だろう。彼らにとっては切札に近い道具だったのだから。
しかし、それを慰めてやれる余裕などない。正しく言えば、今なくなった。
「これじゃウチが怒られちゃうかもじゃんか!」
「あ、おい待てっ! ここ4階だぞ!?」
郷原の言葉を背中に聞きながらも、ウチはアルミサッシを踏み越え、暗い中庭へ身を翻す。
化ける必要がないなら、人間の常識など知ったことではないのだ。
■
真っ暗な峠道を右へ左へ、小さい車はよく揺れ、また轍を拾ってか、よく跳ねる。
それがようやく収まったのは、唐突に現れた料金所を過ぎた頃である。
周りに民家の1つも見当たらない山の中だというのに、一体誰が使うのだろうとは思う。
ただ、珍しくもない標識や街灯の光に、どうしてか私は体から力が抜けた気がした。
「ここまでは追手なし、と。今んとこ、風は俺らの方に吹いてそうだ」
「ずっとそうならいいんだけどね。牡丹から連絡は?」
「あの騒ぎじゃ、暇もないでしょうよ。ま、8割方の出たとこ勝負にしちゃあ、そう悪いもんでもない」
唸るエンジンに加え、キンコンキンコン鳴り続けている鉄琴のような音の合間を縫うように、はぁ、と小さなため息が聞こえる。薄紫色の頭が揺れたあたり、その出処は運転席のととさんだろう。
前に座る2人の会話はそれで途切れる。ただ、峠道を駆け抜けていた時ほどの緊張感は戻らず、私にとってはいい頃合いだった。
「ねぇ、そろそろ説明してくれない? 私は一体、何に巻き込まれているの?」
「あぁごめんなさいよ、放ったらかしちまって。つっても、どっから説明したもんか……お嬢やん、禁域災害ってモンについて、どれぐらいご存知で?」
「どこで起こるか分からない、遭遇したら生きて帰れない、原因もよくわかっていない危険な災害、というくらいかしら」
ここ数年、学校でニュースで広告で、嫌という程耳にしてきた内容を暗唱する。多分、今どきなら誰だって答えられるだろう。
しかし、助手席側のボサボサ頭からは、うーん、と微妙な声が返ってきた。
「間違っちゃいないが、正解でもない。まぁ、今んとこはそれで十分ですが」
どっちだよ、と言いたいところだが、それをぐっと飲み込んで続きを待つ。世の中には曖昧にしか表現できないことがある、なんてことがわからない程、私だって子どもではないのだ。
するとボツさんは、助手席の背もたれから糸目の狐顔を半分ほどこちらへ覗かせて、薄く口角を持ち上げた。
「余計を省いてザックリ言うなら、お嬢やんは見初められちまったんですよ。そのおっかねぇ災害の原因、この世に生まれたばっかりの、禁域存在って奴にね」
ポカンと口が開いた。
見初める、という言葉の意味は知らない。けれど、それこそザックリとであれば、脈絡から何を言われているかを想像はできる。
おかげで私はまた、背筋にぞわぞわした何かが這い上がってくるような感覚に襲われ、頭の中が一気にこんがらがったのだが。
「は……え……? 何、それ……なんで、私が?」
「そりゃあ、お嬢やんが特別だった、ってことでしょうな。さっき仰った前提の通り、普通の人間なら、生きて禁域から出るなんざ至難も至難。何せ、命を喰われちまうんですから」
「喰われる……命を」
私の手は、無意識に自分の首筋を撫でる。
「そう、そこの痣だ。お嬢やんの記憶に、間違いはございませんよ」
満足げなボツさんの声が、どうしてか遠くに感じた。
思い出されるのはあの日。自分の中から何か、表現できない物が抜けていくような感覚。もしも、あれがそうだったとしたら。
「……私だけが死ななかった、特別って一体」
「さぁて。それこそが可能性って奴でして。お嬢やんが何者なのか。パッと見で分かるんなら苦労しやせん」
それだけ告げると、狐顔は背もたれの向こうに引っ込んで、彼の表情は見えなくなる。
自分の掌へ視線を落とす。そこにあるのは、薬指より少しだけ人差し指が長く見える以外、何の変哲もない華奢な手だ。
胡散臭い男は口が上手く、別の目的があって手のひらの上に踊らされているだけ。そう言い切ってしまうべき状況だったと思う。
けれど、私はそうなれなかった。へらへらと笑っていながら、端々に真剣さが滲む男の言葉にか。あるいは、連れて行ってと言った、過去の自分の選択にか。
(私は、何を信じれば)
考えたところで答えなんて出ない。その上、私が何を望んでも望まなくても、時間は確実に進んでいく。
「まぁ、どうにも今日の襲撃がただの偶然じゃなかったっつぅことだけは、ハッキリしたようですが」
今までより少し低く聞こえた声に、ハッとして顔を上げた瞬間、私の体は背もたれにガンと押し付けられた。
「しっかり掴まって!」
言うが早いか、ととさんはハンドルを大きく切り、合わせてタイヤが金切声を響かせる。
ガラスに映る街灯の白い光が、物凄い勢いで斜めに流れていく。
(違う――光だけじゃない!)
まだらに見えるのは、照明に混ざって舞い散る白。ヘッドライトに照らされれれば、その姿はハッキリと浮かび上がった。
「ったくもぉ。分かっちゃいたことだが、あの程度の連中じゃそこそこの足止めにもならんかい。その上、微妙に成長してるっぽい辺り、難儀だねぇ」
振り回されるような車の動きに、ドアのグリップを片手で握って耐えるボツさんは、心底面倒くさそうに下唇を尖らせる。
成長とは、集まった白い何かが、人にも見える独特の形を作っていることだろうか。なんとなく折り紙にあんな形があった様な気はするが、咄嗟に名前を思い出せない。
「アイツ、本当になんなの!?」
「無形顕現、無垢神紙舞。少なくとも、自分らはそう呼んでます。出来たてホヤホヤの禁域存在とはいえ、いつまでも張三李四ってぇのはやりにくいもんで」
「むけ――あぁもう、余計にわからない!」
聞いた自分が馬鹿だと思った。想像がつかなかったことはどうしようもないとして、やたらに漢字を連ねたであろう厳めしい名前は、言いにくく覚えにくい以外、何の感想も抱けない。
「そう言われましても。あの恰好に適当じゃないこっちなりの呼び名を付けようと思うとですよ」
「説明してないで! このままじゃ追いつかれる!」
紙吹雪のように押し寄せる無形ナントカを、ととさんはハンドルを振り回して器用に躱している。
しかし、速度は向こうが上らしく、本体らしき人形は不器用なジャンプを繰り返しながらも、確実に距離を詰めてきていた。
「あー、俺ぁ真っ正面からの荒事ってのはどーにも苦手って言うか、性に合わんのですがね。どうしてもやらにゃならん?」
「他に振り切る方法があるなら聞くけど!?」
勉強を拒否する子どものように、心底嫌そうな口調のボツさんに対し、ととさんの叫びは子を叱りつける母親の如く。
ごねた中年男性はそれでも少し唸ったが、流石に他の方法という奴は思いつかなかったのだろう。また大儀そうにシートベルトを外して腰を浮かせた。
「……しゃーない、気乗りはしませんけど、っと」
ボツさんは革張りの天井が後ろへ押し開き、吹き込む風に着流しを揺らしながら、シートの上に立つ。
その手にはまた火の入っていないキセルが握られていた。
「では改めて。萬屋のしづめ名。刻の間のみではありますが、ちょいとばかし、お遊びの相手となりましょうや」




