第4話 胡散臭い人攫い
ボツ、とあからさまな偽名、あるいはペンネーム的な物を名乗った長身痩躯の着流し男は、袂に両手を突っ込んだまま、私の前をひょこひょこと歩いていく。
(色々胡散臭い、けど……今更引き返す訳にもいかないし)
私を狙って攫いに来た、と言う割に、拘束はおろか、ほとんどこちらを振り返ろうともしない。なんなら、コンパスの差なのかなんなのか。見た目にはのんびり歩いているようなのに、気を抜くと置いていかれそうになるくらいの早足で、こっちは小走りを維持しなければならなかった。
かと思えば。
「ほい、ここでストップ」
「いたっ」
突然立ち止まった背中に、鼻先がぶつかる。軽い衝撃ついでに、ふと、い草のような匂いが漂った気がした。
「な、何、急に」
「いやいや、お仕事の邪魔しちゃならんと思ってね」
言われて前を覗き込めば、薄暗い通路の先に、何かを囲んで立つ、複数の人影が目に入る。
ただ、彼らの服装は妙に物々しく、保護施設と呼ばれる場所に似合わないものだった。
「警察か何か?」
「残念、ハズレ。ありゃあ禁域対策本部の滅却担当、いわば兵隊連中ですよ」
「……ふぅん、そう」
「ま、一応はお邪魔にならんようにしときますかね」
私の短く素っ気ない返事を、ボツさんは気にした様子もなく、またひょこひょこと歩き出した。
それでいいのか自称誘拐犯。口から出かかったツッコミを飲み下し、これはチャンスかも知れないと考える。
禁域対策本部について、私は詳しく知らない。だが、少なくともニュースに名前が上がるような公的機関であることは確かなのだ。
対するボツさんは、自分を助けてくれた恩人だとはいえ、その素性はサッパリわからない。しかも、自らを犯罪者だと名乗る始末。
何の力もない学生の身が、信じて縋るべきは果たしてどちらか。彼には申し訳ないと思うが、その答えは揺るぎない。
どれくらい近づいたタイミングで声を出そうか。可能なら、ボツさんが逃げたり隠れたりできるようにはしたいが、そんな余裕はきっと得られないだろう。
(よし……あと10歩)
即席の作戦。前に見える消火栓の所まで行ったら、ボツさんは手前のトイレに押し込み、禁域対策班の人に助けを求める。できるかはともかく、そう決めた。
赤いランプが近づいてくる。ゆっくりと着流しの背に手を伸ばせば、緊張は心臓を強く打ち鳴らし、呼吸が苦しく感じられた。
残り数ミリ。自分の指先が布に触れるかという所。
ほんのりと、目の前で優しい光が揺れた。
「烟々羅」
消え入るような小声と共に、いつの間に咥えていたのか、キセルの先から白く薄い煙が流れ出す。
それは穏やかに渦を巻き、すぐに自分たちをすっぽりと覆ってしまった。まるで意志を持つかのように。
「何を、したの……?」
「言ったでしょう。お邪魔にならんようにってね。気になるなら、声でも出して御覧なさい」
自分が試すまでもない。何せそう言ったボツの声は、通路へわぁんと響くような朗々としたものだったのだから。
にも関わらず、禁域対策班の人たちは誰一人としてこちらを振り返ることはなく、そのまま近づいてみれば、彼らの会話から無線までもが普通に聞こえてきた。
「想像以上に呆気なかったな。禁域存在って言うから、どんなバケモンが出てくるかと思ったが」
「作戦が終了するまで気を抜くなよ。呼び水を抱えている以上、後から何が湧いて出るかわからんのだ」
「呼び水ねぇ? 生贄は若い女と昔から相場が決まってますが、女子高生狙ってくると思うと、人外連中も俺に似て業が深い」
「お前の趣味なんて知りたくもねぇよ……無駄口叩いてないで仕事しろ」
その対策班員は若い男性だったのだろう。どこかへらへらした様子を、上司らしき人物にたしなめられても、へぇい、とやる気のなさそうな返事をしていた。
呼び水、生贄、女子高生。
彼らの会話が何を指し示しているのか。脳裏に浮かんでくるのは、所詮自分の想像に過ぎない。
だが、静かに血の気が引いていく感覚は、誤魔化しようもなかった。
「私が……生贄?」
口から転がり出た呟きにも、手が届く距離に居る対策班員たちは振り返りもしない。
施設から出ることが許されず、親にすら連絡させてもらえない状況も、公的機関や医者の言うことだからと信じていた。そんな勝手な信頼は、足元から容易く崩れていく。
保護とは一体なんだったのか。たとえ、彼らに直接どういうことかと問い詰めたところで、本当のことなど話してもらえないだろう。
「――籠の鳥がお望みなら、置いていきますがね」
いつの間にか、ボツさんは少し離れた場所に立っていた。その手にはキセルと、何やら栓の刺さった竹筒が握られている。まるで、火を消せば元通りになれる、とでも言いたげに。
禁域対策班の人々と、着流し姿の誘拐犯を見比べて、深呼吸を1つ。胸の奥へ飲み下したのは、落胆と憤りだったように思う。
「連れて行って」
「いいご返事だ」
ボツさんは満足げにニィと笑い、また歩き出す。
この男を信頼できた訳じゃない。ただ、もう片方が全く信じられなくなっただけ。全てに自由がある訳じゃないなら、せめて自分にとってマシだと思える方を選ぶ。選んだから、迷わない。
足早に通路を進み、なお薄暗い階段を下りれば、地下1階と書かれた扉に行き当たる。それをボツさんが押し開けば、駐車場独特の籠った臭いが鼻を突いた。
「車を使うの?」
「そりゃもう。こんな山ン中じゃ、他に方法もありませんし」
山の中、と言われて気付く。思えば私は、この施設がどこにあるのかすら知らない。逃げ出そうなんて今の今まで考えなかったが、たとえもっと早く真実に気付くことができたとしても、誰かの助けなしに脱出する方法なんてなかったのだろう。なんとも見事な鳥籠だ。
どこかでケンケンケンと何かが鳴くような音がして、唸るようなエンジン音が響き渡る。まるで私たちを見ていたかのようなタイミングだ。
否、本当に見ていたのだろう。ボツさんは何やら酸っぱい物でも食べたような顔をして、ボリボリと後ろ頭を掻いた。
「ありゃだいぶ焦れてるな。慌てると碌なことにならんって、いっつも言ってんのに」
そうぼやいている内に、薄黄色のライトを輝かせて近づいてきたのは、レトロな雰囲気を醸し出す小柄な車。ギッとタイヤを小さく軋ませた急停止も含め、音全般と見た目のギャップが凄い。
「遅いよ! 早く乗って!」
窓から顔を出してそう言ったのは、意外や意外。小学生と言われても納得できる程、とても小柄で可愛らしい──
「え? 子ども……?」
しかし、目を瞬いてもみえるものは変わらず、彼女は細いハンドルを小さな手でしっかと握り、濃紺のクリクリした瞳でこちらをキッと見つめている。
さて、間違っているのは世界か、それとも私の常識か。
「説明は全部あとあと。とりあえず、今はささっと後ろに詰まっちまってくださいよ」
助手席側のドアを開けたボツさんに手招きされて、ハッとする。少なくとも、今は考えている時じゃない。
小さな車体だからか、あるいは古そうな車だからなのか。ドアは前側の座席分しかついていないらしく、私は前へ倒された助手席を乗り越えるような格好で、後部座席へと体を突っ込んだ。
「先生! 禁煙!」
「……へぇい」
続いて乗り込もうとしたボツさんを、少女は鋭い声で静止する。詳しい事情はともかく、中々厳しい子のようだ。
先生と呼ばれた彼は、シュンと小さくなりながら、竹筒へキセルの灰を落とし、キッチリ栓をしてから改めて乗り込んでくる。
本当に、急いでいるのだろうか。
「はいよ乗った。安全運転でぶっ飛ばせぇ」
「無茶言わないで! 行くよ!」
小さな手が細いレバーをココンと鳴らせば、車はエンジンを吠えさせて猛然と走り出す。
どうやら少女は、安全運転の方を切り捨てることにしたらしい。あまりの急発進に、私が後部座席でシェイクされたようになっても、車は加速を弛めない。
否、相手にしないのは乗っている人間だけではなかった。
「ちょっ……ま、前! 人!」
「ごめんね! 急いでるんだ!」
多分、警備の人だと思う。けたたましいエンジン音に、何事かと駐車場入口のゲート前に出てきたのが運の尽きか。
傍目からは車が暴走しているようにも見えたのだろう。彼は遮断機を前に止まれ止まれと両手を振っても、少女はブレーキを踏む様子もなく、勢いそのまま、飛び退く警備員を背に遮断桿をへし折り、ガリガリとバンパーを鳴らしながら傾斜を駆け上がった。
「……やり方、荒すぎない?」
「べ、別に好きでやってるんじゃないからね? 普段はちゃんと安全運転だし、それくらい緊急ってだけで」
「まぁまぁ、今んとこは褒めといてやってくださいよ。ととは変なとこ不器用ですが、俺と違って真面目なんで」
「なんとなくだけど、それは分かるわ」
「むぅ……素直に喜んでいいのかわからないよ」
■
手ごたえがない。
小野田がそう感じたのは、3つ目の白い塊に対し、数珠を巻いた自らの拳を打ち付けた時だった。
儚く散った白い紙切れのようなモノは、地面に落ちると粉雪のように溶けて消える。まるで最初から無かったかのように。
「禁域存在といえど、結界の中ならこの程度か」
敵対者が弱いことは僥倖。ただ、以前より人ならざる者と相対してきた彼にとって、これは肩透かしだったと言っていい。
部下からの応援要請に出て来てみれば、数こそ多かったものの、その動きは鈍く、統率は取れず、目的すら判然としない有様。小野田が正面を蹴散らせば、そこからは破魔矢を装填したクロスボウを構える処理班の活躍もあり、間もなく全てが地面の染みへと変えられていった。
『こちら処理2班。北エリアの滅却完了』
『処理3班。南も片付きました』
じゃらりと数珠を鳴らし、鼻から大きく息を吐く。中年太りとも長い付き合いになるとはいえ、この程度の運動では汗もかかない。
「この感じなら、指揮官自ら出て行くまでもなかったんじゃないですか?」
小野田の背中に投げかけられたのは、どこか呆れを含んだ郷原の声。
指揮所に残っていた彼が出てきたということは、ほぼ片付いたと言うことにほかならない。
「私が座して指揮を執るようなタイプでないことは、君が一番よくわかっているだろう?」
「敵を調べるなら相対してこそ、でしたっけ?」
「ぶん殴ってみれば、大体のことはわかる。人は遠目に見ているだけだと、枯れすすきを亡霊と騒ぐ生き物だからな」
「下手に暴れて、肩やら腰やらやっても知りませんよ」
郷原は肩を竦めて苦笑いを浮かべるだけ。仕事上長い付き合いとなる小野田が、どのような人間かくらい、彼は既によくわかっている。健康診断で毎度肥満と高血圧を指摘され、凹んでいるのを慰めるくらいの関係なのだから。
それらをわかっている小野田も、小さく口の端をあげて笑い、耳に引っ掛けた無線機のPTTスイッチを押した。
「処理班、討ち漏らしの捜索に移れ。見つけ次第排除しろ。守備班は結界の稼働状況確認だ」
了解、といくつもの声が無線越しに返って来る。
だが、それから一息つく間も無く、緊張した様子の声がレシーバーから響いた。
『守衛室より緊急! 謎の小型車がゲートを突破、静止を振り切り逃走!』
「車?」
「おいおい、こんな山奥の施設に火事場泥棒か? ここにゃ金目の物なんて――」
言いかけて郷原はハッと固まり、小野田も表情を険しくする。
本音と建前がある施設だとはいえ、基本的な中身は所詮公的機関。個人情報などの電子データを盗み取るならまだしも、直接侵入するリスクに見合う価値の物などほとんどない。
あくまで、それが物であれば、だが。
「指揮所、直ちに奇跡の子の状態を報告しろ。彼女の所在はどうなっている?」
レシーバーに向かう小野田の声が少し緊張するのも当然のこと。
禁域災害対策本部などという特殊な立ち位置にあるとはいえ、彼らはあくまで公務員の実働部隊。いかに室長の肩書を持つ小野田であれど、独断で作戦を実行に移せるような権限はない。
奇跡の子を呼び水とする以上、身柄の安全が確実に保障されること。同時に一切の危険行為について、少女が認知できないよう行うこと。
それが組織の上に立つ者たちより提示された絶対条件であり、小野田は結界を含む様々な防護措置を講じ、部隊の最適な配置を考えに考え、最後には全ての責任を自分がとると啖呵を切り、ようやく認可の判を得ることができたのである。
あるいは、だからこそここまで、堂々と対処に挑めたとも言えるだろう。
『指揮所より室長。奇跡の子は室内で睡眠を継続中。30分前から動きは見られません』
淡々としたオペレーターの声に、郷原は取り越し苦労かと大きく息を吐き、小野田も強張った肩を僅かに下げる。
しかし、それから僅かに数秒の後。レシーバーは、待ってください、と聞きたくもない言葉を響かせた。それも、明らかに動揺を含む声でだ。
『これは……センサー類の数値に違和感があります。30分前から、全く同じパターンで推移しているような……』
「郷原! 直ちに呼び水の状態を直接確認しろ! 最優先だ!」
オペレーターが報告を終えないうちに、小野田は既にレシーバーから手を離して指示を飛ばした。
たとえ違和感程度の些細な可能性であろうとも、判断に迷っている余裕などない。
「了解! 処理2班、続け!」
郷原も自分が抜擢される予想はついていたのだろう。指示に素早く対応し、展開していた内の一隊を引き連れ、保護エリアへ向かい駆けていく。
そんな彼らの背中が見えなくなって間もなくのこと。小さく奥歯を噛んでいた小野田は、頬を撫でる緩やかな風に、唐突に背筋へと汗が滲むのを感じた。
(恐怖、だと?)
疑問に拳を握った刹那。外に構える実働部隊に対し、猛烈なつむじ風が襲い掛かった。
油断していたであろう者は、重々しい装備もろとも地面へと転がされ、その場で踏ん張って堪えることができた者たちも、舞い上がった砂塵に顔を覆う。
ただ1人。渦を巻いて吹き荒れる風の中を凝視していた小野田を除いては。
「……道理で今まで何の手ごたえもなく、染みすら残さず消える訳だ。今までの連中がただの影とは」
円を描いて回る風の中。形を作らない白い何かが混ざり舞う。
それは景色に溶けた結界を、意にも介さず飲み込み、触れた場所から赤黒い何かを滲ませた。
数珠を握る手が小さく震え、それでも彼は、拳を構えて1歩、白い渦の前へ出る。
「総員、気を引き締めろ! 滅却戦、用意!」




