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第3話 窓に挟まる白

 奇妙な感覚に目が覚めた。

 言葉にするなら、首筋に何かが触れたような、くすぐったくも気持ち悪くも思える感じ。

 ただ、親譲りなのか何なのか。昔から低血圧気味な私の意識を、完全に覚醒させるには至らなかったらしい。

 時計を見れば夕飯時も近づく時間であり、となれば襲い来る二度寝の誘惑に従う訳にも行かず、私はうっそりと怠い身体をベッドの上に起こす。ついでに目覚めの原因と思われる首筋を撫でながら、控えめに堪えたあくびを1つ。


(2時間くらい、かしら)


 いつの間にか陽も落ちたようで、部屋の中は薄暗い。

 しかし、ふわふわする頭は照明をつけに行くのも億劫で、私はしばらくぼんやりと扉を眺めていた。

 だからだろうか。走ってくる重々しい足音が、部屋の正面付近で止まったように思えたのは。


「守備3班より指揮所。収容棟エリアにおける結界の正常動作を確認。強化措置によるエラーは見られない」


 聞いたことのない男性の声。それもどこか切迫したような、なんだか物々しい雰囲気を感じる。

 会話相手は近くに居ないのか、あるいは無線や電話なのか、返事は何処からも聞こえてこない。だが、私に聞こえないというだけで、会話自体は成立していたらしく、再び同じ男が声を発した。


「3班了解。各員聞いたな、エントランスで落ち合うぞ。急げ」


 ドカドカと重い足音が遠ざかっていく。

 自分に関係があるかどうかはわからない。ただ、妙に緊張した口調のおかげか、さっきより頭のふわふわ具合は随分マシになった。

 ベッドから立ち上がり、部屋の扉を少しだけ開けて廊下を覗く。白い照明に照らされたそこに人影はなく、特に変わった様子も見られない。

 小さく息を吐き、気にすることでもないかと部屋の中へ振り返る。立ち上がったついでに、部屋の照明をつけようと手を伸ばす。

 ペタリ、という音。ふいに窓へと目が行った。


「……紙?」


 ガラスに張り付いていたのは、薄闇の中で浮き上がるような白い紙。4階にまで飛んでくるということは、外は相当に風が強いらしい。

 放っておいても、そのまま飛んでいくだろう。別に気にするようなことでもない。

 そう思って再び照明のスイッチへ手を伸ばしたところ、再びペタリ、ペタリと音が続く。

 訝しんで見れば、音の通り。2枚、3枚とガラスに紙が増えている。当然、1枚目も飛んでいくことなく、まるでシールのようにくっついたまま。

 不思議なこともあるものだ。どこかでコピー紙か何かをばら撒いてしまった人でも居るのだろうか。

 考えている間にも、紙は飛んできて増える。何なら、窓の向こうから飛んでくるものさえ見えた。


(何、これ……)


 単なる偶然。それ以外にあり得ないと思うのに、増え続ける紙には恐ろしさを覚え始め、無意識の内に1歩扉の方へと後ずさる。

 そうして、後ろへ回した手がドアノブに触れた時、いよいよ窓から外が見えなくなり、その圧に耐えかねてかガラスがピシリと軋んだ。


「嘘、でしょう!?」


 背後から甲高く響いた破砕音に、慌てて部屋から飛び出し、危うく転びそうになりながら、スリッパを脱ぎ捨てて廊下を走り出す。

 相手が本当にただの紙なら、走って逃げる必要なんてない。しかし、足を止めないまま肩越しに振り返ってみれば、部屋から溢れ出すような白いそれらは、ほぼ無風の廊下で再び舞い上がり、こちらを追いかけてきているではないか。

 思い出されるのは、ここへ運び込まれる原因となったショッピングモールでのこと。だが、考えている余裕はない。

 首筋に走るチリチリとした感触と、冷たくなった背中から噴き出してくる汗に押され、辿り着いたエレベーター前で呼び出しボタンを連打する。

 だが、機械が私の焦りを酌んでくれるはずもなく、上昇中を示すランプが点灯しただけで、扉は一向に開こうとしなかった。


「……ッ! 非常階段!」


 パニック状態にある頭で、咄嗟に思い出せたのは奇跡か偶然か。

 エレベーター横にある白い扉へ取り付き、冷たいドアノブを捻った。

 たとえあの白い奴に、ガラスを容易く破れるくらいの重さや勢いがあったとしても、鉄でできた分厚い扉を閉じてしまえば、そう簡単に突破はできないだろう。その間に誰か大人、それこそ禁域災害対策本部の人に事態を伝えられれば。

 そう思ったのも束の間。掌に返ってきたのはガツンという固い感触。


「鍵!? え、ええと、どうすれば――」


 ガチャガチャとドアノブを動かしてみても、当然扉は開かない。

 ただ、よくよく手元を見れば、非常時は割ってください、と書かれたカバーが目に入った。

 普段ならすぐに気付くであろう簡単な事。それも、カバーを割って鍵を回すという、僅かなひと手間が増えただけ。

 しかし、生死を分けるというのは、こういう一瞬なのだろう。


「……っ!?」


 足に何かが絡みつく。見なくてもわかる、1つしかない。

 次の瞬間、バラバラと音を立てて、大量の白い何かがエレベーター前を舞った。

 呆然と青ざめる私の前。それはつむじ風に吹かれているかのように渦を巻き、何か奇妙な形をいくつも作り変えながら、じわじわとこちらへ迫ってくる。


「やめて、こないで! うぁっ!?」


 逃げようと力を込めても、白い何かが絡みつく足はほとんど動かせず、逆にバランスを崩した私はそのまま地面にへたり込む。

 形なんてない。ただ、紙のような何かがグルグルと同じ場所を舞っているだけの、まるで何をイメージしているかすらわからない、芸術的にすら見える奇妙な存在。

 だが、それは断じて心を動かさんと作られた美術品などではなく、明らかな意思を持ち、名刺を連ねたように変形した身体の一部を、ゆるりとこちらへ伸ばしてくる。

 思い出されるのは、何かが抜けていくような感覚のこと。もしも、自分の想像通りだとすれば。


(今度こそ、殺される……!)


 奇跡が二度も起きてくれるはずがない。前は思わなかったギリギリの恐怖を抱え、きつく目を瞑った。

 その時である。何度も耳にした珍しくもない電子音が、背後でポォンと鳴ったのは。


「――あれま、お食事中でしたかね。いやぁ失礼失礼」


 あまりにも場違いな、緊張感の欠片も感じられない男の声。それが、パタンパタンと足音を鳴らしながら近づいてくる。

 恐怖に閉じた目を薄く開ければ、そこに見えたのは濃紺の着流しを纏う狐顔の男が、キセルを手に遊ばせながら薄笑いを浮かべる姿だった。


「ただねぇ、老婆心から言わせてもらうなら、そのお嬢やんを夕餉《ゆうげ》にすんのはオススメしませんが?」


 まるで恐れる様子もなく、まるで珍しくもないように声をかける先は、言うまでもなく白い奴だろう。しかも、諭すよりは煽るような口調というおまけ付き。

 その不敵にも思える雰囲気に、私が呆然とするのは当然。一方、白い化物はといえば、言葉を理解したかどうかはともかく、まるで挑発に呼応するかのように、細長く変形させた身体の一部を、勢いよく私へ向かって伸ばした。

 今度は目を閉じる暇すらないまま、白い何かの迫る様が眼に映り込む。

 しかし、凝視せざるを得なかった弊害か。それが私の身体へ触れるか触れないかと言う時である。


「――っ!?」


 自分に襲い掛かったのは、肌を貫く痛みではなく、まるでフラッシュのような青白い光だった。

 瞬きするような一瞬のこと。それは花火のように小さな光点となって飛び散っていき、同時に白い奴の伸ばしていた一部が大きくのたうち、その先端から黒い煙を燻らせた。


「ほーら、言わんこっちゃない。そんじゃ、まーた後日っと」


「う゛っ」


 何が起こったのかわからないまま呆気に取られていれば、今度は腹に軽い痛みが走って身体が地面から浮き上がる。気づけば足に絡みついていた白い奴も解け、代わりに私は男の小脇に抱えられていた。

 この間、エレベーターは何処からも呼ばれなかったのだろう。男がボタンを押せば、間を置かずに扉が開き、彼は私を小包のように抱えたまま足を踏み入れ、また平然と1階と閉ボタンを押して扉を閉じた。

 流れるような所作、とでも言えばいいか。その凄まじいばかりの平常心のおかげで、私は余計に頭の中がグルグルしていた。


「あ、あの……そろそろ降ろして。自分で立てますから」


「んぉ? そいつぁ有難い。ずーっと抱えっぱなしってのは、ちょいと骨が折れそうだと思ってたとこでね」


 何だが失礼なことを言われた気もするが、男はすんなりと降ろしてくれる。おかげでようやくお腹にかかる圧力から解放された。

 床についた足と再び訪れた奇跡に、いつの間にか額に浮いていた汗を袖で拭い、ほふぅと大きく息を吐く。安心したからではなく、ただ自分を落ち着かせるために。

 そうしなければ、お礼も言えそうになかったから。


「……ありがとうございました。危ないところを助けて頂いて」


「何の何の、お礼を貰うようなこたぁしてませんぜ。それにお嬢やん――柚本瑞穂さん、だったかな」


 あんなことの後なのに、男はまるで今日の天気でも話すかのように薄笑いを浮かべたまま。その上どこから取り出したのか、手の中で古風なキセルをくるくると遊ばせていた。

 それより何より気になるのは、この状況についてだ。


「私のこと、知ってるんですか?」


「元々から知り合いってぇ訳じゃありませんがね。ただ、今回の件に首突っ込むのに、ちょいと調べさせてもらわにゃならんかったもんで」


「調べる……もしかして、禁域災害対策本部の人?」


 自分のようなただの学生を調べるとすれば、ストーカーでもない限り先の禁域災害に関する部分だろう。

 今朝方に聞き取り調査で対面した小野田さんのことを思い出せば、自分について調べている人が他に居ることくらい、おかしくもなんともない。

 だが、着流しの男性はまさかまさかと笑いながら、袖口から覗くキセルを持つ手首を、ひらりと前へ折り曲げた。


「そんな大層なモンじゃありませんよ。むしろ、お役所からは目の仇にされてる浮浪人でしてね。ここへ来たのだって、人助けと言えば聞こえはいいが、社会的に見りゃあ、女子高生のお嬢さんを攫いにきた誘拐犯、って感じですし」


「は? 攫う?」


 サラリととんでもないことを口にされ、ただでさえ混乱している頭が更に加熱した。

 保護施設に堂々と入ってきて自分を助け、その上で誘拐を宣言する男性。だが、その狙いである自分はと言えば、禁域災害の生き残りという以外、人と比べて特別なこともない女子高生。

 外見的に優れている訳でもなく、だからといって愛想がいい訳でもなく、学校で耳にしたことのある評価を思い出しても、普段の目つきが眠そうとか、なんとなく近付きにくい雰囲気とか。少なくとも、わざわざ選んで攫いにくるだけの価値があるとは思えない。

 おかげで首を捻っていれば、着流しの男性は何やら取り繕うような苦笑を浮かべて首を撫でた。


「あぁ、誤解しないでくださいな。お嬢やんに危害を加えようとか、身代金を強請りとろうなんて気はありません。元々、強要とか命令とかってのは、どうにも好きになれませんし」


「……なら、なんの為に人攫いなんて」


 話の流れにも背中を押され、真正面から聞いてみる。

 連れ去られそうになっている側の態度ではないような気もするが、彼は特にそれを気にした様子もなく、しかし言い難いことなのかなんなのか、唇をすぼめてうーんと唸った。


「一口に説明するのは難しいんだけども……言わば、お嬢やんの可能性に対するちょっとした期待、ってとこですかね」


「流石に適当過ぎない?」


 身体が少し重くなり、ポォンと響く電子音。エレベーターのモニターが映すのは数字の1。


「そりゃあ時間と覚悟が頂けるなら、いっくらでもお話ししますよ? けども、残念なことに、今ンところはどっちも足らない」


 目の前で左右へ割れるエレベータのドア。

 開いたそれの安全装置に肘をかけた男の後ろで、私は喉に何かがつっかえたような感覚に襲われた。

 鮮やかな赤色の染め抜きに、墨汁を流しているような黒の渦。

 あの日見た景色と同じ。通い慣れてきた売店も、どこか殺風景なエントランスも、左右に伸びる廊下も全部。毒々しい絵の具を上から流し込まれたように、不気味な色が覆っている。


「これ、まさか……禁、域……?」


「かなりの出来損ないですがね。誰かさんの結界が仕事してんのか、やっこさんが力を制御できてないのか知りませんが、前より一段としょうもない仕上がりだ。ま、トンズラする身にとっちゃあ都合がよろしい」


 彼は赤黒いマーブル模様の世界を歩みだす。まるで普通の道を行く様に、何を躊躇うこともなく。


「……あ、あなた、何者、なの?」


 乾いた喉から絞り出した声に、男はゆっくりと振り返る。

 その狐顔にはニヤリした笑みが貼りついていた。


「人ならざる者、あるいは禁域異界に関する流れの専門家。呼び名が必要でしたらボ(・)ツ(・)とでも」

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