第2話 保護施設の不思議
「被災前、何をしていたか覚えているかな?」
白い個室、机を挟んだ向こう側。丸顔糸目にメガネとスーツ姿の肥えた男は、ニコニコしながらそう聞いてくる。
自己紹介に曰く、男の名前は小野田。禁域災害対策本部の調査官だとか。
要するに、稀有な例からの聞き取りをしに来たということらしい。
「ボールペンの替芯を買いに、モール2階の文具雑貨店に行きました。そこで気になった新商品があったから、試し書きをして……その後は記憶が曖昧です」
「被災時の状況について、何かわかることは?」
「えぇと……急に悲鳴が聞こえて、周りの壁とか床が赤黒く変わっていった気がします。それから、人を白い何かが襲っていたような……」
「白い何か? もう少し具体的にないかね? どんな形だとか、どんな動きだとか、臭いなんかでも構わない」
机に肩肘をつき、僅かに身を乗り出してきても、男の表情はニコニコしたまま変わらない。
(なんだこいつ)
質問することが、小野田さんの仕事なのであろうことは、なんとなくわかる。
ただ、仮面のような表情と、どことなく責められているような圧が感じられる質問には、少しばかり不信感を抱きはした。
だからといって、答えを渋ろうなんて思わないのだが。
「人に絡みつくように動いていた感じで、形とか臭いは……すみません、わからないです」
「なら、音や声は?」
「音……声……」
朗々とした小野田さんの言葉が、頭の片隅に引っかかる。
あの時、私は何かを聞いたような。
ぼんやり浮かんだそんな記憶は、シャボン玉のように薄く弱く、頭を秘ねればすぐに弾けてしまって、私は緩く首を振った。
「ごめんなさい。思い出せそうにありません」
「……ふむん。まぁ、仕方ないか。急かすつもりはないが、もし思い出せたらすぐに教えてくれたまえ」
ギッとしんどそうに背もたれが鳴く。机から椅子に傾けられた小野田さんの体重は、見た目の通り中々ヘビーらしい。
暫くこちらの様子を眺めていた彼は、鼻から軽く息を吐くと、軽く顎を撫でてから、改めて丸い笑顔を作り直した。
「では次に、目覚めてから体の具合が悪いとか、困り事はないかな?」
「体調は普通、だと思います。困っていることも、特には」
「気分がおかしくなったり、突然記憶が飛んでしまったり、幻覚や幻聴を感じたりすることは?」
「そうなるのが、普通なんですか?」
随分と具体的な質問に、少し強い口調で聞き返す。
まるで、そうなるのが当然なのにお前はなんだ、と責められているような気がしたのだ。
とはいえ、そこは大人なのだろう。彼は仮面のような笑顔を少し困ったように変えつつ、いやいやと分厚い手を横に振った。
「まさか、極端な例の話さ。特になければ、忘れてくれて結構」
「……そうですか」
何かを誤魔化しているのか、それとも、本当に健康状態を気にかけた質問なのか。トントンとタブレットを叩く男から、その真意は読み取れない。
ただ、小野田さんの対応から、自分が保護と言う名の監視を受けているらしい感じは、なんとなく理解することが出来た。
■
教科書を確認しながら、練習問題を写したノートにペンを走らせる。
内容はいつもの予習を大きく延長したようなもの。気軽に質問できる教師が居らず、電子機器の類で調べ物も出来ない点は面倒だが、勉強が進められない訳では無い。
保護施設で暮らし始めて早1週間。むしろ、学生寮と違って1人でいられる時間がとても長く、かつ酷く静かであるため、普段より集中出来る気さえしていた。
予期せぬ妨害を除けば、だが。
「あはぁ、小野田さんらしいなぁ。あの人、満月みたいな顔してるけど、中身は四角四面の堅物だからねー」
「そう」
「本部の中でも、結構有名な偉い人だよぉ。禁域災害対応の現場指揮も任されてるみたいだし」
「そう」
「でも、だからって女の子と話すのが向いてるとは限らないよねぇ。ヤなこととか言われなかった?」
「別に」
できるだけ集中を乱さないよう、かつ話が切れるように短く返しているのだが、古甲さんは気安く話を続けてくる。
ケア担当とやらの意地なのか、仕事がなくて暇だからか。
理由はなんであれ、勉強している身としては、少々所ではなく面倒くさい。いい加減、雰囲気と口調をもって遠回しに、1人にして欲しいとアピールし続けるのも無駄な気さえしてきた。
「ま、柚本さんと違って、特別な香りはしないけど」
ノートを走っていたペン先が自然と止まり、スっと背中が冷たくなる。
「……なんて?」
「ん? 何がぁ?」
恐る恐る視線を向けた先。古甲さんはいつもと変わらない優しげな表情のまま、不思議そうに首を傾げている。ふわふわと間延びした声からは、さっきのような妖しげで艶っぽい雰囲気は、微塵も感じられない。
(また、幻聴……?)
彼女が何かを誤魔化している可能性はもちろんあったが、小野田さんの話を聞いたばかりということもあり、少しばかり怖くなる。
おかげで部屋の中を見回していれば、古甲さんはゆっくり近づいてきて、ベッドに座った私の隣へと腰を下ろした。
「心配しなくても大丈夫。お姉さんはここに居るし、ちゃーんと守ってあげるから。心細くなったら添い寝だってしてあげるよぉ」
「そういうの、いらないから。というか、いちいち近いし……」
体を寄せてこようとする彼女を押し返しつつ、それでも少しホッとしてしまった自分に腹が立つ。
一方、古甲さんはそんな私の反応が面白かったのか、クスクスと笑いながらアッサリと身を躱して立ち上がった。
「照れなくていいのにぃ。かーわいぃ」
本当になんなのだろうか、この人。
自分が子どもなのがいけないのかもしれないが、湧き出る苛立ちも含め、どうにも振り回されっぱなしの気がしてならない。
それでも私を玩具にすることで満足したのか、彼女はスタスタと扉まで歩いていって、ドアノブに手をかけると、そこで肩越しにこちらを振り返った。
「そうそう。お夕飯時まで、少し寝ておいた方がいいと思うよぉ」
「……何? 別に疲れてはいない、けれど」
「なーんとなくだよ、なーんとなくぅ。それじゃ、また後でねぇ」
今度こそ、彼女はヒラリと扉の向こうへ消えていく。
困ったような笑い。だが、どことなくそれが楽しそうに見えたのは、私の穿ちすぎだろうか。
(変な大人)
見た目に反して子どもっぽいというか、悪戯好きに思える一面が普段から垣間見える人だとは思っていたが、今日はいつも以上に訳が分からない。
とはいえ、漠然とした不安が多いこともあって、私は前に垂らしていた2つ括りのお下げ髪を払ってため息をつき、そそくさと学習道具を片付けた。
言われた通り、少し寝よう。別に損をするような話でもないのだから。
モゾモゾとベッドに潜り込めば、部屋が静かになったからだろうか。風に揺られる窓の音が、やけに大きく聞こえた気がする。
■
薄暗い部屋に光る監視モニターの中。映し出されているのは、ベッドに眠るあどけない少女。
これが仕事でなければ、自分はただの変態であろう。いくらほとんどの時間を女性職員が対応しているとはいえ、プライバシーもへったくれもないのだから。
「……外の動きはないのか?」
「各観測地点の数値は正常域。現時点で、禁域発生の兆候は確認できません」
オペレーターの事務的な返答は1時間前と同じ。実際、手元にグラフを表示してみれば、横棒が真っすぐ伸びるばかり。
全く嫌になる、と吐き出しかけた言葉を、ため息に変えて拳に落とせば、後ろで自動ドアが開く音がした。
「どうだ、郷原」
「どうもこうもありませんよ。全く持って平穏無事。大人しく寝てます」
ドスドスと足音を鳴らしながら指揮所に戻ってきたのは、情報整理を追えたであろう御大将。禁域災害対策本部、実働3課の室長、小野田である。
俺にとって上司にあたる彼は、腰に後ろ手を組みながら隣までやってきて、口を真一文字に結んだまま大きく鼻息を吐いた。
「1週間経って一切無反応。上は奇跡の子などと呼んでいたが、呼び水としては外れかな」
「その方がいいでしょ。学生そこらの娘を可能性がどうかって程度で、何も知らせないまま軟禁状態に置くなんざ、正気の沙汰とは思えねぇ」
「正気で勤まる問題ではない。我々が対峙している相手は、そういうモノだ」
「俺はね小野田さん。正義やら倫理やらっていう、人間として最低限必要なモンを、自分からドブに捨てるようなことをしたくねぇって、そう思ってるだけですよ」
「私とて思いは同じだよ。しかし、被害を最小限に抑えるためには、必要な犠牲があることも理解している。たとえ、それが子どもであろうとな」
残念ながら俺は、理念や信念を貫き通すことが、全てを守ることに繋がるなんて、夢想を語れる歳じゃない。
しかし、医者のフリをして子どもを騙し、柔らかく見える檻の中に閉じ込めておくという所業は、果たして職務のためと掃き捨てていい物か。
個人としての答えは否。それでも、小野田は渋い顔をしたまま、こちらを見ようとはしなかった。
「報告。エリアA1にて、観測機器の調整誤差範囲内の微弱な波状反応が検知されました」
緊張したオペレーターの声に、俺の頭は余計な感情を切り離す。
手元のモニターに表示された3次元グラフは、遠目にこそ先ほどまでと同じく平面を示しているようでも、拡大された中には明らかな起伏が見えた。
しかし、何よりの問題は微弱な波そのもより、観測されたエリアの方にある。
「A1だと? すぐ傍じゃないか」
数字が大きくなればなるほど、この禁域被災者収容施設からは遠くなり、5番以降ともなれば山を越えた向こう側。逆に1番ともなれば、施設外周より僅かに離れただけの目鼻先である。
「映像はどうだ。何か映っているか?」
「光学機器反応なし。各種センサー類でも確認できません」
「……ただの誤反応、ですかね」
残念ながら、禁域災害に対する技術はその特異性から、実地試験を行うことすら難しいため、実質ほとんどが試作段階の品なのだ。いかに新鋭品が揃っていようと、信頼性など望むべくもない。
そんなか細い糸でさえ、後手後手の対策本部にとっては頼みの綱。ただ、奇跡の子を腹に抱える今だけは、これが機器のエラーであってほしいと願ってしまう。少なくとも、俺だけは。
「用心に越したことはないな。オペレーター、処理班の配備を――」
「警戒! エリアA0に、大規模な空間変質検知!」
小野田が指示を言い切るより早く、その声は鋭く部屋の中に響き渡った。
たちまちモニターの表示が切り替わる。今まで平坦だったグラフはA0と書かれた部分で大きく波打ち、カメラ映像にはその姿さえ映りこんだ。
誰もが静かに息を飲む。
「白い……こいつが……!」
■
ヴィンテージな愛車の傍ら、キセルの先に灯りを落とし、薄闇に紫煙をふぅと流す。風流とまでは言わないが、中々どうして悪くない時間だろう。
「先生、今日吸いすぎじゃない? 胸を悪くしちゃうよ」
そんな空気も、おチビ様には理解し難い物らしい。運転席の窓から水を差され、俺はやれやれと肩を竦めた。
「浪漫がわからんかねぇ? こういうのは気分よ気分」
「またそんな事言って。知らないからね、あの子に臭いって嫌われても」
海のように深い青色のジト目と、そよ風に鳴る風鈴のような声色が、横腹辺りにチクチクと刺さる。今日に限った話でもないが、彼女は自ら先生と呼ぶ相手に対し、言葉を遠慮しようという気は更々ないらしい。
尤も、遠慮せず言いたいことを言えるのは、彼女のいい所でもある。こと、自分のようにズボラな極楽蜻蛉にとっては特に。
ただ、人とは慣れる生き物でもあり、俺は笑うついでに肺の煙を闇に溶かした。
「煙草ほど悪い臭いでもないでしょうに。乙女ってのは、やっぱり難儀なモンだねぇ。最悪、コロンでもつけますか」
「どうかなぁ。先生、そういうセンスないし」
「……そんな言われる程?」
チクチクとした小言はともかく、槍のように突き刺さってくる素直な感想は素直に痛い。まさかそんな風に思われていたとは。
しかも、何がどうよろしくない、という説明をすることもなく、運転席の彼女は、あっ、と声を上げた。
「前、光った」
「おーおー、こりゃあまた派手に始めたもんだねぇ。さてさてぇ、お祭り好きはどっちやら」
それはまるで遠雷のように、宵闇を割いて山影を薄墨のように浮き上がらせる。人の寄り付かない山中に作られた施設とはいえ、これは笑えるくらいの想定外だ。
ただ、花火のような景色をのほほんと眺めていれば、隣からケンケンケンとセルモーターが鳴き、時代遅れの空冷おんぼろエンジンがヴァオンと雄叫びを響かせた。
「感想はいいから早く乗って! 出遅れるよ! それと、車内は禁煙!」
「はーいはい、わかってますって。おチビ様はせっかちでいけねぇや」
「ち、小さいのは個性でしょ! 次に身長のこと言ったら、山の中に置いていくからね!」
「おっほほ、そいつぁ怖い」
全く、注文の多い上に感情の起伏が激しい教え子である。愛車を禁煙とされるのには慣れたが、気構えという奴くらいはもう少し先生に似たっていいものを。
ただ、口にしたところを本当に蹴り出されてしまってはたまらない為、余計な愚痴はキセルの灰と共に竹筒の中へ落として栓をし、俺は助手席へぬるりと体を滑り込ませた。
「そんじゃまぁ、教え子ちゃんの気持ちも温まってそうなことですし? ちょっくら人攫いと行きますか」




