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さよなら、婚約者様  作者: 雨傘 はる


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7/8

さよなら、婚約者様。


────まあ。ここはどこかしら。


目を覚ますと、知らない天井が映り込んだ。

慈悲深く見下ろす女神様を見つめながら、アデイラは必死に記憶を辿るが、うまく状況を掴めない。


それに、全身が重くて、鉛のようだ。何事だろうか。

身体を起こそうとするも、身動ぎ一つできなかった。


「アデイラ嬢!」


唐突に、大声で呼ばれてびくっと肩が揺れる。

泣きそうな顔で駆け寄ってくるのは、第二王子殿下。ちょっと待ってほしい。淑女が寝ているんですけど。


あれよあれよという間にアデイラは医務官たちに囲まれ、ものすごい勢いで診察を受けた。

そして、自分が夜会で刺されたこと、王宮にいること、専門の医療チームがあること、などを説明された。


「覚えてるかな」


「ええと……なんとなく、ですが。どれくらい眠っていましたか?」


「ふた月だね」


「…………」


それは、身体が重いはずである。お腹の傷は治りかけなのか、そこまでひどい痛みではないが。


「王甥殿下を庇ったのですか? わたくしが?」


それより気になるのは、刺された経緯だ。

なぜかアデイラは、王甥殿下を庇ったのだという。犯人は、隣国の王女を狙っていたのに。


しきりに首を捻るアデイラに、第二王子と医務官たちに緊張が走る。


「あー……アデイラ嬢。覚えている限りでいいから、きみのことを教えてくれるかい」


「え? はい。ええと、デミトリアス公爵家の娘で、十七歳です。両親と兄がいます。夜会では……あ、殿下とダンスの約束をしましたわ」


「……両親や兄、婚約者との関係性は?」


「両親や兄とは、あまり会いません。両親はわたくしに興味がありませんし、兄には嫌われていますので。婚約者とは……婚約者?」


しばし、沈黙が落ちる。考え込むアデイラは、以前のような険も、不安定さもない。


代わりに、


「婚約者は、いないと思いますが……」


最愛だったはずの婚約者の記憶を、一切失っていた。







あらゆることの説明を受けたアデイラは、王甥と婚約していたことや、彼に固執していた自分に驚いた。

とはいえ、納得もしたが。家族と離れられる上、好みの見目の男性と婚約できたら、舞い上がってしまうだろうと思う。


そのあたりのことは覚えていない、というのも理解した。

隣国の王女など、顔も知らない。話を聞く限り、婚約者にまとわりつく嫌な女としか思わないが。


部分的な記憶喪失、というのが、アデイラに下された診断だった。

自分でも、何を忘れていて何を覚えているのかわからない。

けれど、不思議とすっきりとした心地で、気分は悪くない。


両親と兄とも会ったが、体裁のために心配する振りをしているのだな、としか思わなかった。

よそ行きの笑顔で応対するアデイラに、特に兄がひどく衝撃を受けていたが、よくわからないので気づかなかった振りをした。


「王甥殿下との婚約はどうしたい? 陛下は、希望を聞いてくださるそうだ」


久しぶりに顔を見た父は、何だか以前よりずっと老け込んだようだった。

母の泣き腫らした顔も、兄の蒼白な顔色も、舞台俳優のようだと感心する。


「どちらでも。家門の益になる方で」


「そのようなことは考えなくてもよい! 王甥殿下は、ずっと不誠実だったと聞いた。許せないなら、許さなくて構わない」


「…………」


温度差がすごい。

困ってしまったアデイラが視線を向けると、第二王子が間に入って後日の話し合いということでまとまった。


正直、覚えていないので、希望も何もないのだ。

どんな人かは話には聞いたから、なんとなく嫌だなとは思うが、婚約解消の理由には弱すぎる気がする。

何とも思っていないからこそ、家門の益になる方で構わないのだけれど。


その後、王甥という人も訪ねてきた。なるほど好みだな、とまじまじ眺めてしまったが。


「本当に申し訳なかった。王女殿下とは、本当に何もないんだ。許されるなら、きみとの婚約を続けたい」


「…………はあ」


「もう一度好きになってくれとは言わない。ただ、これからは誠実に向き合いたいと思っている」


「そうなのですね……」


ものすごい他人事のような返事しかできず、会話も続かなかったので、こちらもまた後日ということになった。


少し頭痛がする。軽くため息をつくと、まめまめしい第二王子はすぐに薬草茶を出してくれた。


「…………わたくし、あの方が好きだったのですね」


「そうだね。そういう風に、見えていたね」


あまり相性がいいとは思えない。

顔はいいが、罪悪感と後悔と、打算しか窺えなかった。


「臣籍降下したら、爵位はどうなります?」


「彼らは子爵かなあ。隣国との関係にも影響が及んだからね、さすがにこれ以上は難しいと思う」


「でしたら、白紙一択かと。婚約継続を望んでいるのは、公爵家の後ろ盾欲しさでしょう」


「……そうだね」


公爵令嬢の嫁ぎ先が子爵家など、分不相応が過ぎる。

王族でなくなった訳あり王族が、しかも下位貴族の爵位しか与えられない者が、娶っていい身分ではない。


あっさりと結論を出して、家族宛の手紙を書く。できれば、家族との話し合いは文字で終わりたかった。


さよなら、婚約者様。あなたも忘れてくださっていい。




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