心の静謐
クロードを追いかけなくなると、途端に手持ち無沙汰になる。
アデイラは今、非常に困っていた。
いつもなら、ほんの少しでも会おうと、王宮の彼の職場に出向いて差し入れをしたり、門の前で待ってみたり。
手紙を書いて、贈り物を選んで、夜会のドレスを仕立て、嫁入り教育のため呼ばれてもいない王弟宮へ行く。
クロードに関することをしなくなると、茶会や家政くらいしかやることがない。
うろうろと落ち着かないアデイラは、気を紛らわすため茶会の予定を多く入れた。人脈と情報にさらに強くなった。
恋心は、ずっとある。会いたい気持ちも。ただ、向き合う勇気がない。
他の人に恋をするクロードは、アデイラにとって恐怖の対象でもあった。
絶対に振り向かない婚約者。他の人を愛する婚約者。
アデイラにはいつも素っ気なく、手紙も贈り物も、夜会のドレスもダンスもない。
笑顔など、最後に向けられたのはいつだったか。名前を呼ばれたのは。
そんなことを考え出すと、ぐるぐると淀んだ沼に足を取られて、身動きが取れなくなった。
きっと、そろそろクロードは訝しむ。あんなに執着していたアデイラだから、急に距離を取ったら怪しむかもしれない。
わかっているのに、どうしても動けない。
両親にも、兄にも愛されないアデイラには、クロードしかいないのに。
彼と婚姻しても、最低限の義務すら果たされるかどうか。
そのうち、疎むことすらなくなって、視界にも入らなくなるかもしれない。
一生、死ぬまで、だ。
ぞっとする。今のような孤独が、きっと死ぬまで続くのだ。
でも、もう決まったこと。貴族の政略結婚など、本人の意思は関係ない。当主が決めるものだ。
クロードからの先触れを受け取ったのは、そんな日々の合間。
どうしたものかと迷っている間に、彼の来訪を告げられて仕方なく身支度をした。
私的スペースではなく客間を指定したアデイラに、専属侍女は少し心配そうにしながらも、静かに部屋を辞した。
いつも義務的な彼女が感情を表に出すほど、今の自分は正常じゃないのか。もう、アデイラにはわからない。
愛しの婚約者に会うというのに、以前の胸の高鳴りがない。
ただ、客間の扉越しに女性の笑い声が聞こえた瞬間、一度だけ大きく鼓動が脈打った。
「まあ、アデイラ。体調はいかがかしら。クロードに無理を言って、訪ねさせてもらったの」
客間には、クロードと隣り合って王女がいた。
深いカーテシーの間で、アデイラは腹をくくる。もう、痛みすら感じない。
「最近、王宮にいらっしゃらないでしょう。少しお痩せになったかしら。どこかお悪いの?」
「お気遣い感謝いたします、王女殿下」
「いいのよ。クロードったら、お見舞いも行っていないと言うのだもの。お花くらい贈りなさいと叱っておいたわ」
「大丈夫ですわ」
淑女の笑みを貼りつけて、至って穏やかに言葉を交わすアデイラを、クロードが訝しげに見ている。
けれど、そちらに視線を向けることはせず、アデイラは王女のおしゃべりに耳を傾け続けた。
婚約者の前で、親しげに名前を呼んで、普段のやり取りを語って聞かせる。
王女は、どの立場で、どんなつもりでここに来ているのか、アデイラにはさっぱりわからない。
わからないのはクロードもだ。王女に向ける瞳に親しみ以上のものが籠っていると、もうすでに社交界中が知っている。
だというのに、堂々と婚約者の前に連れ立って現れるとは、どういう心情だろう。
────わたくしに暴れてほしいのかしら……。
王女を傷つけたと、責任を転嫁したいのか。そんな理由しか、捻くれたアデイラには浮かばないのだけれど。
「…………元気がないな」
「そうそう、王女殿下。以前の夜会のドレス、素敵でしたわ」
ぼそりと小さな囁きは聞かなかったことにした。王女はすぐに頷き、笑顔を咲かせる。
「あれね。ふふ、あれはクロードが選んでくれたのよ」
ぎしりと、心臓が嫌な音を立てた。耳鳴りがする。
「どちらにしようかしらって悩んでいて……そしたら、黄色の方が似合いますよ、って言ってくれてね。選んだとは少し違うけれど」
「……とてもお似合いでしたわ」
「まあ、ありがとう。あなたのドレスも、いつも素敵だわ」
ああ。なんだろう。こころが、ひどくにぶい。
世界が急激に遠のいて、自分一人きり弾かれたような心地になる。
苦痛すら感じないまま、お見舞いという名目の王女の語りの時間が終わると、すぐに自室へ戻り人払いをした。
先ほど飲んでいた紅茶をすべて吐ききり、それでも足りず胃液まで吐いて、ようやく落ち着く。
────心の音が、しない。
あまりに静かで、あまりに平坦で。ただ、冷たい。




