48.リリアの黒い闇
シルムとレゼフィーヌがダンスで広間を湧かせている間、遠く離れたバルコニーでは、リリアと侯爵夫人が身を休めていた。
夜風が心地よく庭の木々を照らし、遠くからはパーティーの喧騒がかすかに聞こえてくる。
リリアはそんな人々のざわめきを横目で見ると、きつくハンカチを噛みしめた。
「なんですの、あれ。お姉様のくせに調子に乗って」
隣にいた侯爵夫人も眉を吊り上げる。
「本当に。本来ならばシルム殿下の隣には、わたくしの可愛いリリアがいたはずなのに」
「そうよ。それなのにどうしてあの野蛮な魔女があそこにいるのよ!」
リリアは力任せにバルコニーの手すりを殴った。
シルム殿下の隣に立つのは――王妃になるのは自分だったはずなのに、どうして自分では駄目だったのだろう。
リリアは、レゼフィーヌの滴る蜜のような美しい金髪を思い出した。
手が自然に自分の真っ赤な巻き毛に伸びる。
「私が金髪じゃないからかしら? 私もお母様やあの女みたいな美しい金髪だったらシルム殿下を射止められたかしら」
目をうつろにし、ぶつぶつと呟いたリリアの言葉に侯爵夫人は驚く。今までリリアが自分の髪色を気にしたことなどなかったのに。
「な、何言ってるのよ。言ったでしょ、あなたの髪色はお母様――あなたのお祖母様から受け継いだものだって。とても美しいわ」
侯爵夫人は説明したが、リリアは納得しない。
「でもこの髪色じゃ、あの女みたいな美しい色のドレスも似合わないのよ。私に似合うのは臙脂やモスグリーンみたいな地味でくすんだ色ばかり。お母さまのせいよ。お母さまがこんな髪色に産むから!」
「リリア、そんなことなくてよ」
泣きじゃくる娘を慰めようとした侯爵夫人だったが、不意に背筋がゾッと寒くなり伸ばしかけた手を止める。
「……どうしたの? お母様」
リリアが振り返り首を傾げる。その体には、どす黒いモヤのような瘴気が幾重にも巻き付いていた。
「リリア……あなた……その黒いのは何!?」
侯爵夫人が後ずさりをしながら小さく声を上げると、リリアはまるで暗闇の猫のように瞳孔を真っ黒にし、にやりと口元を歪ませて笑った。
「あら、お母様にも見えるようになったの? ゼンがお母様には魔法の才能はないから大丈夫って言ってたけど、やはり私の母親なのね」
「何を……何を言っているの!?」
侯爵夫人は訳が分からず驚愕の表情でリリアを見つめた。
リリアの体は、足元から頭まですっぽりと邪悪な黒い瘴気に覆われている。
詳しくは分からないけれど――目の前に立っているのは、自分の娘の姿をしているけれどそうではない《《なにか》》に見えた。
リリアは怯える母親に、まるで幼い少女のように無邪気に笑ってみせた。
「大丈夫よ。私、すごく強い力を手に入れたの。もうすぐ望むすべてが手に入るわ」
そう言うと、リリアは恐怖のあまり腰を抜かして動けない侯爵夫人をその場に残し、パーティー会場へと戻って行った。
「シルム殿下、私と踊ってくださらない?」
リリアがレゼフィーヌとのダンスを終えたシルムに近づく。
シルムはレゼフィーヌのほうをチラリと見た。レゼフィーヌは侯爵のお客様と談笑していてしばらく抜けられなそうだ。
「ああ……いいよ」
断るのも失礼だろうと、シルムはリリアの手を取り踊り出した。
音楽が軽やかなワルツから最近はやりの情熱的な異国の音楽に代わる。
シルムはリリアの手をしっかりと引き、紳士のお手本のようにリードをしながら踊りの輪の中へと導いた。
踊り出してすぐに、シルムはリリアの放つどこか邪悪な気配に気が付いたが、シルムはそれを顔に出さず、毅然とした動きでダンスを続けた。
微塵も怯む様子はないシルムの様子に、リリアはクスリと笑った。
――やっぱり王太子殿下は素敵だ。自分のものにしたい。
リリアの心の中でそんな欲望がふつふつと膨らんでいく。
美貌の王太子も、将来の皇后の座も、地位も名誉も金も、全部全部自分のもの。
レゼフィーヌお姉様にはあげないわ。絶対に……!
バイオリンが大きく弦をしならせる。次第に高まりを迎える音楽。
リリアは挑発するようにシルムに近づくと、腰をくねらせ煽情的に足を絡めた。
シルムはというと、微動だにせず、少しだけ目を細めてリリアを見下ろした。
リリアは満足そうに真っ赤な唇の端を上げると、顔が近づいた一瞬に、低い声で囁いた。
「今晩、一人で来てください。あなたの知りたいことをすべてお話しするわ」
シルムが驚き目を見開くと、リリアはクスリと無邪気な少女のように笑った。
曲が終わり元のゆったりとしたワルツに戻ると、リリアはスカートの端を持ち上げて頭を下げる。
「踊っていただけて光栄でしたわ」
「いえ、こちらこそありがとう」
シルムも頭を下げ、握手を交わす。
――ガサリ。
その瞬間、シルムの手の中に一枚の紙が握らされた。
人気のない廊下に移動し広げてみると、そこに書いてあったのは地図だった。どうやらここに来いということらしい。
シルムはこのことをレゼフィーヌに話すべきか迷った。
リリアは一人で来いと言っていたが、レゼフィーヌに話せば、きっと自分もついていくというだろう。
リリアに見つからないようについていければいいだろうが、もし万が一見つかったらレゼフィーヌが危険にさらされるかもしれない。
――やはりここは自分一人で行くべきだろう。
シルムはパーティーが終わると、誰にも見つからないようにこっそりと城を出た。
途中シルムはリリアから貰ったメモを部屋に忘れてきたことに気づいた。
だけれど場所ははっきりと覚えている。昔レゼフィーヌとよく木登りをして遊んだ大きな白樫の木がある丘だ。
暗く人気のない獣道を、月明かりだけを頼りに歩くと、やがて大きな樹の下に立つ、赤毛の少女が見えてきた。
「ごきげんよう、王太子殿下」
月明かりを受け、リリアはニヤリと悪魔の様な笑みを浮かべた。
――ああ、早くこの人を自分のものにしたいわ。
――待ちきれない!
そんな感情を隠しもせずに――。




