18.薔薇の記憶
「シルム!」
レゼフィーヌは信じられない気持ちでシルムの名を口にした。
――どうしてシルムがここにいるのだろう。
(幻じゃ……ないわよね?)
「レゼ……レゼ!」
必死に川辺へと書けてくるシルム。
「シルム……」
レゼフィーヌは一瞬戸惑ったものの、この際仕方ないと片手を上げた。
「私はここよ!」
「分かった。今行くよ」
レゼフィーヌが必死で叫び手を上げると、シルムはレゼフィーヌに向かって手を振り、腰にロープを括り付け、それを反対側を木の幹に結びつけた。
「シルム殿下、何をなさるおつもりですか」
顔を青くするアレクをよそに、シルムはきっぱりと言い放つ。
「僕がレゼを助けに行く」
「いけません。流れも速いし、殿下に何かあったら大変なことになります。それでしたら私が――」
「大丈夫。僕が助けたいんだよ。アレクはその縄が取れないようにしっかりと持っていてくれ」
そんなやり取りの後、シルムはアレクの制止も聞かず無理やり流れの速い川に飛び込んだ。
「こっちだ」
川に流されながらもレゼフィーヌへ手を伸ばすシルム。
レゼフィーヌが思い切ってシルムの手をつかむと、シルムはレゼフィーヌの体をぐっと自分のほうに引き寄せた。
「よし。僕の体にしっかりつかまっていて」
耳元で低い声がして、レゼフィーヌはこくんとうなずくと、言われた通りシルムの体に無我夢中でしがみついた。
――その瞬間、安堵からか、レゼフィーヌの意識はがくんと遠くなった。
***
混沌とする意識の中で、レゼフィーヌは走馬灯のような夢を見ていた。
――蘇ってきたのはレゼフィーヌがまだ六歳か七歳の時の記憶だ。
その日は今日のようなどんよりと曇った空の日で、午後から大切なお客様が来ると言って、お城の中は大騒ぎだった。
「コクオウヘイカが――」
「シルムデンカが――」
飛び交うそんな言葉たちも、幼いレゼフィーヌには関係がない。
レゼフィーヌは忙しく来客の準備をする両親や使用人たちの姿を尻目に、薔薇の花の咲き誇る庭へと向かった。
「よしよし、しっかり根付いてきているみたいね」
レゼフィーヌが手にしているのは、小さな薔薇の咲いた植木鉢だった。
レゼフィーヌは、植木鉢で植物を育てるのに夢中だった。絵本に出てくる花の魔女・セラに憧れていたからだ。
セラと言うのは実在した魔女の自伝を基にした小説『魔女とドラゴン』に出てくる伝説の魔女のことで、この頃のレゼフィーヌの一番のお気に入りの魔女だった。
気高くも美しい花の魔女・セラは、その持ち前の魔法と薬作りの腕前で王宮内で起こる数々の難事件を解決する。
(私もセラになるためにお花をたくさん育てなくっちゃ)
そう思ったレゼフィーヌは、庭師が剪定した薔薇の花の枝をもらい、それを土に差し、株を増やすことにした。
初めはセラにあこがれて始めた挿し木だったが、挿すだけで花が増えるのが面白くて、レゼフィーヌはどんどん植木鉢を増やしていったのであった。
ポツリ。
と、レゼフィーヌの細い腕に冷たい雨粒が落ちてきた。
空を見上げると、ポツポツと小雨が降り出ている。真っ黒な雲。嵐が来そうな気配がした。
「大変。お花を屋根のある所に入れなくちゃ」
植木鉢に差した枝の中には、根が完全に出ていないものも多い。そういった株は少しの風や雨で倒れてしまうこともある。
特に薔薇はデリケートで少しでもやり方を間違えるとたちまち痛んだり枯れたりしてしまう植物だ。
「急がないと」
レゼフィーヌは雨に濡れるのも気にせず、急いで庭に向かった。
「良かった。まだしおれてないわ。急いで軒下に移さないと」
レゼフィーヌがお花の鉢を移動させていると、不意に後ろから声をかけられた。
「大丈夫? こんな雨の中何してるの?」
振り返ると、サラサラの銀髪に、芽吹いたばかりの若葉のような緑の瞳。
まるで宗教画に描かれた天使の絵みたいに神々しく美しい男の子――シルムがいた。
これが、レゼフィーヌとシルムの出会いだ。




