16.アレクの憂鬱
「それじゃあ、とりあえず乾杯!」
その頃、村唯一の酒場では、シルムが笑顔で巨大なグラスを掲げていた。
ぐびぐびとビールを飲み干したシルムは、いかにも上機嫌で、今にも踊り出しそうに見える。
一方で向かいの席に座ったアレクは、真面目くさった顔で頭を抱え、主君に苦言を呈した。
「殿下、とりあえず乾杯と言われましても、今までの話のどこに乾杯する要素があったのですか?」
「えっ、なぜ乾杯するのか分からないのかい?」
大きなグリーンの瞳を見開き、不思議そうな顔をするシルム。
アレクは大きなため息をついた。
「ええ。いばら姫には講師の件を断られたのでしょう。どうしてそんなに嬉しそうなのですか?」
「それは、僕と愛しい人が思いがけず再会したからだよ」
シルムがいつになく上機嫌で語る。
アレクは半信半疑で尋ねた。
「幼馴染の侯爵令嬢でしたっけ。確かなのですか? もう七年も会っていないのでしょう? 偽物の可能性は?」
アレクの疑問に、シルムはぴしゃりと言ってのける。
「間違いないよ。あの輝くばかりの波打つ金髪、猫みたいに大きな蒼い瞳。幼いころと全く変わっていない」
シルムはうっとりと宙を見上げ、先ほど会ったレゼフィーヌの姿を、声を、香りを頭の中で反芻する。
そんなシルムの様子を見て、アレクは眉間に深く皺を寄せた。
アレクはシルムに騎士として仕えて五年になるが、こんな様子の主君を見るのは初めてだった。
シルムは少し素直すぎる――というか抜けたところはあるものの、公務に対しては真面目だった。
今まで女性と浮名を流したり女性問題に悩まされたりするところも見たことがない。
アレクはじっとシルムの顔を見つめた。
髪は月の光を閉じ込めたかのような美しい銀髪。
瞳は木漏れ日のように優しく煌めくグリーン。
整った鼻筋に穏やかな口元。
長身の体は均整がとれ、気品と優雅さをたたえている。
ただ微笑みを浮かべて歩くだけで女性たちのが群がり熱い視線が注がれる、そんな貴公子――それがシルムだ。
それなのにどうしてそこまでレゼフィーヌにこだわるのか、アレクには到底理解できなかった。
確かに、一瞬しか顔は見ていないがレゼフィーヌはその辺の貴族の娘よりずっと美人に見えた。
アリシア侯爵家と言えば名門貴族で、結婚相手として不足というわけではない。
しかしシルム殿下はレゼフィーヌの妹のリリアと婚約中のはずだ。
それなのに七年も王都を離れ、森の中で魔女修業をしていた女性を妃に迎えるだなんて前代未聞のことだ。
(あの魔女に騙されているのではないか)
アレクの頭の中に、ふとそんな思いがよぎった。
「いばら魔女」に、何か妙な呪いでもかけられているのではあるまいか。
考えれば考えるほど、自分の考えが間違いないように思える。
(……シルム殿下の身に降りかかりそうな不安要素は少しでも排除しておかなくては)
アレクはテーブルの下できつく拳を握りしめた。
「しかし、妃になるのも講師になるのも断られたのでしょう? それならばすっぱり諦めて、早く次の候補へ声をかけたほうが良いと思います。どうです、この『洞窟の魔女』なんて良さげでは」
アレクが講師候補の名簿をパラパラとめくっていると、シルムはきっぱりと言い放った。
「断る」
「し、しかしシルム殿下」
慌てるアレクの目をじっと見つめ、シルムは言った。
「いいかい、アレク。魔導学園の講師候補は他にもいるかもしれないけれど、僕の花嫁候補は彼女一人だけだ。断られたから次にというわけにはいかないんだ」
「シ……シルム殿下……」
シルムはグラスに入った葡萄酒をぐいと飲み干すと、こう続けた。
「それに一度断られたくらいで引き下がるだなんて誠意がないと思わないか。本当に彼女を妃にしたいのならば、最低三回は頭を下げるべきだ」
「ではもし三回頭を下げても駄目でしたら?」
「それだったら十回頭を下げよう。それでも駄目なら百回頭を下げればよい。本気ならばそれぐらいすべきさ」
まっすぐにアレクの顔を見てそう言ってのけるシルム。
アレクは頭を抱えた。
いつもは素直でかわいい弟のようなお坊ちゃまだが、一方でシルムは自分でこうと決めたら絶対に引かない頑固さもある。
(仕方ない。ここは黙ってシルムの気が済むまでやらせるほかないか。だが、万が一シルム殿下に危害が加えられるようなことがあったら……)
アレクはテーブルの傍らに立てかけた剣を横目で見た。
すう、と小さく息を吸い込む。
(――この剣で、刺し違えてでもシルム殿下をたぶらかす魔女を倒さねばならないだろう)




