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第82話「静かなる臨界点」

【Side: Mia】

 3月。王都に春の訪れを告げる、雪解けの季節。 『卒業パーティー』という運命のXデーまで、残すところあと2週間と迫っていた。 講堂への「隔離結界」の仕込みは、見守る会(王子たち)の謎の協力もあって、9割方完成している。私の「光のメス」の精度も、ミクロン単位の操作が可能なレベルにまで達した。


 準備は、ほぼ完璧だ。 しかし、唯一にして最大の問題が、私たちの目の前に重くのしかかっていた。


「……ケホッ、ゴホッ……!」


 深夜。隣のエリザベート様の私室から、苦しげな咳き込みが壁越しに聞こえた。 私は弾かれたようにベッドから飛び起き、コネクティングドアを抜けて音のした洗面所へと駆け込んだ。


「お姉様!」


 エリザベート様は洗面台に両手をつき、肩を激しく上下させていた。 その背中は、以前よりもさらに細く、儚くなっている。 そして、彼女が口元を押さえている純白のハンカチには──ドス黒く濁った、タールのような血がべっとりと付着していた。


(……本物の、血だわ)


 以前、彼女が食堂で吐いたような、甘い匂いのするシロップではない。 鉄錆と、そして鼻をつくような「腐敗」の臭いが混じった、本物の瘴気を帯びた血液。 私は血の気が引くのを感じながら、彼女の背中を力強くさすった。


「お姉様、大丈夫ですか! 今すぐ浄化を……!」


「……いいわ、ミア。触らないで。貴女まで、汚れてしまう……」


 エリザベート様が、息も絶え絶えに私を制した。 彼女の顔色は土気色を通り越し、まるで死人のように青白い。 そして、首筋から鎖骨にかけて、黒い毛細血管のようなものが不気味に浮き出ているのが見えた。


(魔力回路が……瘴気に侵食され始めている!)


 私の全身が粟立った。 ここ最近、彼女の体調は急激に悪化していた。 青汁を飲ませても、栄養を摂らせても、それを超えるスピードで彼女の生命力が削り取られていく。 原因は明白だ。 「卒業パーティー」という破滅のシナリオが近づくにつれ、この世界を支配する「システムの強制力」が、彼女を『魔女』として強制的に受肉(覚醒)させようと、その出力を最大限に高めているのだ。 彼女の体は今、内側から溢れ出ようとする巨大な悪意の塊を、必死の精神力だけで封じ込めている状態(臨界点)だった。


「触らないでって言われて、誰が言うことを聞くんですか!」


 私は彼女の言葉を無視して、彼女の背中に両手を密着させた。 そして、自分の体内の魔力を限界まで引き出し、『浄化』と『治癒』の光を彼女の体に全力で流し込む。


「うぅ……っ!」


 エリザベート様が苦悶の声を漏らす。 私から流れ込む光の魔力が、彼女の体を蝕む瘴気と激しく衝突し、熱を生んでいるのだ。 痛だろう。苦しいだろう。でも、ここで瘴気の進行を止めなければ、彼女はパーティーの日を待たずに魔女に飲み込まれてしまう。


「耐えてください……! あと少し、あと2週間だけですから……!」


 私は祈るように、彼女の背中に額を押し付けた。 私の魔力が、彼女の中の黒い靄を少しずつ、少しずつ押し留めていく。 浮き出ていた黒い血管が、ゆっくりと肌の下へ退いていくのが見えた。


 数分後。 荒かった彼女の呼吸が、ようやく落ち着きを取り戻した。


「……はぁ……はぁ……」


「……お疲れ様です、お姉様」


 私は汗だくになりながら、彼女にうがい用のコップを手渡した。 口をゆすぎ、洗面台の汚れを水で流したエリザベート様は、鏡の中の疲れ切った自分の顔を、自嘲気味に見つめた。


「……本当に、面倒な体ね」


「そんなことありません」


「ねえ、ミア」


 彼女は、鏡越しに私を見た。 その赤い瞳には、いつもの強気な悪役の光は消え、ただ一人の少女としての弱さが浮かんでいた。


「もし、パーティーの日に……私が完全に魔女に飲み込まれて、貴女の声も届かなくなってしまったら」


「させません」


「最後まで聞きなさい。……もしそうなったら、貴女の『光のメス』で、私の魔力回路ごと、心臓を貫きなさい」


 彼女は、震える手で自分の胸の中央を指差した。


「私が完全に化け物になる前に、貴女の手で終わらせてちょうだい。……それが、私から貴女への、最後のお願いよ」


「……」


 私は唇を噛み締めた。 血の味がした。 彼女はまだ、自分が死ぬことで世界を救おうとする「自己犠牲」の逃げ道を残している。 自分が耐えきれなくなった時の保険として、私に「処刑人」の役割を押し付けようとしているのだ。


 私は彼女の肩を掴み、無理やり私の方を向かせた。 そして、彼女の赤い瞳を真っ直ぐに睨み据えた。


「お断りします」


「……ミア」


「言ったはずです。私は貴女を絶対に死なせない、地獄の果てまで付きまとう悪魔ストーカーだと」


 私は彼女の手を取り、両手でしっかりと握りしめた。 冷え切った、細い手。この手で、彼女はずっと一人で世界を支えてきたのだ。


「貴女が魔女に飲み込まれそうになったら、私が力ずくで引きずり出します。魔力回路が暴走したら、私が全部繋ぎ直します。……だから、貴女は『生きる』ことだけを考えてください。絶対に、諦めないでください」


 私の気迫に気圧されたのか、エリザベート様は少しだけ目を見張り、やがてふっと、諦めたように、そしてどこか安堵したように微笑んだ。


「……本当に、貴女には敵わないわね。白衣を着た悪魔(天使)さん」


「はい。貴女だけの、最強の悪魔です」


 私たちは、洗面所の冷たい床の上で、互いの体温を確かめるように身を寄せ合った。 タイムリミットまで、あと14日。 彼女の体は限界ギリギリだ。でも、心は絶対に折れさせない。 この残酷な世界に反逆し、二人で明日を笑って迎えるための、最後のカウントダウンが始まっていた。


Xデーまで残り2週間。ついにエリザベートの体が、瘴気に侵食される臨界点を迎えてしまいました。

「触らないで。貴女まで汚れてしまう……」

死人のような顔色で、自分が完全に化け物になった時は「光のメスで心臓を貫きなさい」と最期の願いを口にするエリザベート。

しかし、白衣を着た悪魔ストーカーがそんな自己犠牲を許すはずがありません!

「貴女が魔女に飲み込まれそうになったら、私が力ずくで引きずり出します」

洗面所の冷たい床の上で交わされる、究極の信頼と生存への誓い。いよいよ、運命への反逆のカウントダウンが始まります!

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