第79話「光のメスと、不器用な被検体」
【Side: Mia】
深夜の王立学園、特別魔力訓練室。 私は防音・防魔の結界が張られたその部屋で、一人、額から大粒の汗を流しながら杖を構えていた。 視線の先にあるのは、宙に浮かせた数十本の「縫い針」だ。
「……ふぅッ!」
私が息を吐き出すと同時に、杖の先から細い絹糸のような光の束が放たれる。 光の糸は、空中の針の穴を次々と正確に通り抜けていくが、最後の一本の直前で僅かに軌道がブレて、針を弾き飛ばしてしまった。
「ああっ、また失敗……。出力が安定しないわ」
私は膝に手をつき、荒い息を吐いた。 『瘴気抽出オペ』の決行まで、残された時間はあと数ヶ月しかない。 しかし、このオペには解決しなければならない、途方もなく高い技術的な壁が存在していた。
エリザベート様の体内に蓄積された「魔王の瘴気」は、胃や腸に塊として存在するような単純なものではない。 彼女の全身に張り巡らされた「魔力回路」そのものに、ツタのように複雑に絡みついているのだ。 一般的な聖女の『浄化魔法』をそのままぶつければ、瘴気ごと彼女の正常な魔力回路まで焼き切ってしまい、彼女は二度と魔法が使えない体になるか、最悪の場合は命を落とす。
(だから、浄化の光を『メス』のように極限まで細く、鋭く研ぎ澄まさなければならない)
正常な細胞(魔力回路)と、ガン細胞(瘴気)の境界線を、ミクロン単位で正確に切り分ける「光のメス」。 前世の外科医たちがメスを握る指先に全神経を集中させたように、私も自分の魔力コントロールを神業の領域まで引き上げる必要があった。 こればかりは、いくら私が規格外の魔力量を持っていても、一朝一夕で身につくものではない。来る日も来る日も、こうして血を吐くような反復練習を続けるしかなかった。
「……また、そんな無茶な特訓をしているのね」
背後から声がして振り返ると、エリザベート様が立っていた。 手には、小さなバスケットが握られている。
「エリザベート様! 寝ていてくださいと言ったでしょう?」
「馬鹿ね。主治医が徹夜しているのに、患者の私がのうのうと眠れるわけないでしょう」
彼女は呆れたように言いながら、バスケットから保温ポットとカップを取り出した。 注がれたのは、いつもの殺人的な青汁ではなく、シナモンと林檎の甘い香りがするホットワイン(ノンアルコール)だった。 私が彼女の健康を管理し始めてから、彼女も時折、こうして私の「過労」を物理的に止めに来るようになったのだ。
「飲みなさい。糖分と水分が足りていないわよ。魔力酔いを起こすわ」 「……ありがとうございます」
温かい液体が、冷え切った体に染み渡っていく。 エリザベート様は、床に落ちた縫い針を拾い上げながら、静かに口を開いた。
「ねえ、ミア。そんなに針の穴を通すような真似、しなくてもいいのよ」
「え?」
「私の魔力回路の二つや三つ、瘴気ごと焼き切ってしまっても構わないわ。魔法が少し使えなくなる程度、死ぬことに比べればどうってことない。だから、もっと大雑把に、楽に切り取って頂戴」
彼女は、自分の体を傷つけることになんの躊躇いもなくそう言った。 相変わらず、自己犠牲のハードルが低すぎる。 私はカップを置き、彼女の手から縫い針を奪い取った。
「却下です。医療において『少しくらい傷ついてもいい』なんて妥協は許されません」
「でも、時間がないでしょう? 貴女が倒れたら元も子もないわ」
「倒れません。私がメスを入れる時は、貴女を絶対に無傷で生還させる時だけです。患者は大人しく、私の技術向上を信じて待っていてください!」
私がキッと睨みつけると、彼女は少しだけ目を見開き、やがてフイッとそっぽを向いた。
「……頑固な平民ね。せいぜい、私の期待に潰されないように頑張ることね」
口では憎まれ口を叩きながらも、彼女の耳がほんのり赤くなっているのを、私は見逃さなかった。 阿吽の呼吸には程遠い。でも、私たちは不器用なりに、同じゴールに向かって歩み始めている。 私は再び杖を構え、光の糸を練り上げ始めた。 絶対に間に合わせてみせる。彼女の魔力回路を、一本たりとも傷つけない完璧なメスを。
瘴気だけを切り取るための「光のメス」の特訓に、血を吐くような努力を重ねるミア。
そこへ、ホットワイン(青汁ではない)を差し入れに来たエリザベートが「少し魔力回路が傷ついてもいいわよ」と甘い自己犠牲を口にしますが……。
「妥協は許されません! 絶対に無傷で生還させます!」と元ナースが一蹴!
憎まれ口を叩きながらも耳を赤くするエリザベートと、絶対に諦めないミア。不器用な二人の絆が、夜の訓練室で静かに、けれど熱く結ばれていきます。




