第61話「悪役令嬢のストライキ」
【Side: Elizabeth】
10月下旬。学園祭の熱狂が過ぎ去った王立学園は、少しずつ冬の足音を感じさせる冷たい風に包まれるようになっていた。 私の自室の机の上には、可愛らしい封筒の山ができている。
「……アンナ。これは何かしら?」
「学園祭の演劇に感動した下級生や、他クラスの生徒たちからのファンレターです。お嬢様の『前衛的で孤高の自己犠牲』に心を打たれたと」
無表情で答える専属メイドのアンナから視線を逸らし、私は深いため息をついた。 もう嫌だ。何もかもが嫌になった。 孤高の悪役として君臨し、皆から石を投げられるはずだったのに、どうして私は「ファンクラブ」なんてものを結成されかけているのか。
「……燃やしてちょうだい。跡形もなく」
「よろしいのですか? 中にはクリストファー殿下からの『今週末、お茶でもどうだい』というお手紙も混ざっておりますが」
「それは一番火力の強い炎で燃やしなさい!!」
私はベッドにドサリと倒れ込み、枕に顔を押し付けた。 このままでは、まずい。 私がどれだけ知恵を絞り、身を削って悪事を働いても、あの平民のヒロイン(ミア・ゼン・シャーカン)と、ポンコツ王子たちの「超解釈フィルター」を通すと、すべてが美談に書き換えられてしまう。
好感度が上がれば上がるほど、私は断罪から遠ざかる。 それはつまり、私が生き残り、私が抱え込んでいる魔女の瘴気が溢れ出し……この世界がバッドエンド(滅亡)を迎えるということだ。 焦燥感で胃がキリキリと痛む。 早く。早く私を憎んで、断罪してくれなければ困るのだ。この身が魔女に乗っ取られる前に。
「もういいわ。私、ストライキを起こす」
「ストライキ、ですか?」
「ええ。これ以上、自分から動いて『勘違いの善行』を積み重ねるリスクは冒せないわ。今日から私は、ただただ『傲慢で怠惰で、他人に迷惑をかけるだけのダメな貴族』になるのよ」
私は枕から顔を上げ、ギラリと目を光らせた。 そうよ、これなら絶対に美談にならない。 自堕落に生き、ヒロインをただの小間使いのように理不尽にこき使う。 世界を救うためとはいえ、これまでの積極的な悪役ムーブが裏目に出るなら、受動的な『失望と軽蔑』を買うルートに切り替えるしかない。 物理的な危害を加えない「ネチネチとしたパワハラ」なら、いくらミアでも「愛の指導」だとは解釈できないはずだ。
「アンナ。今すぐミアさんをこの部屋に呼びなさい。私の肩を揉ませて、お茶を淹れさせて、徹底的に顎で使って、底知れぬ失望を与えてやるわ!」
「……畏まりました。胃薬を飲んでからお呼びしてまいります」
アンナはなぜか深い溜息をつき(メイドなのに!)、部屋を出ていった。
数分後。 「失礼します、エリザベート様!」という元気な声と共に、ミアが部屋に入ってきた。 手には、お馴染みの「特製青汁」が入った小瓶が握られている。
「……それは要らないわ。そこに置きなさい」
「ですが、日課の栄養補給が……」
「私の命令が聞けないの!? 平民の分際で!」
私はふんぞり返り、最も傲慢に見える角度で彼女を睨み下ろした。 さあ、理不尽なワガママの始まりよ。
「今日は気分が乗らないの。貴女、私の肩をお揉みなさい。それから、最高級の茶葉で紅茶を淹れて、クッキーを一口サイズに割って私の口に運びなさい。私は指一本動かしたくないのよ」
「……え?」
「どうしたの? 悔しい? 自分は聖女候補なのに、ただの小間使いみたいに扱われて。さあ、こんな私を軽蔑して、憎みなさい!」
「喜んで!!!」
ミアは目を輝かせ、青汁の瓶を放り投げる勢いで机に置いた。 そして、猛烈なスピードで私の背後に回り込み、私の肩に両手を乗せたのだ。
「えっ? ちょっ……」
「お任せください! 今日のエリザベート様は、いつもより首から肩甲骨にかけての僧帽筋がガチガチに固まっています! 極度の精神的疲労ですね!」
「いや、だから私は貴女をこき使って軽蔑されようと……」
「はい、息を吸ってー。吐いてー。そこです!」
ググゥッ!
「ひんッ!?」
彼女の親指が、私の肩の最も凝っている部分に、恐ろしいほどの正確さで食い込んだ。 ただの力任せではない。筋肉の繊維を的確に捉え、老廃物を押し流すようなプロフェッショナルのマッサージ。
(ダメよ玲子! こんな快楽に溺れては! 私は世界のために死ななければならないのに……!)
(でも……凄まじく気持ちいい!)
「どうですか? 力加減は?」
「あ、あう……もう少し、右……」
「こちらですね。はい、リンパを流しますよー」
ダメだ。抵抗できない。 私の崇高なストライキ(怠惰な悪役計画)は、ミアの嬉々とした過剰介護によって、ただの「至福のリラクゼーション・タイム」へと成り下がってしまったのだった。
学園祭の大成功により、悪役どころか「ファンクラブ」まで結成されそうになっているエリザベート。
これ以上の善行(勘違い)リスクを避けるため、ついに「ただの我儘で怠惰なダメ貴族になる!」というストライキを決行します。
「私の肩を揉みなさい! お茶を淹れなさい! さあ私を軽蔑して!」
……しかし、呼び出されたヒロインは「喜んで!!!」と目を輝かせ、プロ顔負けの指圧マッサージを開始。崇高な悪役計画は、あっけなく「至福のリラクゼーション・タイム」へと陥落するのでした。




