第53話「星空の告白」
【Side: Elizabeth】
8月の終わり。 別荘での「孤高のバカンス計画」は、ミア・ゼン・シャーカンという光属性の不法侵入者(※王命持ち)によって、完璧な「健康増進・領地振興キャンプ」へとすり替えられてしまった。
湖畔を渡る夜風には、すでに秋の気配が混じっている。 私は寝香水をつけるのも忘れ、テラスの籐椅子に深く腰掛けて、満天の星空を見上げていた。
「エリザベート様。夜風が冷えてきましたよ。温かいカモミールティーをお持ちしました」
背後から、すっかり聞き慣れた(そして逆らえない)声がして、サイドテーブルに湯気を立てるティーカップが置かれた。 ここ数週間、私の食事も睡眠も、すべてこの男爵令嬢に管理されている。 あの殺人的な味の「特製青汁」のおかげで、私の肌はかつてないほどツヤツヤになり、徹夜で悪巧みをする体力すら有り余っているというのに、彼女は私を夜の十時にはベッドへ追いやるのだ。
「……ありがとう。少し、ここに置いておいてちょうだい」
「はい。でも、冷めないうちに飲んでくださいね」
ミアは隣の椅子に座り、私と同じように星空を見上げた。 本来なら「平民が私の隣に座るなど不敬よ!」と怒鳴り散らすべきなのだが、不思議とそんな気にはなれなかった。
(……私も、少し毒気が抜かれてしまったのかしらね)
温かいティーカップを両手で包み込むと、ハーブの優しい香りが鼻腔をくすぐった。 領地視察での「悪の経済政策」の一件以来、私は悪役として振る舞うことに少し疲れていた。 私が何をしても、世界(主にミアと領民)はそれを善意として変換してしまう。 まるで、見えない巨大なシステムが「お前はもう悪役にはなれない」と嘲笑っているかのようだった。
「……ねえ、ミアさん」
ふと、口から言葉がこぼれ落ちた。 星空の静けさと、温かいお茶のせいだ。つい、前世の──『検察官』として冷徹に法と向き合っていた頃の記憶が、舌先まで出かかってしまった。
「貴女は、この星空のように、すべてが美しく調和した世界を信じているの?」
「え? ……はい、もちろんです。みんなが笑顔でいられる未来が、一番ですから」
「甘いわね。お花畑の思想よ」
私はふっと自嘲気味に笑った。 前世の私は、犯罪者を裁き、社会の秩序を守る側の人間だった。 そこで学んだのは、絶対的な真理だ。
「……誰かが犠牲にならなければ、守れない法(秩序)もあるのよ」
罪を犯した者は、裁かれなければならない。 社会という巨大なシステムを維持するためには、「悪」を切り捨て、「正義」を証明する儀式(裁判)が必要不可欠なのだ。
今の私に当てはめれば、私が「悪役令嬢」として断罪され、破滅すること。 それこそが、この乙女ゲーム世界(無印版)の秩序を保ち、魔王復活というバッドエンドを防ぐための唯一の絶対法則。 私が犠牲にならなければ、この美しい星空すら、魔王の闇に飲み込まれてしまうのだから。
「私はね、その『犠牲』の必要性を理解しているの。だから、誰に憎まれても、自分の役割を果たすだけよ」
言ってしまってから、少し後悔した。 こんなことを言っても、乙女ゲームのヒロインには理解できないだろう。 『そんな悲しいこと言わないで!』と、綺麗事で反論されるのがオチだ。
私はカップに口をつけ、少しだけ冷めかけたカモミールティーを飲み込んだ。 隣に座るミアは、何も言わなかった。 ただ、彼女の膝の上で強く握りしめられた手が、微かに震えているのだけが、私の視界の端に映っていた。
夏の終わりの夜。青汁と健康管理の隙間に訪れた、静かな時間。
元・検察官としての「秩序を守るための犠牲の必要性」を語るエリザベート。自分が犠牲になる(断罪される)ことで世界を救うという、彼女なりの孤独で悲壮な覚悟が垣間見えます。
「誰に憎まれても、自分の役割を果たすだけよ」
乙女ゲームのヒロインには理解できないだろうと諦め半分でこぼした本音ですが、隣に座る「過保護なナース」がそれを黙って聞いているはずがありませんでした。




