第47話「闇夜の怪物」
【Side: Elizabeth】
夏の夜。別荘を囲む深い森は、月明かりすら届かない漆黒に包まれていた。 フクロウの鳴き声と、風に揺れる木々のざわめきだけが響く不気味な空間。 私は今、その森の小道で、純白のシーツを頭からすっぽりと被って息を潜めていた。
(ふふふ……。完璧なシチュエーションだわ)
昼間の「ふしだらな水着作戦」は、ミアの異常な健康管理意識によって不本意な簀巻きエンドを迎えてしまった。 だが、悪役令嬢たるもの、一度の失敗で挫けるわけにはいかない。 物理的な嫌がらせがダメなら、精神的な恐怖を植え付けるまでだ。
今日の作戦は、名付けて『闇夜の怪物』。 ミアが毎晩、日課の散歩(※実は私の逃亡を防ぐための見回り)に出るこの時間を狙い、私が恐ろしい亡霊に扮して彼女を襲撃するのだ。
シーツには目の位置に二つの穴を開け、さらに足元が見えないように裾を長く引きずるように調整してある。 暗闇の中から、ゆらりと現れる白い影。 いかに光属性のヒロインといえど、うら若き乙女である。未知の恐怖には抗えないはずだ。
(腰を抜かして泣き叫びなさい! そして私を「悪霊を操る恐ろしい魔女」として恐れるのよ!)
茂みの陰で待つこと数十分。 カサッ、と落ち葉を踏む音が聞こえた。 来た。ランタンの微かな明かりが、小道の向こうから近づいてくる。ミアだ。
私はシーツの中でニヤリと笑い、ゆっくりと、いかにも「この世のものではない」というような不自然なすり足で、小道の中央へと進み出た。
無詠唱の風魔法でシーツの裾を不気味に波打たせ、水魔法で周囲に冷たい霧を発生させる。 さらに、光魔法を逆位相で展開し、シーツの奥から青白い燐光をぼんやりと漏らした。 この世界で最も恐れられる悪霊の出現現象の完璧な再現だ。
そもそも乙女ゲームにおいて「夏の夜の森」というシチュエーションは、ヒロインが本物の悪霊や魔物に遭遇して恐怖し、攻略対象の王子に助けられることで吊り橋効果を生み出すための必須イベントだ。 今回、この別荘に王子はいない。 ならば悪役たる私が、自ら極上の恐怖を提供し、「こんな恐ろしい亡霊を操り、ヒロインを襲わせるなんて、やはりエリザベートは魔女だわ!」と彼女に確信させるための、重要なシナリオ的布石となる。
ランタンの光が、霧の中で青白く発光する私のシーツ姿を照らし出した。
ミアの足がピタリと止まる。
(よし! 怯えているわね!)
私は両腕をだらりと前に突き出し、呪詛を吐き出すように、地の底から響くような低い声を作った。
「……のろってやるぅ……。この世のすべてを、呪ってやるぅぅ……」
完璧だ。これ以上ないほどのホラー演出。 さあ、ランタンを放り出して悲鳴を上げなさい! 『助けて、お化けえぇぇ!』と泣き叫びながら、這いつくばって逃げるがいいわ!
しかし。 ミアは悲鳴を上げなかった。 ランタンの光に照らされた彼女の顔は、恐怖に歪むどころか、信じられないものを見るように見開かれ、そして──ハッとしたように険しくなった。
「……え?」
次の瞬間、彼女はランタンをその場に放り捨て、ものすごいスピードで私に向かって突進してきたのだ。
「えっ、ちょ、ちょっと! 逃げないの!?」
私は慌てて後ずさったが、シーツの裾を踏んづけてしまい、バランスを崩した。 ドンッ! という衝撃と共に、私はミアに真正面から、ものすごい力で抱きしめられていた。
「な、何すんのよ! 私はお化けよ! 呪うわよ!?」
「ああ……! なんてこと! こんなに体が冷え切って……!」
ミアは私の抗議など一切無視して、シーツ越しの私の背中をさすり始めた。 その声は、恐怖に震えているのではなく、切羽詰まった焦燥感に満ちていた。
「大丈夫です! もう大丈夫ですからね、お姉様!」
……お姉様? お化け(怪物)に向かって、なんでそんな感動的な再会みたいなトーンで話しかけてくるの!?
私の渾身のホラー演出は、またしても理解不能な聖女の行動によって、完全に迷子になっていた。
看病されて大人しくしているエリザベートではありません!
「物理がダメなら精神攻撃よ!」と、夜の森でシーツを被り、魔力で青白い燐光まで再現する超・本格的なホラー演出(ポルターガイスト作戦)を決行。
「さあ、腰を抜かして這いつくばって逃げなさい!」と待ち構えますが……。
標的のヒロインは、悲鳴を上げるどころか、ものすごいスピードでこちらに向かって突進してくるのでした。お化け、大ピンチ!




