(9)
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五回目の訪問の日。
僕が自分のオフィスに戻った時には、十八時を過ぎていた。
既に部屋は暗く、部下であるイリア・マイアー曹長は帰宅していた。
僕はとある決心をして、自宅に向かって車を走らせていた。
シュヴァーベン発動機株式会社の3シリーズ。5ドアのハッチバックだ。僕の自家用車。これにて通勤をしている。
自宅へ帰る道すがら、片道三車線の大きなバイパス道路で、派手な看板を認めてウィンカーを出して店の駐車場に入る。
僕自身が大人になってから出来た外国資本の玩具量販店であるので、一度も入店したことはなかった。子供の居る他の同僚は利用したことがあるのだろうが、僕には無縁の場所なのだ。
そこには、広大な駐車スペースが用意されていた。
その駐車場を取り囲むように外国資本のハンバーガーチェーン店の看板や、コーヒースタンド、ファミリーレストラン、安売りのファッション服チェーンなどが立ち並んでいる。
他にはボーリング場やゲームセンターなどのアミューズメント施設も並んでいる娯楽施設の整った場所なのだった。
平日の夕刻なので、少し混んでいる駐車場を抜けて、目的の店舗に近くまで車を進める。しかし、車を停めるべきスペースが見当たらないので、中央の空いた場所まで戻ってそこに駐車した。
クララクララちゃんが希望するウサギのぬいぐるみはあるだろうか?
希望に燃える僕。車を降りて、店舗へと向かっていた時だった。
「ギャハハハハ」
派手な笑い声が聞こえて振り返る。ショッピングセンターの駐車場の片隅で若い男女がふざけ合っていたのだった。
彼ら、彼女らが目指すのは角の位置に立つアルコールを提供する飲食店舗であろう。僕は極力そちらを見ないようにして早足で進む。
僕は分析する。
叫声を上げている集団は、僕と同年代とは思うのだが、こういった手合いとは出来るだけ関わらないようにするのが正解だ。
これが僕の処世術なのだ。騒がしい場所には可能な限り近づかない。危険回避能力だ。
「ねぇ! ヨハンじゃないの!」
その集団の一人から、名前を呼ばれてギクリとなる。両肩をピクリと動かすが、立ち止まらずに早足で玩具店の入口を目指す。既に日が暮れ始めていて、店内の明かりが救いの場所に思えたのだ。
もう少しだ。あと5メートルも進めば店の中に逃げ込める。
声は女性の声だった。僕の名を気軽に呼んでくる存在には心当たりは無い。同名の赤の他人に向けて叫ばれたのだと、思う事にした。
「何、無視しているのよ! アンタ、ヨハンでしょ! 初等学校で一緒だった、ゲルダ・ランゲンバッハよ」
一人の女性が僕の元まで走り寄ってきて、僕の右肩を掴んで自分の方へとグイと強引に向けたのであった。
「あの、どちら様ですか?」
前屈みとなった僕は上目遣いとなり、相手の女性を見る。
真っ赤なドレスを着ていたので、パーティーか何かの途中なのだろう。
赤毛のクリクリとした天然パーマが特徴的な女性であった。何処かで見たような顔なのだが、初等学校? 記憶には残っていない。
「何、ふざけたこと言っているのよ、学級委員長のヨハン・フェルゼンシュタイン! 四年生の時に同じクラスだったじゃない!」
「え!? どうして僕だと分かったの?」
僕は言った後に、黙って相手の顔をじっくりと観察する。赤毛の子は、目もクリクリと大きめであった。その下にはソバカスだらけの頬を隠そうともしていない。ホクロも多い女性であった。目の周りを縁取りした黒のアイラインと真っ赤な口紅以外は、化粧はしていない様子だった。
「アンタさ、顔は変わらないね。もみあげのクルンと巻いたところとか、相手を見下しているような全く生意気そうな目付きとかさ、子供の頃から全然変わらない。そのまま大人になった印象ね」
ゲルダと名乗った女性は、腰に両手を当てて胸を反らせながら言ってきた。何だ。見覚えがあるぞ。
「ニーナと喧嘩していた子? トロール?」
「トロールとは何よ、失礼しちゃうわ。エエ、エエ、あの頃は太ってはいたけどさ、今は痩せて美人になって、見分けが付かなくなったんでしょ」
ドンと自分の胸を叩くゲルダ。ああ、この妙に自分に自信を持った態度は、変わらないな。僕は納得する。
「どうして、ここに?」
「その台詞は、アタシ達が言いたいところだわ、ネェ!」
「そうだ、そうだ、そうだぞヨハン」
ゲルダは「ネェ」と言って後ろを向くと、仲間と思われる男女のグループが一斉に同意の言葉を述べていた。
既視感。
ああ、ニーナが転校していった後には、ゲルダがクラスの連中を煽動して、ことごとく僕と対立していたのだった。
ニーナの思い出と共に丸ごと封印していた初等部時代の僕の記憶だ。
僕はそう分析した。
「僕は、仕事の関連であの店にね。今は軍関係の仕事をしているんだ」
「軍のお人が、おもちゃ屋に? 何の用で?」
首を傾けて聞いてくるが、腹の立つ顔だった。クララクララちゃんが同じ仕草をしていたが、こうも違う生き物なのか――純然たる感想を持つ。
「機密事項だ」
僕はそれだけを言って、玩具店へと急ごうとした。その僕の目の前に車が停車する。見覚えのある真っ赤なスポーツクーペであった。
「少尉! どうして、こんな場所へ?」
イリア・マイアー曹長であった。彼女の言った言葉は、そっくりそのまま彼女へと返したい思いであった。
店の前の往来であるので、マイアー曹長は駐車場の空いたスペースへと車を進めていた。
「同窓会よ。案内の手紙は、アンタのオフィスまで届けられたはずでしょう?」
ゲルダは胸の前で腕を組み、僕の前に立ちはだかった。
「同窓会? ああ、今日がそうだったのか。僕自身は軍の仕事の目処が付かないから欠席にしたんだ。現に、今日もこの場所に来たのは偶然に過ぎないんだ」
偶然――しかも、最悪のタイミングであったと思う。
「少尉、お待たせしました」
マイアー曹長は駆けて来て、僕の肩を背後から叩く。
「どうして、君がこの場所に?」
僕は振り返り聞く。
「アタシが呼んだのよ。本当はニーナを招待したかったけど、そちらの妹さんから詳しい事情を聞かされてね、とても残念だったわね」
「いいえ、ご心配をお掛けしてしまいました」
ゲルダの言葉を聞いてマイアー曹長が頭を下げる。
「ニーナ? 妹? 残念?」
僕の頭の中は混乱していた。たくさんの新しい情報が飛び込んできて、僕の分析能力に支障を来しているのだ。
「少尉、私の本名はイリア・エルレンマイヤーなのです。ニーナ・エルレンマイヤーは、私の実の姉でした」
(でした? 過去形じゃないか? マイアーは偽名? 厳格な規律の軍で、そんなことがまかり通るのか?)
僕はたくさんの事を思う。
「ヨハン、良く聞きなさい。ニーナは、初等部四年の時にご両親の仕事の都合で転校した。その後、転校先で交通事故に遭遇したそうよ」
「そこは、わたくしが説明します。姉のニーナは変わった人でした。その日も、私と一緒に新しい学校に通うところ、飛び出して来た子犬を救おうと道路に出て車にはねられてしまったのです。当の子犬は全くの無傷で、姉のニーナだけが大きな怪我をして……」
「ニーナが?」
僕は聞く。
「急いで大きな病院に送られたけど、ニーナは残念ながら手遅れだった――という話よ」
絶句してしまったマイアー曹長の替わりに語るのは、姉の同窓生のゲルダ・ランゲンバッハであった。
「ニーナが、死んだ?」
「ええ、そうよ。アンタは聞かされなかったの? その時のクラスの担任だった先生が、お葬式に出席して、その様子をクラスのみんなに説明したじゃない」
僕には覚えがない。
「ニーナが死んでしまった。ニーナが…………」
僕は自分に言い聞かせる様に、小声で呟き続ける。本当に知らないんだ。聞かされていないんだ。
「だから、代理として妹さんを同窓会に招待したのに、肝心のアンタが来ないんだもの……でも、これも運命ね。軍の仕事なんて嘘なんでしょ。これからの同窓会に付き合いなさいよ。レストランを貸し切っているわ。店のオーナーはアタシの知り合いだから、一人増えたぐらいでも大丈夫だわ」
その言葉を聞いて、僕はいっそう混乱した。
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