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人間ぎらいのパヴァーヌ  作者: 姫宮 雅美
第二のメロディ「人間不信の諜報部員さんとクララクララ」
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「あひゃ? ひゃあ!? あ! あーん、もう!」

 クララクララちゃんの発する奇声が、窓の閉じられた小屋の中まで届いて来る。

 僕は小屋の窓際の席の前に立つ。外から見て、向かって右側の席だ。キース大佐が訪問時に座っている場所。僕は内側から窓を開け放って彼女を見ると、早速何やらやらかしていたのだった。

 僕は、持ってきたカバンを床に置き、椅子を引いて座り、彼女の仕事を観察することにした。

 これはいつもの彼女への監視業務と同じなのだが、今度は僕という客観的傍観者の存在を得て、彼女がどのような行動をするのか知りたかったからだ。

 結果としては、全く同じ振る舞いなので、僕としては分析の甲斐がない。


 主婦業を五十年近く行ってきた祖母と比較するのは可哀相に思うが、同じ作業を何度も何度も繰り返しているはずなのに、彼女はシーツを皺だらけのまま干し、彼女の靴下や下着類を整理せずに、物干し紐に洗濯ばさみで吊していた。

 靴下はそれぞれペアになる品があるはずだし、下着も同系色同士を揃えて干していけば取り込むときに便利だと思うのだが――。

 家の家事は全て祖母に任せきりにしている男の僕がそう思うのに、祖母がこの光景を目撃したなら、キリキリと怒りだして、大目玉を彼女に食らわせる事だろう。


 さて、僕はカバンをテーブルの上に乗せて開く。

 中から白い小さな花瓶を取りだして、テーブルの窓際に置く。この中には、盗聴用の機器が仕掛けられているのだ。花瓶の中に水を入れても部屋の内部の音声を拾う事が出来る。

 マイクは水中でも集音可能な高性能の品だ。

 その拾った音声をFMトランスミッタで、近距離まで飛ばすのだ。内蔵された小型リチウムイオン二次電池の寿命は約一ヶ月ほどだから、それが尽きる前に新しい花瓶にすり替えなくてはならない。


 そうして、彼女が所望する商品カタログや女性向けのファッション雑誌をテーブルの上に並べていく。

 数々の雑誌の表紙には、美人でグラマラスなファッションモデルがポーズを取って微笑んではいるが、そのどのモデルよりもクララクララちゃんの方が可愛いと思えるのだ。


「お? 仕事は終わったのか?」

 僕が窓の外を見ると、クララクララちゃんの姿が消えていた。その替わりに、干された洗濯物が森から吹いてくる風に揺れていた。

 青と白のストライプの模様の下着が目に入って、僕は顔を赤らめて視線をテーブルの方に戻した。


「ヨハンさん。それが、クララクララの希望した商品カタログなのですね」

 彼女は頭のスカーフを外しながら、小屋の中に入ってきた。

 パタンと扉が閉じられる音がして、部屋の中が暗くなる。僕が彼女の方を見ると、クララクララちゃんはニコニコと微笑みながら歩み寄ってきた。

「そうだよ。それに、クララクララちゃんへのプレゼントにと一輪挿しを用意したんだ。これに花を生けて窓際に飾ると、このテーブルがもっと華やいだ雰囲気になると思うんだよ」

 僕は、盗聴器の仕掛けられた白い陶器製の小さな花瓶を左手で持ち上げて振ってみせた。


「一輪挿しですか? 花を生けると言われましても、クララクララとしては丹精込めて育てた花を飾りたいと思うのですが、この庭には、雑草ばかりが生い茂ってしまう始末でして、おじいさんから庭の花壇の管理を任された立場としては、申し訳無い次第でありまして」

 彼女は僕の正面の席にゆっくりと腰掛けた。石けんの匂いが漂ってきて、僕は顔を赤くする。彼女の風呂上がりの生々しい全裸姿を妄想し、その映像を頭を振って打ち消す僕。

「クララクララちゃんにはさ、ああいった花が似合うと思うよ」

 僕は意識を逸らすため、池のほとりに咲く小さくて可憐な花を指差した。

「あれは雑草ですよ。クララクララとしては、ヒマワリやチューリップ、ダリアやコスモスなどを、その可愛い花瓶に飾りたいと思うので、ボルフマン商会のアンナさんに頼んでハンスさんに持ってきて貰うのです。ボルフマン商会ではお花も扱っていて、ある日のハンスさんはたくさんのバラの花を持って来てくれて、クララクララはそれをドライフラワーに変えて」

 クララクララちゃんが指差した先には、天井から逆さに吊された焦げ茶色に変色した花束があった。

 ドライフラワーと呼ぶには醜く色変わりしてしまった、過去にバラだった物の幾束かの痕跡だけが……。そう、遺物だけが残されていた。


「クララクララちゃんは、働き者なのだね」

 彼女の目を見据えて話す。やっぱり彼女は無能な働き者だ。周囲に混乱しかもたらさない事だろう。

 早く、軍によって保護する事が妥当だと判断する。上司に進上しよう。


「そんなことは無いのです。クララクララとしたら、日々暮らしていくことだけで精一杯で、家事もそつなくこなせばもっとゆっくりと出来て、教養を身につけられると思うのです」

 僕に見られて、少しだけ頬を赤くした彼女は、左側を向くと大きく伸びをして、その後両手をテーブル上のカタログの上に置いて開いていた。

「クララクララちゃんはこの小屋から出て、色んな場所を旅してみたいと思わないのかい?」

 僕は勇気を出して、彼女の右手を両手で握る。小さくて柔らかくて暖かな手だった。水仕事が多いためか、多少荒れた手だった。

 紛れもない人間の手だ。ロボットであろうはずが無い。

 断言できる。分析するまでもない。


「え? あの、クララクララとしてはいつの日にか、世界中を旅してみたいと思うのですが、外国語も満足に喋れませんし、何よりもクララクララの知識は新聞から得た狭い範囲でしかない現実という姿がありまして」

 急に手を握りしめられたので驚いた彼女は右手を引っ込めて、困惑した様子だった。

 彼女の透き通るような白い肌は、赤くなったり青くなったりして心の動揺を隠さずに表現していた。

 女性の扱いが苦手な僕でも、分析するまでもなく直ぐに分かるのだ。


「ご、ごめんクララクララちゃん。君の手が水仕事で荒れてしまうことが許せないんだ。こうした小屋に閉じ込めてしまうのは、空を飛びたいと願う小鳥をかごの中で幽閉してしまうことと同義なんだ。僕はクララクララちゃんの味方だよ。キース大佐の全てを信用するのは危険だ。僕は忠告するよ。彼は、キース大佐は、自分と国家の利益のためにクララクララちゃんを利用して――」


「違うのです! キースさんは、そんなお方では決してないのです! 短い時間でしかありませんが、話してみたクララクララが思うのですから、間違いありません! それに、クララクララはロボットですから、炊事に洗濯、お掃除に芝刈りなんて苦痛に思った事は無いのです!」

 急に腹を立てたのか、彼女の小さな両の鼻の穴が広がるのがハッキリと見えた。

 僕が想像するよりも、遥かに頑固で短気な性格であるのだ。だけど、ハッキリと嘘を付いたのを聞き逃さない。僕が監視していた期間、一度たりとも芝刈りなどやっていないのだ。


「ほ、本当にごめん。お詫びと言ってはなんだけど、このカタログと雑誌に載っている品物で、クララクララちゃんが希望する物は、軍の予算の他にも僕のポケットマネーで購入したいと考えているんだ。あ、あくまでも高価な品物は難しいけど、僕の小遣いで買える範囲でお願いするよ」

「え? よろしいんですか? クララクララとしては、欲しい物がたくさんあった場合には、遠慮してしまうクララクララが居るのですが、こうしたヨハンさんの申し出には、クララクララとしては断る理由もなくて」

 真っ赤だった彼女の顔は、怒りから歓喜による興奮の方に変わったようで、鼻息も荒いまま商品カタログのページを大急ぎでめくっていた。

 この子は、表層では奥ゆかしさ演じてはいるが、深層心理では厚かましさを隠そうとしない。意外とタフで大胆な人間なのかも知れない。

 確かに、この森に一人取り残されてしまったのならば、僕は発狂してしまうかも――そう僕は分析する。


「これ……とかはどうなんでしょうか?」

 彼女は目を爛々とさせて、雑誌の一ページを指差した。

 それはモデルの女性がピクニックに出掛けたとするワンシーンであった。サイクリング用の自転車に跨がり、籐編みのかごにはパンとフルーツとが入っている。

「この自転車なのかい?」

 僕は自転車の値段を確認しながらクララクララちゃんを見る。スタイリッシュなデザインの自転車であるので、結構な値段であった。

「いいえ、違います」

 彼女はブンブンと首を横に振り、金色の長い髪の毛がワサワサと揺れる。ワンテンポ遅れてついてきていた。

「じゃあ、モデルさんが着ている服なの?」

 モデルは動きやすいストレッチ素材の七分丈のシャツと、黒いジーンズをはいている。それぞれに商品名と販売ショップ名。そうして値段が表示してある。これならば、僕のお財布からの出費は抑えられそうだ。

「いいえ。これです」

 クララクララちゃんはモデルの足元を指差した。

「靴なの? トレッキングシューズだね。これは、登山やハイキングなどで歩きやすいように配慮がされている」

 僕はテーブルの下に視線を移して、クララクララちゃんの足元を見る。森の中で暮らすにはいささか不便に思える白いローパンプスであった。小屋の中や草むらを歩くには困らないだろうが、森の中の荒れた道を歩くには適していないのだ。これも値段的には問題は無い。

 僕は雑誌のページの端を折って目印にする。ドッグイヤーだ。後で商品を取り寄せてクララクララちゃんにプレゼントする為だ。彼女の足のサイズを聞き出さなくてはならないな。

「いいえ、違います。この子です」

「え?」

 クララクララちゃんが指差したのは、モデルの足元で草をんでいたウサギであった。

「この灰色の毛のウサギさんは、『ネザーランド・ドワーフ』という種類の子で。アナウサギの仲間でして、身体も耳も小さいのが特徴的なんですよ。うゎー、モフモフしていて可愛いぃー」

 彼女は自分の顔の前で両手をワサワサ動かしていた。これは、ウサギを愛でる動作なのだろう――僕は分析する。


「確かに、可愛いウサギだね。この立ち上がった姿は、リスのような齧歯目げっしもくを思わせるな。目も赤くないしね」

「ウサギさんは、以前はリスさんと同じ齧歯目に分類されていたんですけど、今はウサギ目として明確に区別されているんですよ。でも、親戚さんみたいな関係ですから、似ているんです。この辺の情報は、新聞に載っていたんです。それを読んで、ウサギさんに詳しくなりました。うゎー、クララクララはやっぱり毛むくじゃらのフワフワをモフモフしたいのですー」

 彼女は両目尻が垂れ下がっていた。口も半開きになっていてよだれを垂らさんばかりだった。

「う、ウサギを飼いたいんだね」

 僕は圧倒されていた。


「く、クララクララとしたら、たくさんのウサギさんに囲まれて暮らすのが夢なんですけど。クララクララは日々の食事を用意するのも大変な状況で、たくさんのウサギさんをお世話するのはクララクララにとっては、とても大変な作業であって」

 更に目尻が垂れ下がるクララクララちゃんであった。ウサギは、まさに目の中に入れても痛くない存在なのであろう。

「このウサギの値段はどの位なのだろうか。値段もショップ名も表示されていないからね。でも、調べて見るよ」

「え! いいのですかヨハンさん。やっぱりクララクララとしてはウサギさんを飼う場合には、この子みたいな種類はウサギさんを飼うには入門編としてはお手頃であると、コチラの新聞の記事に載っているのです」

 彼女は立ち上がり、背後にある棚から一つのバインダーを取りだして僕に見開いて見せてくれた。

「ウサギの飼育入門と書かれているね」

 僕は開かれた記事に目を通す。それは新聞記事を切り取って貼ったスクラップブックである。記事の横には、拙いウサギのイラストが描いてあった。鼻をヒクヒクさせている様子が良く分かる。デッサンは少し崩れているが、描いている者の対象への愛情をヒシヒシと感じるのであった。

「『ネザーランド・ドワーフ』は、仔ウサギさんの頃には片手の上に乗る大きさなんですよ。クララクララも赤ちゃんウサギさんを手のひらに乗せて、満足するまでフワフワのモフモフを味わい尽くしたいと思っているのです。はわはわわ~」

 再びデレデレとした表情になるクララクララちゃん。鼻の下が伸びきっていて、流石の美少女の顔が台無しであった。

「そ、そんなにウサギが好きなんだね」

「ハイ!」

 実に幸せそうな笑顔であった。


 まあ、僕のポケットマネーで仔ウサギを購入するのは決定したが、軍の予算の方では何を購入したらよいのだろうか。

「もっと他に欲しい物はないのクララクララちゃん」

「えーと、クララクララとしてはウサギさんが居てくれたのならば、それだけで幸せなのですけれど、ヨハンさんがそうおっしゃるのならば、そちらの分厚いカタログをじっくりと眺めてみたいと思って……。あの、この本たちはクララクララが貰っても宜しいのですよね」

「うん、大丈夫だよ。最初からプレゼントのつもりだったし、まあ全部に目を通すには時間が掛かるだろうから、欲しい品物が決まったら僕とキース大佐の訪問時に知らせて欲しい。取り敢えずは『ネザーランド・ドワーフ』という種類のウサギだね。ペットショップを虱潰しに当たってみて仔ウサギが居たならば、その子をクララクララちゃんに贈るよ」

「はぅー。幸せの極地なのです。クララクララはウサギさんに名前を付けたいと考えているのです」

「へぇー、何て名前だい?」

 僕は、テーブルの上の開かれた雑誌やカタログを片付けながら聞く。そうしてバインダーの記事に書かれている文字を見た。

「えっとですね」

「パッシフローラ?」

「そ、そうです」

「オランダ語でパッション・フラワー。時計草の意味だね。その花が好きなの?」

「いいえ、クララクララの記憶領域の片隅に残っている単語なのです。何を意味するのか良く分からなかったのですが」

「パッションは『情熱』を意味するけど、『受難』とする解釈もある」

「ほぇー。クララクララには勉強になります。クララクララは学校というものに行った事が無く、日々届けられる新聞だけが唯一の情報源ですので、実に為になるヨハンさんのお話です。そうですね、『パッシフローラ』ちゃんでは呼びにくいので、『フローラ』ちゃんと呼びたいと考えています。良い考えです!」

 彼女はそう言ってから、顔の前でパシンと手を叩く。


「クララクララちゃんはさ、ウサギのぬいぐるみとかは興味はないかな?」

「え? ウサギさんのぬいぐるみですか? そんな物が存在するんですか? クララクララとしたら、『ネザーランド・ドワーフ』さんも魅力的ですが、『ホーランド・ロップ』さんは、垂れ下がった両耳が特徴的なウサギさんで、こちらのぬいぐるみさんがあったのならば、クララクララは見てみたいと思うのです」

 クララクララちゃんは頭の上に両手を立てて、その手の先を下げて『ホーランド・ロップ』とやらの垂れた耳を表現していた。

 確かに新聞記事には、この種のウサギが白黒写真で載っていたのだ。小さくて大人しい種類のウサギで、コチラの方が更にぬいぐるみであったならば可愛いと思った僕であった。


「あのヨハンさん。ホットミルクでもいかがですか? 実はクララクララは洗濯を終えた後に、飲もうと考えていたのです。ストーブの上のヤカンの中には牛乳を入れてあって」

 彼女は立ち上がり、部屋の角にある黒いだるまストーブに向かっていた。鋳鉄製のそのストーブには薪がくべられていて、中央の小窓からはオレンジ色の小さな火が見えていた。横から突き出たブリキ製の灰色の煙突は、丸太を組み上げた小屋の壁の一箇所くりぬいた場所を抜けて外に出ていた。

 そうして金色のアルマイト製のヤカンを両手で持ち上げているクララクララちゃんであった。


「僕がカップを用意しよう。僕のは、そこの食器棚にあるカップを使って良いんだよね。クララクララちゃんのカップは、どこだろう?」

 僕は、この小屋への監視業務により、何処に何が置いてあるのかほぼ把握していた。

「クララクララのカップは、ウサギさんのピョンと跳ねたマークのマグカップがあるのです。洗うために炊事場の近くに置いてあるのですが」

 彼女は大きなヤカンを両手で持って、ゆらゆら身体を揺らしながらテーブルの方へ近づいて来る。実に危なっかしい。床に、中身の牛乳をぶちまけてしまったのならば、臭い匂いがこびり付いて、しばらくは取れないことだろう。


「そうかい? 見当たらないな、クララクララちゃんのマグカップ――」

 僕はこの小屋の炊事場にある小さな桶に置かれたピンク色のマグカップを見つけ出していた。彼女から死角になるように、背中をクララクララちゃんの方へ向け、僕の着るジャケットの内ポケットからハンカチを取りだしてマグカップに被せる。そうして、左手で包み込むようにしてそのカップをジャケットの内ポケットに入れる。

 これは、任務の一貫なのだ。

 当然、ジャケットの左胸は大きく膨らみカップの重みで生地は垂れ下がるが、僕は終始クララクララちゃんの方に背中を向けて、そうしてカニ歩きになって横に身体を移動していく。不自然な動作で、食器棚からカップを二つ取りだした。

 身体を半身にしたまま、テーブルにカップを二つ乗せる。


「あの、クララクララのカップが、ウサギさんのマークのピンク色のマグカップが、何処に行ったんでしょうか?」

 彼女はヤカンを持ったまま、小屋の中を見渡していた。

「クララクララちゃんさ、ミルクを頼むよ。僕はテーブルの上を片付けるとする」

 雑誌とカタログを揃えてテーブルの端に寄せる。そうして椅子に腰掛けて、何でも無いようにして床に置かれていた籐編みのカバンをテーブルの上に乗せる。


 その間に、クララクララちゃんはヤカンで温まったミルクを二つのカップに入れる。

「クララクララちゃんさ、お砂糖は無いのかな? 僕は甘くしたホットミルクが大好きなんだ」

「そうでしたか、それはクララクララが気が付かなくてすみませんでした」

 彼女は回れ右してヤカンをストーブに戻していた。それから食品や調味料を載せている棚で砂糖を探す彼女。背中をコチラに向けていた。

 その隙に胸ポケットに入れたマグカップをテーブルに乗せ、カバンを素早く開けて中に仕舞う。


「ふぅ……」

 本日の大仕事を無事にやり遂げたので、僕は大きく息を吐く。

「あの、ヨハンさんお砂糖です」

 それは味気なく、半透明の円筒形のプラスチック容器に入れられている。透明のプラスチックの蓋があり、中には計量用のスプーンが入っている。

 僕は容器に貼られたシールの表示を見る。

「クララクララちゃんさ、コレには『Salz』(ザルツ)と書かれているね。これはお塩だよ」

「え? 本当ですか?」

 彼女は僕の背後に回ってきて、塩の入った容器を手にとって顔を近づけていた。

「砂糖は『Zucker』(ツッカー)と書かれているはずだよね、クララクララちゃん」

 僕は何でも無いように、カバンを床に置く。

「え? あれ? 確かに『塩』と書かれていますね」

 クララクララちゃんは眼を細めて容器に書かれた文字を見つめている。この字は角張った力強い筆跡であるので、以前一緒に住んでいたカール・フィッツェンハーゲン博士が書いた物なのだろう。

 彼女の筆跡は、僕の目の前に開かれている新聞の切り抜きを貼ったバインダーの表面に書かれている。丸っこくて小さい可愛らしい文字だ。


「クララクララちゃんはさ、本当は目が悪いんじゃないのかな?」

「え? あ? ホントですか? クララクララの視覚装置のセッティングはおじいさんがされたそうで。おじいさんは老眼の眼鏡を掛けられていましたから、クララクララの視覚装置のレンズの厚みの選択と、絞りの調整に間違いが生じた可能性が」

 彼女はいささか慌てた様子で、窓のガラスに映る自分の顔をしきりにのぞき込むような仕草をしていた。


「じゃ、クララクララちゃん、お邪魔したね。『ネザーランド・ドワーフ』の仔ウサギを探してみるし、『ホーランド・ロップ』のぬいぐるみもあたってみるよ。そうだ、クララクララちゃんには、シュリッシュガーデンの郊外に出店した外国資本の玩具量販店のカタログを貰ってこよう。いや、そこのインターネット・ショップの商品画像をパソコンに保存して持って来ようか。この場所は、ネット環境どころか電気も通っていないけれど、僕の持っているノートパソコンならば、電池を内蔵しているので、この場所でもクララクララちゃんも閲覧は可能だよ」

 僕は次回以降に個人的に訪問する口実を得たのだった。

 僕は分析する。


 確かに、彼女の場合は精神年齢がグッと幼い感じなので十歳程度の女の子が好む玩具が適当だと判断したのだ。

 彼女は、雑誌に載っていたアクセサリーなどには見向きもしないからだ。

「おもちゃ屋さんの画像ですか? ウサギさんのぬいぐるみもありますよね? クララクララも、首筋にインターネットに必要なケーブルを差し込んだのならば、世界中の情報を瞬時に得ることは可能なのでしょうか?」

 彼女は立ち上がり、頭を向かって左に傾けて聞いてきた。彼女のこう言った情報源は新聞の中にあるのだろうか。



   ◆◇◆


『ヨハンの用件とは、何だったのかね』

 再び現実の時間に意識が戻る。僕の耳のイヤホンからは、キース大佐の声が鮮明に聞こえている。

『あ、そうでした。ヨハンさんは、キースさんのお遣いだとおっしゃって、これを持ってきて下さいましたよ。クララクララも気に入ったので、テーブルの上に飾っています』

 窓際に置かれた一輪挿しを指差すクララクララちゃん。僕は双眼鏡からその様子を見る。それは、二日前にやっと仕掛ける事が出来た盗聴器だ。細首の小さな花瓶の内部に盗聴用の機器が入れられている。高性能のマイクによって、水の入れられた花瓶であっても、音声が明瞭に聞こえるのだ。

『一輪挿しか。そうか、クララクララ君はこの品を喜んでくれたかな。私がヨハンに命じて、クララクララにプレゼントした品だ』

 そう言ったキース大佐の声の後に、「ガサゴソ」大きなノイズが聞こえて来て、僕はイヤホンを耳から外した。双眼鏡に写る画面では、キース大佐がボールペンを一輪挿しの細い入口に差し込んでいるのが見えた。深さを測っているのであろう。キース大佐は、盗聴器の存在に気が付いたのだ。

 矢張り、彼は有能だ。僕の分析通りだった。

 自分が情報部から監視されているのを既に察知している雰囲気だった。

 その後の音声は一切聞こえてこない。僕はラジオレシーバーのスイッチを切り、撤収の準備を始める。


 盗聴器を仕掛けた日、その日に拝借したクララクララちゃんの愛用するマグカップは、今は軍情報部の化学分析室で解析中だ。

 マグカップを持ち出した目的は、彼女の指紋とDNAデータを得るためだ。

 この国では、国民一人一人に指紋とDNA情報を登録した「国民IDカード」を持つ事が義務づけられている。それは写真入りのICカードになっており、個人の年金番号や健康保険番号が組み込まれている。

 このカードが無ければ、銀行の預金口座も作ることが出来ないし、パスポートも発行して貰えない。

 このデータベースは、二度の戦争による戦禍が影響している。「西パヴァリア侯国」と「東パヴァリア共和国」の双方に多くの行方不明者が存在し、その身元を確認しやすいようにと、両国で共通のIDカードが導入されたのだ。


 そのデータ内には「クララクララ」という少女の名前は存在しなかった。今度は逆に、指紋とDNAの情報から身元を判明させるのだ。

 この国の国民である以上は、彼女のデータは必ずヒットする――僕は確信している。



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