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人間ぎらいのパヴァーヌ  作者: 姫宮 雅美
第二のメロディ「人間不信の諜報部員さんとクララクララ」
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 その日、面会初日の夕刻。

 自分の名と階級である「ヨハン・フェルゼンシュタイン少尉」の名前のロゴが入った磨りガラスのはまったドアノブに、手を掛ける僕。

「少尉、お疲れ様です」

「ああ」

 ドアを開くと同時に声を掛けられる。

 僕は返事も途中に、軍情報部の自分のオフィスのドアを閉じ、部屋の中央まで足早に進む。右手に抱えた茶色のダッフルコートを、コートスタンドのハンガーに掛けて吊す。

「コーヒーでも入れますか?」

「いや、いい」

 僕は――そんなに広くはない――オフィスの奧にある僕専用デスク。そこの革製の椅子を右手で引いて、床に左手でカバンを置き、椅子に深く腰掛ける。

「少尉、少尉宛の手紙が三通届いています。それと、ゾーゴ・マンハイム少佐からメッセージをお預かりしています。これです」

 僕の直属の部下、イリア・マイアー曹長は、僕のデスクの正面に立つ。そうして彼女は机上にカードを置く。先ほど彼女が名を出したマンハイム少佐とは、情報部の内部監査部門の長であり、僕の上司にあたる。


「ん、何だ?」

 僕はカードを右手で持ち上げて目を通す。短く、「二人のデートは、どうだった?」と書かれていた。キース大佐とクララクララちゃんとの面会の内容を、報告書にして早急に提出しろとの催促だ。

 そして、手紙の方は差出人の名前だけを確認して、持ち帰った僕のカバンの中に詰めていく。

 二通は、取引のあるメーカーからの商品カタログだ。まあ、軍事用の特殊な品物なので、これはクララクララちゃんに見せるわけにはいかない。

 そうしてもう一通は、通っていた初等学校の同窓会の通知であった。僕は行くはずもない。そんな場所だ。


「あの、少尉。本日なのですが、この後ご一緒に食事でもどうでしょうか?」

 僕のデスクの前に立ち、マイアー曹長は僕の方へは顔を向けずにそれだけを辿々しく喋っていた。彼女の自分の胸の前に回した両手の先が、所在なげにうごめいていた。

「食事? どうして君と? 僕はこれから報告書を纏めなくてはならない。君は、定時刻に上がればいい。僕の食事の方は、酒保しゅほで購入するよ。味は最悪だが、安さだけは一番だからな」

「そうですか。それは、失礼しました」

 マイアー曹長は頭を下げ、そのまま暫し動かなかった。気になった。既に報告書の作成作業に取りかかっていた僕は、顔を上げて彼女を見る。

 マイアー曹長は、今日は珍しく化粧をしている。普段は全く持って感じないが、今は香水も振りまいていて、ほのかな色香にまで気付いてしまう僕であった。

 彼女は大人しく目立たない女性だ。金色の髪の毛をバッサリと肩口で切りそろえ、化粧をしていない時は、ソバカスだらけの顔だ。銀縁の小さな眼鏡には、度の強いレンズが嵌っているので、彼女の青い色の瞳の奧の感情の変化まではのぞけないでいた。

 もっとも、彼女のプライベートの奥底までは見るつもりは無いので、彼女と目線が合ったと感じた途端、僕は記入項目が空白のままの報告書の方に視線を移した。

 それでも彼女は動かない。

「マイアー曹長、何か他に用件でも?」

「いえ…………」

 そう言った後に、彼女はやっと自分のデスクへと移動した。


 彼女とはずっと二人きりで、このまま十八時までの気まずい時間を過ごす。

 何を考えているのか、良く分からない僕の部下である。僕より二歳年下で、若い女性でありながら曹長の地位にまで上り詰めている。優秀であるのだが、僕の部下になる事も彼女の方から希望したのであった。


 ――どうして、僕の側近になる事を望んだのだろうか?

 疑念。

 彼女の信じるところの政治的背景は分からない。だが、用心に越したことはない。彼女の前では、軍の機密など決して漏らしてはならない。それが僕の処世術だった。

 僕は右隣の彼女のデスクの方を見る。彼女は自分の作業に没頭していた。パソコンのキーボードを一心不乱に叩いている。

 そうして僕は、左側の壁に掲げられたアナログ時計を見る。クリーム色の味気ない壁紙の貼られた壁だ。


 ――午後五時四十七分。

 あと、十三分ほどで解放される。そうなのだが、僕の方の報告書の作成も終了しそうであった。

 何よりもマンハイム少佐へと報告すべき内容が少ないのが実情だ。この日はキース大佐とクララクララちゃんの最初の面会日でもあり、事前に双方の情報を仕入れたが、それ以上の収穫はなく、報告書の中で盗聴器の設置を進上しただけである。

 もう一度右隣の机のマイアー曹長に注目する。ほのかに化粧している彼女は、今日は違って見えた。そして、今更ながらに気が付いたのだが、彼女が着る陸軍の女性用の軍服――薄茶色の開いた襟のスーツ姿であるが――。その一番上のボタンが留められておらず、下に着る白いシャツも上のボタンが幾つか外されている。いつものキチンとした身なりの彼女からは、考えられない服装の乱れ。想像も出来ない風紀の乱れである。


 少し上気した顔の彼女から、香水の甘くフルーティな香りが強く漂ってきた。夕刻の陸軍のオフィスであるが、気温と共に湿気が上昇している。十七時で、オフィスのエアコンが全て停止したからだ。事務作業のみの者は、早く帰れとの国家からの催促だ。

 僕は椅子から立ち上がり、背後にある窓を開け放つ。十八時前とは言え、外はまだまだ明るい。建物の外に広がる鮮やかな緑の芝を見る。丁寧に刈り込まれ縞模様に色を変える芝。職人技を持つ庭師の仕事の結果なのだ。

 本日訪れた黒い森の中の自然風景とは、明度が二段階ぐらい違う。アチラの方は暗い森に、濃い色の自然が広がっていた。

 僕の眼前にあるのは、人工的な景色だ。だが人の息遣いを感じ、コチラの風景の方が落ち着きがあって良い――僕はそう分析する。

 少しは涼しい風が吹き込んでくるようになった。


「あの、香水の匂いがきつかったですか、少尉。すみませんでした」

 マイアー曹長は、自席から立ち上がり頭を下げる。そうして前屈みになった彼女の胸の谷間に目が行ってしまった。あわてて、目線を自分のデスク上に戻す。思ったよりも大きなサイズの彼女であった。

「いや、そういうつもりで窓を開けたんじゃないんだ。暑くなったからな、風を入れた。アハハ」

 僕は作成の終了した報告書を取り上げて自分の顔を扇ぐ。彼女から女性の色香を感じ取ってしまい真っ赤になってしまった僕。その顔色の変化を誤魔化すためであった。

「すみません。やっぱり、臭かったのですね。今後は、香水は自重します」

 顔を扇ぐ大げさな動作が、彼女を更に不安にさせてしまったようだ。

 彼女は自分の容姿に自信が持てないのだろう。よくよく見ると整った顔立ちと、抜群のスタイルを誇っているのだが、その自分の魅力には気付いていない――いや、必死に隠そうとしているのが普段の彼女なのだ。

 だが、この日の彼女は違って見えた。少し悲しげな口元の表情で、僕の方を見上げて言った。

「しょ、少尉。書類の作成が終わったのならば、やはりわたくしと食事でもどうでしょうか? 先日、友人と飲みに行った居酒屋では、美味しい食事も提供していました。少尉も満足されるはずです」

 何事かを訴えかけてくるようなキッパリと言い切る彼女の口調。だが僕は冷たく突き放す。

「いや遠慮しておこう。祖母が僕の帰りを待っているんだ。夕食も用意しているからね」

 そう言った後に、僕はしまった――そういった顔をした。先ほどは、報告書の作成で遅くなるならば、軍オフィスの隣の建物にある陸軍の単身者用官舎内の酒保で夕食を購入すると発言していたからだ。

 祖母が夕食を作って待っている。その言葉は取り消せないでいた。普段も勤務の終了時刻は一定しないので、祖母には夕食は用意しないで良いと言っている。その辺との矛盾が生じてしまっていた。

 だが、彼女はこれ以上の追及はしてこなかった。仮にも僕はマイアー曹長の上司である。その上司の言動に嘘が混じっていても、従う他には方法はないのだ。


「では、少尉。失礼します」

 時刻は十八時となり、彼女は自分の荷物を手短にカバンに纏め、頭を下げ、直ぐにこの部屋を出て行った。

「ふぅ……」

 僕は安堵の溜息を漏らしていた。



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