表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
人間ぎらいのパヴァーヌ  作者: 姫宮 雅美
第二のメロディ「人間不信の諜報部員さんとクララクララ」
11/18

(3)

   (3)


 それが、クララクララちゃんと初めて出会った五週間前の日の出来事だ。

 ――そして、その翌日。


 僕の任務は、キース大佐への監視から、森の中の小屋に一人住むクララクララという少女の観察業務に移行した。まあ、この任務の最高責任者は僕であるので、職権を乱用して、森の妖精との邂逅の時間の方を大切に思い、優先した。

 キース大佐の監視の方は、彼への警護の名目で大勢の情報部員が貼り付いていた。クララクララちゃんへの監視の任務は、僕から上司に進上して認められたのであった。

 前日にキース大佐を乗せた軍所有のシュヴァーベン発動機株式会社の最高級グレードの車にボク一人が乗り、再び黒い森を訪れたのは早朝の六時であった。

 軍事偵察衛星からのデータと、航空写真から作られた森の詳細で精密な地図を用意した。

 そうして、木こり達が使用した森の案内図。これがかなり重宝する。上空からは平坦な土地に見えるが、場所によりかなりの高低差があるのだ。

 面会前夜に入手して綿密に検討し、監視する場所を既に決めていたのであった。


 この監視場所は池の方からは暗く見え、死角となっている。僕は持参したフカフカのブランケットを朝露に濡れる草むらに敷き、監視対象から見つからないように腹這いになって、双眼鏡のレンズだけを雑草の間からのぞかせる。国産の光学機器メーカーの軍事用に開発された偵察用双眼鏡だ。森林仕様の特別な迷彩塗装が施されている。

 このメーカーの歴史は古く、元々は医療用の顕微鏡の製作を発端としている。十九世紀半ばから続く、由緒ある世界的な有名メーカーだ。監視業務に使用する双眼鏡は、そこの厳格なる検査基準を合格した品物であった。

 右手で倍率を調整し、小屋全体を視野に入れる。


 小さなあばら屋だ。右隣には、これまた見窄らしい建物があり、これはかわやになっている。大風が吹けば壊れそうな立て付けだ。そこは、池から流れ出る小川に繋がっており、天然の水洗トイレになっている。

 小屋の左隣には、彼女が炊事や暖房に使うための石炭コークスと薪がたくさん積んである。雨を避けるために、トタン製の屋根が覆っている。

 彼女はまだ眠る時間であるのだろう。室内の黄色いカーテンは閉じられたままだ。窓ガラスは、朝の冷え込みからか内側に水滴を作り、雲っている。

 ストーブを焚いたままにしているのか、建物の裏側から突き出ているブリキ製の煙突からは、灰色の煙が細く一筋立ち上っている。


「うう、寒い」

 僕は軍服の上に着込んだ茶色いダッフルコートの襟を立て、赤を基調としたタータンチェックのマフラーに顔を埋める。季節はもう初夏であるのに、吐く息は白くなっている。

 僕は体を起こす。祖母が入れてくれた温かいコーヒーの存在を思い出し、傍らのバスケットから古い魔法瓶を取りだしてステンレス製のマグカップに注ぐ。

 魔法瓶も赤のチェック柄だ。祖母の趣味なのだ。本当は、僕の父親のために買った品。

 そうして、上半身を起こしたまま、左手で双眼鏡を支えのぞく。状況には一切変化は無いが、監視任務だけは律儀に行うのが僕なりの流儀だ。


 その視界を白い物が右から左へと横切った。何だ? 左手を降ろし、双眼鏡から目を離す。

「鳥か……」

 池に白鳥が飛来したのであった。大げさな動作で着水した白鳥は、優雅に池を泳ぐ。僕は再び小屋へと注目し、双眼鏡をのぞく。右手の方はバスケットの中のサンドイッチに伸ばしていた。白い紙に包まれた朝食。これも祖母が作ってくれた品だ。早朝からの勤務であり、「手当が付くから頑張りな」朝の自宅のテーブルの上にメッセージと共に置いてあった。

 祖母は良く知っている。僕の好きなハムとキュウリとゆで玉子のサンドイッチ。具がはみ出さんばかりにタップリと入れられている。そして、祖母お手製のマヨネーズであえられている。

 一旦、目を双眼鏡から離し、時計を見る。これも軍から支給されている国産の品だ。

 アナログのクォーツ時計。蛍光蓄光塗料の塗られた秒針が、正確な時を刻んでいる。


 ――午前六時五十四分。

 動きがあった。僕は急いでサンドイッチの一切れを口の中に収める。大きな動作でかみ砕き、ゆっくりと飲み込む。そうして、指に付いたサンドイッチのマヨネーズソースを舐め取った。


「おぉ、カーテンが開いたぞ!」

 僕は歓喜の声を漏らす。やっと仕事らしくなってきたのと、彼女の愛らしい顔が見られたからだ。

 黄色のカーテンが少しだけ捲られて、白のパジャマ姿の森の妖精が顔をのぞかせていた。彼女は白く曇ったガラスを右手のひらで拭って、外の様子をしばし観察しているのであった。その彼女の顔に、双眼鏡のピントを合わせる。金色の長い睫毛が瞬いている。相変わらず可愛らしい顔だった。少女の頃のあどけなさと不安定さを湛え、その上妖しい色香まで備えているのだ。一見、清楚な妖精であるが、森に迷い込んだ猟師を惑わすニンフでもある。

 僕は彼女の顔に見とれていた。ポカンと口を開けたままにしていた。ホンの十秒ほどの時間ではあるが、この逢瀬に感謝している自分の姿に気が付いていた。僕が出会った女性の中でも、最高レベルで可愛らしい顔立ちなのだ。いや、美形で有ると言える。そうして、この年齢の女性だけが持っている奇跡的な瞬間の美しさもある。

 やがてカーテンは全て開き、窓が開けられる。彼女は上半身を外に出して、池の方をのぞいていた。池を泳ぐ白鳥を認めて手を振っていたが、彼女は不用意に声を発し、鳥は驚き、羽ばたいて逃げて行ってしまった。


 その後、窓は閉じられる。

 やがて、小屋の入口の扉が開かれて彼女が姿を見せる。服装は、白のパジャマから紺色のワンピースのスタイルに変わっていた。濃い色の生地の中に、白色の植物のシルエットを配したデザインだった。そうして彼女が急ぎ足で駆け込むのは、小屋の右隣に併設してあるトイレである。

 流石の僕も顔を赤くし、小用中の彼女を覗くのはやめておいた。双眼鏡の茶色い革製ストラップを首に掛け、偵察道具を胸の前に垂らす。その間、サンドイッチの残りとコーヒーとをじっくりと味わっていた。そしてしばらくの時間の後に、彼女はトイレから出て来た。彼女はトイレ横の水瓶から柄杓で水をすくい、手を洗っていた。そうして、ワンピースのスカートの右ポケットからピンク色のハンカチを出して、手を拭きながら小屋に戻っていく。軽やかな足取りであった。



 ――午前七時十二分。

 彼女は、紺色のワンピースの上に白いエプロンドレスを羽織っていた。そうして黄色いスカーフを頭に巻いて、朝の仕事を始めていた。長い髪の毛が顔に掛からないように配慮しているのだ。クララクララちゃんの寝起きの呆けた顔から、やや凛々しく変わった表情。それも美しかった。

 洗濯物なのだろうか、ベッド用の白いシーツを大きく丸めている。その上に彼女の着る服と下着とハンカチ、靴下などの小物が乗っていた。それを草むらの中央まで持ってきて、置きっぱなしになっている木製のタライに投げ入れていた。

 そうして池に向かって歩き、しゃがみ込むクララクララちゃんだった。

 一つのバケツを使って池から水をくみ出す。重い木製のバケツを、彼女の細い両腕で下げて運んでいる。プルプルと腕が震えていた。バケツには、頑丈な金属製のタガが使用されている。これで重さが増しているのだ。


「あ、こぼした」

 思わず僕も声を出す。腰つき足つきも怪しく、危なっかそうに運んでいた彼女だが、案の定、バケツの水を池の近くの草むらに全てぶちまけてしまったのだ。

 彼女は自分の腰に両手を当てて、この惨状を客観的に眺めている様子だった。自分自身のふがいなさに腹を立てているのか、近くの雑草を蹴り上げている。おっとりとした外観には似合わず、意外と短気な性格なのであるのかも知れない。

 そう、僕は分析する。

 恐らくは彼女の細腕では、腕力がバケツと水の重さに耐えられなかったのだろう。だがしかし、水の量を少なくして何回かに分けて運ぶという所まで、知恵が回らないようだった。

 そうやって、暫しの休憩後、彼女は同じ失敗を繰り返してしまう。そうして、僕の彼女への評価が完全に変わっていた。クララクララちゃんは少しばかり頭の緩い女の子なのだ。


 彼女は、今度は自分自身に腹を立てたようで、そうかといって反省する様子も無く、他のモノに八つ当たりを始める。取り敢えずは、バケツを右足で蹴飛ばしていた。

 それはコロコロと転がるが、バケツの底部よりも上部の直径が大きい形状からも、グルリと草むらを半周して彼女の足元に戻って来る。それも気に入らないらしく、バケツを逆さにひっくり返しては、右手のスナップ使って、勢い付けてバケツの底を叩く彼女だった。

「痛そう……」

 僕が分析した通り、手を痛めたらしく右手を胸の方に持ってきて息を吹きかけていた。そうして、一通りの行動で気が晴れたのか、今度は池に乱暴にバケツを投げ入れて、半分の水を元の池へと戻し、何故か頭の上にバケツを乗せて、ユラユラと体を揺らしながらも、タライの場所へとやって来た。そうして頭の上のバケツを抱えたまま前屈みになって木タライに水を注ぐのであった。

「濡れるよね。そうだよね」

 高い位置から水を落としたので、多くが跳ねて彼女の白いエプロンを濡らしてしまっていた。下に着る服の生地を透かしている。しかし、彼女はお構いなしに、同じ作業を延々と続けていた。


「ふぅ……」

 僕は彼女の作業が終るのを確認し、時計を見た。


 ――午前七時四十一分。

 クララクララちゃんは、実に三十分近くを一連の無益で無駄な作業に費やしていたのであった。効率や能率とはかけ離れた彼女の行動。これが初めての水くみなどでは無いだろうから、知識や経験の蓄積などが出来ない女の子なのだ。

 そうして、まだ洗濯作業が残されているのだった。僕は、今更ながらの様に思い出す。

 彼女は小屋へと引き返し、持ってきたのは、どうやら固形の石けんであるようだった。双眼鏡の倍率を上げて、右手に持つ白い四角い物体にピントを合わせて拡大し、確認をする。


「ダメだな、こりゃ」

 僕は投げやりになり、双眼鏡を置いてブランケットに仰向けになる。空が見えた。小さな雲がゆっくりと東から西へと流れていくのが見えた。双眼鏡で目撃をしたのは、何だか心が折られてしまう風景だった。大好きな女の子が実は飛びっ切りの間抜けで、ドジッ娘であったのを目撃してしまった――後味の悪い――悔恨に似た感覚だ。


 まあ、僕は初等学校時代から女子には嫌われていたので、このような感情には慣れっこだった。その時に、唯一人僕に味方してくれた女の子は可愛かった。しかし、クラスで一番の頭の悪い子だった。

 そんな過去を思い出す。その子も転校してしまい、僕は完全に教室で孤立する。彼女が女子たちから虐められていたのを知っていたから、それを先生に報告したら、虐めていた女の子連中から報復を受けたのであった。

「スパイの人生か……」

 もしかしたらあの子のことが好きだったかも知れないが、告げ口の人生が、この仕事へとつながっている。


「嫌なことを思い出してしまったな」

 こうした時には、とことんまで、自分の暗い過去に向き合ってみるのも良いかも知れない。時間だけはタップリと用意してあるからだ。今日は一日中、この場所での監視業務になっている。

 僕は、そう自分の心理状態を分析する。

 グルリと体を回してうつぶせになり、双眼鏡を手に取る。

「ああ、泡だらけだ」

 クララクララちゃんの鼻の頭に付いた石けんの泡の固まりにピントを合わせる。

 どうしようもなく手際の悪い女の子。そうだった。ありありと思い出す。



 ――十六年前。当時十歳の僕。


 初等学校の四年生。クラスはこぢんまりとしていて、男女合わせた人数は全員で十七名であった。

 担任の教師は、典型的な事なかれ主義の地方官僚的な女教師であった。

 当時四十歳の彼女には、僕の存在は疎ましかったに違いない。幼い僕は正義感に溢れ、全ての嘘や不正、欺瞞が許せなかった。クラスからは浮いていた僕だが、成績はトップであり、普段からの厳格なる生活態度には誰も文句は言えなかった。

 広い教室に十七個の机がパラパラと並ぶ。窓際で後ろから二番目の席。その僕の右隣に座っていたのが彼女だった。


「確か、名前は……」

 クララクララちゃんへの監視任務を続けながら、僕はポツリと呟いた。

 名前は、そう――ニーナ・エルレンマイヤーだったかな。記憶は定かではない。もう、十六年も前の遠い昔の話だ。記憶力には自信はある方だが、あまり覚えていたくはない封印したい思い出だ。僕の脳細胞の記憶域の奥底から、無理矢理に掘り返す。実に十六年ぶりの作業だと思う。


 ニーナは、頭が弱く、手際も要領も悪い子だった。

 食堂での昼食の時間、食事の載ったトレイを他の生徒の頭の上にぶちまけてしまっていた。どうやら、熱せられた容器が手に当たり熱かったのだそうだ。

 体育の授業では、サッカーボールを手で持って、前を走る女子生徒のお尻にぶつけていた。確か、授業はバスケットボールの種目なのだったが、何処からサッカーボールを持ち出したのかは謎だった。

 だけど、天性の明るさからか周囲からは憎まれない存在ではあった。

 あの日までは――。


 僕は双眼鏡で、クララクララちゃんの住むログハウスを眺める。彼女は、洗濯を終えて、干し作業に移っていた。池の近くの二本の物干し台に張られた紐に、洗濯物を干し始める。

 ツライ作業であるのか、額に浮かぶ汗を右の手の甲で拭う彼女。おでこには金色の髪の毛がペッタリと貼り付いていた。



 ニーナも金髪の女の子であった。クラスの生徒の多くが茶髪や栗毛や赤毛であるので、それだけで目立っていた。僕のは、やや癖のある栗毛で、ニーナの肩口まであるサラサラの綺麗な髪の毛が羨ましかった。

 ある日、クラスメイトの女子がニーナに聞く。その子の名前は覚えていないな。ニーナが「妖精」ならば、その子は幼い頃からでっぷりと太っていて、背が小さく、森のイタズラ好きで厄介者の「トロール」と呼ぶべき存在であった。


「ねぇ、ニーナ。髪の毛サラサラね。どんなシャンプー使っているの? 外国製?」

 何でも無い質問であったと思う。普通にシャンプーの銘柄を答えれば良いだけの話だ。だけど、ニーナはトンチンカンな答えを返す。

「私は、お風呂嫌いなの。週に二回も入れば良い方。お母さんと妹は毎日入っているけど、無駄な行為だわ」

 そう言って窓の方を向くニーナ。

「ねぇ、アタシの話をちゃんと聞いた? シャンプーは、どこの何を使っているのかって質問しているのよ、バカニーナ。お風呂の回数なんて、どうだっていいわ」

 ヤヤ苛立つ「トロール」であった。

 ロースハムの様なはち切れそうな腕をニーナの机に向けて叩き付ける。

「どうだって良くはないわ。あまり回数お風呂に入ったって、無意味だということ。それに、私の名前は――バカ・ニーナじゃないわ。ニーナ・エルレンマイヤーよ」

 負けずと言い返すニーナ。

「だからシャンプーは、何を使っているのか答えなさいよ!」

 声を荒げる「トロール」。話は平行線を辿る。彼女たちの会話は、永遠に交わることはないのだ。

「アナタには関係ないわ」

「関係あるのよ!」


 ――ドン!

 立っていた小太りの「トロール」は座っているニーナの左肩を突き飛ばし、ニーナは椅子ごと床に倒れてしまう。ニーナは小柄でやせっぽちの鶏ガラみたいな女の子であったから、ひとたまりも無い。教室中に大げさな音がした。僕の直ぐ隣の席の出来事だ。万事他人事――の僕も、無視出来る状況ではなくなってしまった。

「ぼ、暴力は良くないよ」

 立ち上がる僕の声は震えていた。強く注意・警告を与えられる立場なのだが――そう、僕はこのクラスの委員長であった。成績優秀者の僕を、担任教師が勝手に選んだだけなのだが。

「暴力じゃないわ。この子が勝手に転んだのよ」

 トロールの酷い言い草である。流石の僕も腹が立ってしまった。

「勝手じゃないよ。君が彼女を突き飛ばすのを、僕は確かにこの目で見た」

 自分の両目を指差す、当時十歳の僕。視力だけは当時も今も自信がある。


「あー、イテテ、テ。椅子を斜めにして遊んでいたら転んじゃった。エヘヘ」

 当の暴力を奮われたニーナは、そう言って起き上がる。したたかに打ち付けた可愛らしい小さなお尻をスカートの上から仕切りにさする。

「ね、勝手に転んだだけでしょ」

 トロールの言葉にはトゲがあった。だけど言い返せない僕。女子の間には、見えない力関係が働いているらしい。この時の僕は、それに気が付かないでいた。



   ◆◇◆


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ