奇跡と綺麗な水(だが水たまりから飲めるのか?)
「……あのぉ、トモエ、さん? 水たまり、消滅しましたけど」
「うーん。威力が……ちょっと強すぎたわね。なんでも”破ァ!”ってやると、燃費も最悪だし全部消し飛ぶのかしら? うっ、なんかクラッときた……力ってのも使い勝手が悪いわね」
トモエは肩で息をし、急に吹き出てきた額の汗を拭った。
召喚されてから一時間も満たない間に三回も喝だの破だのと気合いをぶつけてきたのだ。全身のエネルギーをごっそり持っていかれたような倦怠感が襲ってくる。
「加減ってものを覚えてくださいよ……! これ、ハンカチ。使ってください……汗が凄いです。でも、確かにわたしたちの力がどう作用するか分かりませんよね……力が強いとか弱いとか、わからないし。ちょっと試しにやってみますね……」
ユラハはトモエにハンカチを差し出してから、別の水たまり――さっきよりも小さな淀んだ水面――へ、おっかなびっくり両手を差し伸べた。
ぎゅっと目を瞑り、怖々と力を込める。
「え、えーと……綺麗になってください……お願いします……」
札を作ったときのように、ユラハの手のひらから、ほのかに青白い光がふわりと零れ落ちた。
光は優しく水を包み込み、ゆっくりと少しずつ透明度を増していく。
……確かに、増していくのだが。
「…………遅いわね」
「まだ……集中してるので……話しかけないで……」
じーっと待つこと五分。ようやくコップ一杯分ほどの水が透き通った。
しかし、そのわずかな成果と引き換えに、ユラハはすでに真っ青な顔をしてその場に膝をついてしまっている。
「はぁっ……はぁっ……もう限界……頭が割れそうっ……ウッ、吐き気が……」
「コップ一杯で法力切れ!? あんたの力、丁寧だけど燃費悪すぎだし遅すぎるわよ! これじゃいつまで待っても浄化できないどころか干からびて死ぬわ!」
トモエの力は強すぎて何も残らず、消耗も激しい。
ユラハの力は繊細すぎて時間がかかり、すぐに電池切れになる。
どちらも一人では、とてもサバイバルなどやっていけそうにない欠陥仕様だった。
「うぅ……どうせわたしなんか役立たずなんです……。仕事も失敗続きで、終電ギリギリ……残業が多いって言われてサビ残ばかり……家帰りたい……お母さんの作ったお味噌汁飲みたい……」
「いやあんたが行くのは異世界じゃなくて労基だったと思うよ。命あっての物種だから、もうそんな会社から離れられて良かったじゃん? 頑張ったね」
膝を抱えてめそめそと泣き言を漏らすユラハを見て、トモエは彼女の背中を軽く叩いてなだめながら、ふと城での出来事を思い出した。
あの大聖堂で、勇者へ渡すための封印札を作った時のことだ。
「……ねえ、ユラハさあ。さっき城で札を作ったとき、あたしがあんたの手を握ってたでしょ」
「え? は、はい……急に掴まれてびっくりしましたけど……」
「もしかしたら、って思って……ねえ、もう一回、手を繋いでみましょ。やってみたいことがあるのよ」
トモエは借りたハンカチを顔に当てて汗を拭ったあと、それをポイッと軽く投げ返し、そのままハンカチをキャッチしたユラハの細い右手を、ぐっと力強く握りしめた。
慌ててユラハは反対側の手でハンカチを持ち替えると、スーツのポケットにしまい込む。
トモエのしっかりした手から、ユラハの細い指先に温かさがじんわりと伝わっていく。
「いい? あたしが力を送り込むから、あんたがそれをいい感じに整えて水たまりに流すのよ」
「そ、そんな器用なことできるかな……だけど、や、やってみます……!」
トモエがすっと息を吸い、赤熱の魔力をユラハの手へと流し込む。
はたして魔力なのか法力なのか、そもそも聖女としてのチュートリアル的な話も放り出してやってきた二人なので、魔力でも法力でも、魔術師側の話か教会側の話か、など『体から出ている力を変換しているようなものなら、どちらでも大差ない』というだろう。
単独なら暴走して周囲を爆破しかねないその激しい炎のような熱量を、ユラハの青白い光がすっと包み込み、滑らかに調和させていく。
二人の繋いだ手から、淡い虹色の光の波紋がふわりと広がった。
水面へと優しく光が滑り落ちた、その瞬間――。
キィィィン……!
澄み渡るような鈴の音とともに、淀んでいた水たまりが一瞬にして青く透きどおり、底の砂利までくっきりと見える極上の清水へと変貌した。
立ち上る水気までひんやりとしているようで、水の放つ爽やかな匂いすら心地よく漂ってくるのだった。
「……う、嘘でしょ……!? 力を使ったのに、ガッ! って力が抜けるような感覚が来ない! 全然、体がだるくならないんだけど……! 力の消費、一人でやったときの百分の一くらいじゃない!? すっごいじゃん!」
トモエはすくい上げた清水を喉へと一気に流し込んだ。
冷静に考えれば、綺麗に浄化しても浅い水たまりではあったので、すくい取ったあと僅かに砂が水中に巻き上がり、すぐに収まる。
水は冷たくて、土の香りはみじんもせずに驚くほど美味い。体中の細胞が生き返っていくようだ。
「ぷはぁーっ! 美味い! こりゃあすごい発見だったわね。あたしたちは二人でひとつってことじゃない?! お互いの欠けてるところを補える関係! あたしは力の調節ができないけど、威力は出せるから有事の際は任せて欲しいし、あんたは力が少ないけど調節は上手だから、調整の役目ができる。よーし、これからおてて繋いでばしばし奇跡起こすわよ! よろしくねユラハ! もう相棒だし、ユラって呼ぶわ! あたしのことはトモエでいいよ。抵抗あったらせめて、トモエちゃんにして」
バシバシと背中を叩いてくるトモエ。
さっき渡されたハンカチも使わないものだから、ユラハの背中には水を掬った濡れた手で叩かれた跡がくっきりついている。
「ううっ……、トモエ、さ……トモエちゃん……あの、触るのは手を拭いてからにしてくださぁい……わたし、あ、あまり、目立つようなことするの、嫌なんですけどぉ……あっ、でもお水美味しい……んぐっ、んぐっ……生き返りますね」
ユラハは背中が少しじっとりとする不快感に眉をひそめながらも、ごくごくと喉を鳴らして水を飲み干してから、満足そうに息を吐いた。
「でも、確かに魔法の長短についてはその案なら何とかなりそうですね……。わたしもさっきみたいに頑張っても比例しない状態はいやですし、それはこちらこそよろしくお願いします。あとは、ご飯とか寝泊まり、ですけど……」
「その辺の草でもむしって、浄化して食べればいいんじゃない? あ、ついでにお醤油とか作れないかしら」
「草を醤油で食べる気ですか!? ていうか、醤油の原材料って大豆と小麦と塩ですよ? そこらへんに大豆生えてるわけないじゃないですか! 生えていても、熟成とかあるんですからね?!」
「えっ、大豆と塩と麹的なものだけじゃないんだ?? 知らんかったわぁ……。奇跡なんだから、念じれば『なんか黒くてしょっぱい美味い液体』くらい出せるでしょ!」
「出ませんよ! 出たとしても得体が知れなすぎて絶対口にしたくないです!」
ぷりぷりと怒るユラハに、トモエはからからと豪快に笑った。
「まあいいじゃない。うちの開祖も言ってたわ。『天を仰げば、そこに救いがある』ってね」
「なんか壮大ですね。一体どんな意味の教えなんですか?」
「『人生を振り返って恥や憤りに流した涙の数だけ、乗り越えた翌日の酒が美味くなる』っていう崇高な教えよ!」
「すみませんちょっとよくわかんないです」
「そっか。宗の逸話から話すべき? あのね、確か……開祖が毎朝、生涯でやらかした数々の不祥事を反省し、朝露のように涙を流して反省したのよ。んで、毎日過酷な修行をしていたある日、喉の渇きに耐えかねて天を仰いだら、木の葉からポタッと雨露が口に落ちて、それが驚くほど美味い、まるで極上の美酒だったんだって。『これぞ天が授けし奇跡の露! 千遍飲んでも飽きぬ!』……って悟ったとか何とか」
「わたしは仏教徒じゃないので深くは突っ込めませんけど、悟りってそういう路線だったっけ? ……って、それぽかんと口を開けていたら、たまたま入った雨露が『なんかおいしい~~! お酒っぽい~』って感じて勝手にベロベロになったっていう、ただの変な人の逸話じゃないですか! あっ、もしかして『せんべろ』宗のせんべろって……!」
「せんべろが数百年前から存在してるかは知らないけど、もしかしたら一休和尚とソウルブラザーだったかもよ」
「適当なこと言うと怒られますよ!!」
「あそこのお寺さんは懐が広いから平気だよ」
ぎゃあぎゃあと賑やかに言い争いながら、二人は街道を歩き続ける。




