寺生まれと、修羅場を乗り越えてきた女
「ひ、ひいぃぃぃっ! ねえ、後ろから追ってきてますぅぅっ! わたしたち絶対に、叱られて処刑されるかもしれません!」
「うるさい、じゃあ死にたくなきゃ足を動かしなさい! あんな盲目的で人権無視のブラック労働に付き合ってたら、こっちの命がいくつあっても足りないわよ! あたしたちはヘラクレスとかじゃないんだよ!」
「ヘラクレスも生前は命が一個ですよ!? 死んでから不死になったんです!」
「あっそうなの!? 物知りだね~!」
つり上がった鳶色の瞳を楽しそうに細めつつ、茶髪を乱しながら爆走中のトモエが叫ぶ。
行く手には、脱出を阻むように立ち塞がる二人の近衛兵の姿があった。
彼らは長槍を交差させ、重厚な鉄の扉を背にして威嚇してくる。
「止まれ! 神聖なる儀式の場よりの逃走は――」
「邪魔すんなァ!! 喝ァァーーーッッ!!」
凄まじい踏み込みとともに、近衛兵たちに躍りかかるトモエ。
時速百キロを余裕で超える気迫の右拳が、近衛兵の頭部――ではなく、交差された鋼の槍めがけて振り下ろされる。
普通に、非力な女性ではなくとも無茶が過ぎる。
「あぶない!!」
ユラハが目をつむって、直後に起きる惨劇を見ないように顔を背けると、思わず掌を突き出す。
それは拒絶のためのポーズか、危機を救おうとしたのか、彼女自身も把握できないとっさの行動だった。
ドゴォォォンッ!!
「ぎゃあああっ!!」
地響きと共に人の悲鳴が聞こえて、ユラハは身を固くしたが――今聞こえてきたのは、男の声だけだった。
「ひぃっ、扉が吹き飛んだ!?」
へし折れた槍の破片とひしゃげた扉の残骸に巻き込まれ、衛兵たちが綺麗に左右へ吹っ飛んでいく。
その真ん中、すっかり風穴が空いた扉の前で、トモエは右手をぷらぷらと左右に軽く振っている。
「おっ? 今なんかしてくれたの? 右手が光ってすっごい威力が出たわ。サンキュー!」
「なっ……なんなんですかその威力?! 普通の人間が出していいパワーじゃないですよ!? あと、迷いなく突っ込むのおかしいですよね?!」
「神に逢うては神を殴り、聖に逢うては聖を蹴る。あたしの邪魔をする奴は、神様だろうが近衛兵だろうが全員一発退場よ!」
「格好いいこと言ってるけど、暴力はダメじゃないかな!?」
「やらなきゃやられるの。いーのよ、逢仏殺仏の意味はあらゆる執着を断って自由を得るってことなんだから。いいから早く、ケツまくって逃げるわよ!」
阿鼻叫喚に包まれる王城を背に、二人は裏庭の生垣を強行突破し、城下町の路地裏を猛スピードで駆け抜けて、そのまま見渡す限りの大自然――深い森の街道へと脱出したのだった。
◇◆◇
木漏れ日が揺れる街道の脇、巨大な樫の木の根元。
「ぜぇ……はぁ……ぜぇ……もう、一歩も……動けません……」
ユラハは地面にぺたりと座り込み、垂れ目を涙で潤ませながら完全に息絶え絶えになっていた。
長い黒髪の三つ編みはあちこち解けかけ、細い肩が激しく上下している。
目の前も急激な運動のせいか、ちかちかするし、口の中には血の味がするような感覚。
もちろん、血を吐いたりもしていないし、具合も――ノンストップで走りきって、呼吸が暴れていること以外は、特に問題はない。
「ちょっと、あんた体力なさすぎじゃない? まだ三十分も走ってないわよ。やっこさん達が馬で追いかけてきたらすぐ捕まるんだからね。ちょっと休んだら走ろ」
「ハァ、ハァ……。ゲホッ……。無茶言わないでください……! こちとら、毎日パソコンの前でカタカタ書類作ってただけの、か弱い事務員なんですよ……! ハァ……、体力ゲージはとっくに真っ赤です……なんで、あなたは平気なんですか??」
胸を押さえてめそめそと抗議するユラハの横で、トモエは息一つ乱さず、腰に手を当てて仁王立ちしていた。
「そりゃ、走ったらさすがに喉乾いたけど、あんたほどじゃないわ」
そういう割には立ち姿が妙に堂々としているので、まだ全然いけそうな雰囲気さえ醸し出している。
息もそんなに荒くなっていないし、彼女は体育会系出身、あるいは日頃から鍛えている人なのだろうか?
「事務員ねぇ。まああたしもOLだけど、実家が山奥の寺だったからね。毎朝の階段ダッシュ五十往復と薪割りが日課だったわ」
「どんなスパルタ寺院ですかそれ……。あ、あの、そういえば名乗ってませんでしたね。わたしはユラハっていいます」
「あたしはトモエ。実家は『千遍露宗 不祥寺』っていう、由緒正しくやらかしの歴史が詰まった寺の娘よ」
「せ、せんべろ? 不祥事……? 縁起が悪すぎる……聞いたことない宗派だし……」
ドン引きするユラハをよそに、トモエは喉元を手のひらで仰いだ。
平気な顔をしているように見えるが、彼女もからからの喉が、張り付くように痛んでいた。
城から着の身着のままで飛び出してきたため、水筒はおろかよさげな武器や防具の一つすら持っていない。完全なる無一文だった。
「あー、喉渇いたわね。……おっ? あそこに濁った水たまりがあるじゃない」
「えっ……あの、泥と苔が混ざった茶色い水ですか!? いやまさか飲む気? お腹壊して死んじゃいます……! ばい菌だらけだからダメです!」
「大丈夫よ。さっき封印の札を作ったとき、なんとなく力の使い方が分かった感じがしたのよ。聖女の奇跡ってやつで、綺麗な水に変えちゃえばいいんじゃない?」
「いやそんな、泥水を浄化できるほどだったら凄いですけども、まだ力とか何なのか分からないですし、聖女とか言われても」
「いいからいいから。何事も好奇心から始まるものよ」
トモエは自信満々に腕まくりをすると、濁った水たまりにうきうきと手のひらをかざした。
先ほどの札の要領で、腹の奥――丹田を意識してから肺や心臓を経由して力を引き出すイメージを想起し、一気に開放するため気合を込める。
「水よ清まれぇぇぇいッ! 破ァーーーッ!!」
ボッッッ!!
浄化どころか、真っ赤な魔力が爆発的な熱風となって炸裂した。
深さ五センチくらいの浅い水たまりが一瞬で蒸発し、白煙とともに泥が四方八方へ飛び散る。
あとには、黒く焦げた直径一メートルのクレーターがぽっかりと残されていた。
「…………」
「…………」
降り注ぐ泥の粉を浴びて、二人は沈黙した。
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