24 王都のギルドはブラック企業?
「……ん、うぅ……」
鳥のさえずりと、窓から差し込む柔らかな朝の光で、キリアンは目を覚ました。
彼は、激しく咳込むこともなく、信じられないといった様子で、自分の喉や胸元を何度もさすっている。土気色だったその顔には、驚くほど健康的な血色が戻っていた。
「私……は……? ……ア、アラームの魔導具は!? 遅刻か!?」
キリアンは血相を変えて跳ね起きたが、すぐに自分の置かれた状況を思い出し、呆然とシーツを見つめた。
きっと、毎朝のように叩き起こされているのだろう。彼の様子を見れば、すぐに分かった。
「目覚めはいかがですか、査察官様?」
カウンター越しに、俺はいつも通りのチャラい笑顔で手を振った。隣ではガルが、不器用に淹れた朝のハーブティーのカップをトレイに載せて待機している。
「き、貴様……私に一体、どんな怪しげな術をかけた……!」
「術なんて使ってないって。昨日も言ったでしょ? 俺はただ、あなたの呼吸が楽になるようにベッドの角度を調整して、喉を潤すお茶を淹れて、首の後ろを温めて自律神経を整えただけ。……つまり、極上のケアをしたってわけ。よく眠れたでしょ?」
「そ、それは……」
キリアンは、言葉に詰まった。
認めざるを得なかった。この数ヶ月、王都の高名な神官たちに高い金を払って『治癒魔法』をかけてもらっても全く治らなかった夜の生き地獄が、ただの「お世話」で完璧に解消されたのだから。
(システム、ステータス画面を展開)
俺が心の中で唱えると、キリアンの頭上にピッと半透明のウィンドウが現れる。
【対象:キリアン・フォン・ラディス】
【精神状態:極度の混乱・多幸感・認めたくないプライド】
【総合QOL値: 28% → 65%(一時的に大幅回復)】
(よしよし、いい感じに数値が上がって、こちらの提案を受け入れる心の余裕ができたな)
「さて、キリアン様」
俺は受付カウンターの上に、あらかじめ用意しておいた『新規契約書』を広げた。
「昨夜のケア、今後も王都で続けたいと思いませんか? あなたのその症状、一度良くなったからって放置したら、王都に戻った瞬間の激務でまた一発で再発しますよ」
「なっ……再発するだと!?」
キリアンが恐怖に顔を歪める。その脳裏に、王都での「日常」がよぎったのだろう。彼は、頭を抱えてブツブツと呟き始めた。
「……戻れば、またあの生活か。毎日、夜遅くまで終わらない書類仕事。手柄はすべてギルド長に横取りされ、失敗すれば連帯責任で減給……。ギルド指定の高価なポーションを買う金すら削られ、体調を崩せば『自己管理ができていない』と罵倒される……。あんな場所に、この身体で戻ったら、私は今度こそ死んでしまう……っ!」
うわぁ、出るわ出るわ。
聞いてるだけで胃に穴が開きそうな、絵に描いたようなブラック企業の社畜の叫びだ。
前世でもこういう限界サラリーマン、夜の駅のホームにたくさんいたなぁ。
「だったらさ、なおさら等価交換をしましょうよ」
俺はペンをキリアンに差し出し、ニッと笑った。
「このカルディア救護院の『営業停止』を撤回し、むしろ『医療ギルド公認の経過観察施設』として、王都から特例の予算を毎年ここに回してください。その代わり、俺はあなたに『毎月、その体調を維持するための特製ハーブと、自宅でできる睡眠環境調整の指導書』を王都へお届けします」
「ギ、ギルドの一等査察官たる私が、そのような不正に手を染めるとでも──」
「不正じゃないですよ。あなたは『現場を査察した結果、ここは医療行為ではなく独自の生活改善指導を行う施設であり、ギルドの利権を脅かすものではないと判断した』。……そう報告書に書くだけです。これでギルドの面子も立ち、あなたは健康と『確実に成果を出せる辺境のパイプ』を手に入れられる。出世の強力な武器になると思いません?」
キリアンはガタガタと震えながら、俺の差し出したペンと、書類を交互に見つめた。
過酷な王都の出世レースで生き残るため、そして何より、あの健やかな眠りを二度と手放さないために。
「……くっ、私は……私はただ、国家の医療のためにだな……」
お決まりの言い訳をぶつぶつと呟きながら、キリアンはついに羽根ペンを握り、書類のサイン欄にその名をサラサラと書き込んだ。
「契約成立。毎日のケアプラン、しっかり続けてくださいね、キリアン様」
俺が差し出した手を、キリアンは悔しそうに、しかしどこか救いを求めるような力で握り返した。
こうして、王都からの最初の刺客は、俺の『ケアプラン』の前に完全無力化され、むしろこちらの手駒へと変わったのだった。




