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23 査察官をケアしよう

 キリアンは、驚きと困惑の混じった目で俺を凝視している。完全にこちらのペースだ。


 俺はニヤリと笑うと、昨日まで徹夜で書き上げておいた『対・査察官用:ケアプラン』のテンプレート書類を手元に引き寄せた。


 そして、名前や具体的な症状が空欄になっていた部分に、羽根ペンでサラサラッと「キリアン様」「重度・慢性気管支炎」と軽快に書き込んでいく。


 仕上げにそれを、新築されたばかりのピカピカな受付カウンターへ、スッと彼の目の前に滑らせた。


【キリアン・フォン・ラディス様向け:安眠&胃粘膜保護ケアプラン】 


1. 就寝前の【緊張緩和リラクゼーション】による自律神経の調整 

2. 上半身をやや高く保つ【体位調整】(胃酸逆流・咳込み防止)

3. 蒸気吸入を兼ねた特製ハーブティーの飲用


 キリアンは、わらにもすがるような目で、その即席の書類を凝視している。


「おい、ジン……。お前、なんで査察官相手にその場でカルテ作って営業かけてんだよ……」


 横で見ていたガルが、半ば呆れ果てたような、俺の作戦が綺麗に決まったことにちょっとスッキリしたような、複雑な顔で呟いた。


「何言ってんの、ガル。どんな相手でも、来た瞬間に観察して、速攻でプランを提示するのがプロってもんでしょ」


 俺はキリアンに向き直り、とびきりチャラい営業スマイルを浮かべた。


「さて、キリアン様。営業停止にして、俺を王都に引っ張っていくか──それとも、今夜はここの快適なゲストルームに泊まって、数ヶ月ぶりの安眠を体験してみるか。……どっちがいい?」


「くっ……ば、馬鹿馬鹿しい! ギルドの一等査察官たる私が、そのような誘いに──ゲホッ、ゴホゴホッ!」


 啖呵を切ろうとしたキリアンが、激しく咳き込んで胸を押さえた。その顔は、苦痛で歪んでいる。


「……五分だ」


 キリアンは眼鏡を震わせながら、消え入るような声で絞り出した。


「五分だけ、その……『ケア』とやらを試してやる。もし効果がなければ、即座に貴様を連行するからな!」


「どうも。ガル、ゲストルームに案内して」


「はーい。こっちだよ、エリート様」


 ガルがニヤニヤしながら、まだ新しい木の香りがする個室へとキリアンを案内する。


 さて、ここからはプロのお仕事だ。


 俺はまず、キリアンをベッドに仰向けに寝かせた。 

 ただし、ただ寝かせるんじゃない。背中の下に特製の傾斜をつけたクッションを挟み、上半身を三十度ほど起こした状態にする。介護の基本、『セミファウラー位』だ。


「な、なんだ、この不自然な体勢は。寝る時は、平らな場所が良いに決まって……」


「いいから、黙って目を閉じて。呼吸、楽でしょ?」


「……あ」


 キリアンが、ハッとしたように目を見開いた。


 いつもなら横になった瞬間に胃液が逆流し、喉を刺激して始まる激しい咳が、不思議と湧き上がってこない。


「これね、上半身を少し起こすことで胃酸の逆流を防いで、さらに気道を広げて呼吸を楽にする姿勢なんだよ」


 驚くキリアンの枕元に、さらに温かい湯気を立てている木製のカップを置く。

 中身は、リラックス効果のあるカモミールに似た薬草と、喉の粘膜を保護するハチミツをブレンドした特製ハーブティーだ。


「はい、これ飲んで。飲む前に、まずはこの湯気を思いっきり鼻から吸い込んでみて」


 キリアンは言われるがまま、おそるおそる湯気を吸い込み、お茶を一口含んだ。


「お、おぉ……? 喉のイガイガが、スーッと消えていく……。それに、いつもせわしなく跳ねていた心臓が、静まるような……」


「湯気で気道を潤して、ハーブで高ぶった神経を落ち着かせてるの。仕上げに、ちょっと失礼」


 俺はキリアンの首の下に、温めたタオルを滑り込ませた。首の後ろの太い血管を温めることで、副交感神経を優位にし、強制的に睡眠モードへと誘うライフハックだ。


「あ……あぁ……温かい……。なんだ、これは……」


 キリアンの声が、目に見えてトロトロと弛緩していく。


 眼鏡の奥の鋭かった瞳はみるみるとろんと濁っていき、数ヶ月間彼を苦しめていた焦燥感が、嘘のように消えていく。


「ふぁ……、私は、ギルドの……一等、査察……官……な、の……に……」


 すやすや、と。


 言葉の途中で、キリアンは吸い込まれるように深い眠りへと落ちていった。その表情は、まるで母親の腕の中にいる赤ん坊のように穏やかだった。


「……マジかよ。あの嫌味な眼鏡が、一瞬で寝やがった」


 部屋の隅で腕を組んでいたガルが、信じられないものを見る目でベッドを見つめている。


「人間の身体なんて、単純なもんだよ。適切な環境さえ与えれば、どんな頑固な奴でもこうなる」


 俺は眠ったキリアンにそっと毛布をかけ、ニッと笑った。


 さあ、これで王都からの刺客の胃袋と睡眠の権利は、完全に俺が握った。


 明日。

 目が覚めた時、彼がどんな顔で俺にすがりついてくるか、今から楽しみで仕方がない。

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