22 キリアン査察官
「おい、ジン……本当に大丈夫なんだろうな? あと数刻で、王都からの馬車が到着するぞ」
新しくなった救護院の受付で、ガルがそわそわと落ち着かない様子で周囲を見回している。長い耳は終始ピクピクと警戒を怠らず、その手は新調した革のグローブを何度も握り直していた。
ゴルドたちが建て直してくれた新しい受付は、以前の薄暗くカビ臭かった面影は微塵もない。
車椅子に乗ったばあちゃんが目線を合わせやすいように、カウンターの高さはあえて低めのロータイプに設計されている。
木の温もりが残る広々としたロビーには、クッション性の高い背もたれ付きのベンチが並び、車椅子が旋回しやすいように十分なスペースが確保されていた。
受付の奥には、いつでも温かいハーブティーを提供できる給湯スペースまで完備している。
まさに、前世の俺が理想とした『誰もが使いやすく、心が落ち着くユニバーサルデザイン』の受付だ。
「大丈夫だって。ほらガル、そんなに肩を強張らせてたら、筋肉がガチガチになっちゃうよ? はい、深呼吸してー、吸ってー、吐いてー」
「緊張感を持てって、言ってるんだよ! 相手はあの『中央医療ギルド』の査察官だぞ!?」
「緊張したって、査察官は来るんだし。俺たちのやるべきことは、いつも通り『お迎えの準備』をするだけさ」
俺はヘラヘラと笑いながら、綺麗に磨き上げられた木製のカウンターに、数枚の「書類」を整然と並べた。昨日まで徹夜で書き上げた、対査察官用の特製ケアプランだ。
その時、救護院の正面に、重厚な馬車の停まる音が響いた。
ガルの身体が、ビクッと強張る。
ガシャガシャと不躾な鎧の音を響かせ、新築の床を土足で踏み荒らしながら現れたのは──仕立ての良い漆黒の法衣をまとった、神経質そうな細身の男だった。
三十代半ばといったところか。度の強い眼鏡の奥にある瞳は、ひどく冷徹で、傲慢な光を放っている。
その後ろには、ギルドお抱えの武装した護衛兵が二人、威圧的に控えていた。
「ふん……ここが例の『違法医療行為』の疑いがある救護院か。随分と妙な造りにしているようだが、実にみすぼらしい」
男は周囲を一瞥し、鼻で笑った。
「私は中央医療ギルド所属、一等査察官のキリアン・フォン・ラディスである。この地に『教会の認可なき奇跡の癒やし手』を名乗る不届き者がいると聞き、査察に参った。……即座にその者を差し出し、ここの薬草庫を開けなさい」
高圧的な態度。ガルが鋭い犬歯を剥き出しにして一歩前に出ようとするのを、俺は手で制した。
「いらっしゃいませ、キリアン査察官。遠路はるばる王都から、お疲れ様です。俺が、ここで世話係やってるジンです」
俺は最高の営業スマイルを浮かべ、一歩前に出た。
同時に、俺の目はキリアンを上から下まで、徹底的に観察し始めていた。
(……ほう。なるほどね)
キリアンは傲慢に胸を張っているが、その顔色はどこか土気色で、ひどく悪い。
話すたびに、ウッと胃の辺りを気にするように胸元に手を当てている。さらに、時折激しい咳を堪えるように喉を震わせ、そのたびに眉間に深い皺が刻まれていた。
極め付けは、彼の「呼吸」だ。息を吸い込む時に、かすかにヒューヒューという不快な呼吸音が混じっている。
(システム、ステータス画面を展開。キリアンの状態をフォーカスしろ)
心の中で唱えると、俺の目の前に半透明の画面が出現した。
【対象:キリアン・フォン・ラディス】
【呼吸器状態:重度・慢性気管支炎/喘息】
【消化器状態:神経性胃炎】
【精神状態:極度の焦燥・慢性睡眠不足】
【総合QOL値: 28 / 100】
(うわぁ……エリート様も見かけ倒しだな。身体の中身は限界寸前のブラック労働者じゃん)
前世でもよく見た。出世競争に追われ、ストレスで胃に穴を開けながら、部下や弱者に八つ当たりすることでしか自尊心を保てない、哀れな中間管理職の姿そのものだ。
「ジンと言ったか。貴様だな、領主の痛風を『呪いではない』などと騙り、怪しげな術を施したのは。ギルドの許可なき医療行為は、重罪だ。この救護院は本日をもって営業停止、貴様は王都へ連行する」
キリアンは冷酷に言い放ち、護衛兵に顎で合図を送った。
しかし、兵士が動くより早く、俺はキリアンの目をまっすぐに見つめて、憐れむようなトーンで声を落とした。
「……査察官様。そんなことより、毎晩、横になると襲ってくる激しい咳のせいで、もう何ヶ月もまともに眠れてないんじゃないですか?」
「な……っ!?」
キリアンの動きが、ピタリと止まった。
「日中はエリートとして気を張っているからマシですが、夜、ベッドに入って身体が冷えてくると、喉の奥が狭まるようにして息ができなくなる。胃はストレスでキリキリと痛み、王都の高級な料理も、最近は砂を噛むような味しかしない」
「き、貴様……なぜそれを……っ!?」
キリアンは顔を真っ青に染め、眼鏡をガタガタと震わせた。
「教会の神官に高価な『治癒魔法』をかけてもらっても、その場しのぎで、翌日の夜にはまた窒息しそうなゲホゲホという咳が出る。……当然ですよ。治癒魔法は、あなたのその『擦り切れた自律神経』までは整えてくれませんから」
俺は、受付のカウンターに置いたケアプランの一枚を、スッとキリアンの前に滑らせた。
「キリアン様。俺なら、今夜からあなたを『朝まで熟睡』させてあげられますよ。……どうします? お仕事、、続けますか?」
俺の不敵な笑みに、キリアンの喉がヒュッと鳴った。




