16 「これは介護です」とは伝えない
「……な、なんじゃこれは……っ」
煤けた工房の片隅。ゴルドは、台車に載せられた『極純鉄』のインゴットを見つめ、大ぶりの手をがたがたと震わせていた。
「不純物が一切ない……。それどころか、まるで神の祝福を受けたように清らかな魔力を帯びておる。……こんなもの、ワシのような老いぼれが叩いて良い代物ではないぞ……!」
ドワーフとしての本能が、かつてない至高の素材を前に奮い立っている。しかし、その瞳には深い怯えの色が混ざっていた。
いざ金槌を握ろうとするその指先が、目に見えて震えている。
恐怖だ。金槌を振り下ろした瞬間に、再びあの、背骨を直接稲妻で焼かれるような激痛が走るのではないかという、肉体にしみついたトラウマ。
「……ジン。ゴルドのやつ、ビビっちゃってるよ」
ガルが、心配そうに俺の耳元で囁く。
ハインツじいさんも静かに腕を組み、ゴルドの背中を見つめていた。
(……あぁ、分かるよ。恐怖なんだ)
前世で、貪るように読んだリハビリテーションの本。
そこには、高齢者や怪我人が直面する「廃用症候群」のことが書かれていた。
動くと痛い。だから、動かない。動かないから筋肉がさらに硬くなり、次の動作でまた激痛が走る。そうして心まで折れて、人は寝たきりになっていく。
ここで「大丈夫、俺が介護してあげるから!」なんて言ったら、この頑固な職人のプライドは木っ端微塵だ。
介護の本質は、本人の自立支援。
彼が「自分の意志で」もう一度立ち上がるための、環境と心の手助けをすることだ。
「──ゴルドさん、ちょっといい?」
俺はいつものように、ヘラヘラとした軽い笑みを浮かべて間に入った。
「な、なんじゃ、若造。ワシは今、イメージを膨らませておる最中で──」
「いやいや、イメージの前に、まずは最高の作品を作るための『セルフコンディショニング』をしなきゃ。ほら、王都の超一流の剣士って、みんなお抱えの専属トレーナーにフォームの調整をしてもらってるだろ?」
「と、とれーなー……? フォームだと?」
「そうそう。ゴルドさんっていう『世界一の鍛冶設備』が錆びついてちゃ、せっかくの極純鉄がもったいない。お節介な専属トレーナーとして、ちょっとだけ調整させてよ」
「……ふ、ふん。まあ、お前さんがそこまで言うなら、少しだけ身体を預けてやらんでもない」
ゴルドは強がりながらも、ほっとしたように息を吐いた。
俺はそっと、彼の背後に回る。
「よし、まずは【筋肉緊張緩和】からね。肩の力を抜いて、深く息を吐いて──」
俺はゴルドの太い肩と背中に手を置き、じんわりと温熱と弛緩のスキルを流し込んだ。
ガチガチにロックされていたインナーマッスルが、ゆっくりと、だけど確実にほぐれていく。
「お……おぉ……。背中の奥が、じわぁっと温かくなっていくぞ……」
「よし、次は姿勢の矯正だ。ゴルドさん、金槌を持って金床の前に立って。そう、いつも通りに」
ゴルドが金槌を握り、構える。
それだけで、彼の背中が猫背になり、腰に無理な負担がかかる角度に曲がった。
「ストップ! その構え、腰が死んじゃう。いい? 腕だけで金槌を上げようとするから、重いんだよ。……骨盤をスッと立てて、お腹に少し力を入れる。足は肩幅に開いて、膝を軽く曲げてバネにするんだ。重力を、足の裏で受け止めるイメージだよ」
俺は、ゴルドの腰を後ろから支えて、骨盤の位置をグッと微調整した。
ドワーフのずんぐりとした身体は驚くほど重く、筋肉の強張りに対抗して支えるだけで、俺の腰にもピキッと鈍い痛みが走る。
(くっ……、やっぱり中腰での介助は重いな……! だけど、ここで俺がブレたら、ゴルドさんが倒れる……!)
前世で、おばあちゃんをベッドから車椅子へ移乗させる介助の動画を、擦り切れるほど見た。あの時、一歩踏み出せなかった俺の身体が、今、必死にゴルドの重心を支えている。
「いくよ、ゴルドさん。腕の力じゃない、膝を軽く伸ばしながら、金槌の自重をそのまま下に落とす……せーのっ!」
「おおおおおっ……!!」
ゴルドが雄叫びを上げ、白銀に熱せられた極純鉄に向けて、金槌を振り下ろした。
──カァァァァァァン!!!
工房を、そして荒野の空気を切り裂くような、どこまでも澄み切った美しい高音が響き渡った。
「……あ」
ゴルドは金槌を持ったまま、呆然と固まっていた。
痛みは、ない。
それどころか、自分の身体とは思えないほど滑らかに、そして全盛期を遥かに凌駕する重い一撃が、完璧に鉄の芯を捉えていた。
「響いた……。ワシの槌が、鉄の神髄に、届いたぞ……!」
「まだまだ! 鉄が冷めないうちに、次いくよ! 姿勢をキープして、呼吸を合わせて!」
「うおおおっ!」
俺が後ろからゴルドの身体を支えて、最適なフォームへと導く。
ゴルドが魂を込めて、極純鉄を叩き、引き伸ばし、鍛え上げていく。
二人三脚の、泥臭くて、だけど、最高に熱いリハビリ。
その光景を見つめていたハインツじいさんは、深く息を吐き、静かに微笑んだ。
「……見事なものだな。若者のあの不思議な技は、ただ身体を癒やすのではない。失われた『生きる意志』そのものを、再び奮い立たせる力がある」
「ジン、かっこいい……!」
ガルが目を輝かせて歓声を上げる。
♢
数時間後。
汗だくになって床に倒れ込んだ俺たちの前に、それは完成していた。
白銀の輝きの中に、まるで星屑を散りばめたような青い光を宿す、一振りの見事な宝剣。
極純鉄のポテンシャルを120%引き出した、伝説の鍛冶師の最高傑作だ。
「できた……。ワシの、一生の最高傑作だ……」
ゴルドは涙ぐみながら、愛おしそうに剣の腹を撫でた。
俺は痛む腰を叩きながら、へたり込んだままニコニコと笑う。
「これなら、領主も有難く受け取るんじゃね?」
しかし、その言葉に、ハインツじいさんの表情がすっと険しくなった。
「……あぁ。だが、ジン殿。気をつけるのだ。あの強欲な領主が、この『神の金属』で出来た剣を、ただの儀礼用として大人しく受け取るとは思えん」
救護院を立て直すための宝剣を手に、俺たちは次なる戦い──領主との直接対峙へと向かうことになる。




