15 ドワーフの鍛治師・ゴルド
集落のおばあさんたちに惜しまれながら見送られた俺たちは、再び荒野の砂にまみれた街道を進んでいた。
ガルの引くカートには、おばあさんたちから受け取ったささやかな報酬と、あの白銀に輝く『極純鉄』がしっかりと収まっている。
「……ふむ。ジン殿、その極純鉄を、まっとうな武器や道具へと仕上げ、カルディア救護院の本格的な補修費用に充てたいのであれば──紹介したい者がいる」
それまで黙々と歩いていたハインツじいさんが、ふと荒野の先、岩肌が牙のように露出した赤茶けた丘を指し示した。
「あそこは、かつて王都でも名を馳せた高名なドワーフ鍛冶師、ゴルドの工房だ」
「伝説の鍛冶師? そんなすごい人が、なんでまたこんな辺境に?」
ガルの問いに、ハインツじいさんは少し寂しげに目を細めた。
「頑固者でな。数年前から酷い腰痛と右腕の強張りに悩まされ、まともに金槌を振るえなくなったのだ。職人にとって、道具を握れぬことは死も同然。偏屈さに拍車がかかり、今や誰の言葉も聞き入れん。領主から命じられた『儀礼用の宝剣』の納期も迫っているというのに、工房に引きこもったままだと聞く」
「金槌の振りすぎによる職業病……慢性的な関節痛とギックリ腰、ねぇ」
それを聞いた瞬間、俺の頭の中に「あの頃」読み漁った本の一節が、鮮明な記憶と共に引き出された。
──あの日。
ばあちゃんが亡くなったと知った日。
自分の愚かさに、のたうち回るほど後悔した夜。俺はただ、何かに縋るように──介護や生活支援の本、動画、解剖生理学の資料をかき集めた。
「どうして腰が曲がるのか」
「どうして関節が痛むのか」
「どうすれば、少しでも楽な姿勢を作ってあげられたのか」
もう二度と触れることのできないばあちゃんの体を思い浮かべながら、血の滲むような思いで頭に叩き込んだ──膨大な「生きるための身体の知識」。
プロの資格なんて持っていない。だけど、あのどうしようもない後悔の中で、必死に手を伸ばして掴み取った知識だけは、今の俺の肉体に確かに息づいている。
(職業性腰痛、それに肘や手首の腱鞘炎……。職人の身体は、同じ動作を何十年も繰り返すことで、特定の関節に爆弾を抱える。それはら魔法で『一瞬だけ痛みを消す』だけじゃ解決しない。原因となる身体の使い方を変えなきゃ、金槌を握ればすぐに再発する)
目の前に「身体が思うように動かず、絶望している人」がいる。
前世の俺なら「偏屈なじいさんなんて関わるだけ面倒だし、他を当たろうぜ」と逃げていただろう。
しかし、今の俺は違う。
「よし、ハインツじいさん。そのゴルドさんの工房へ行こう。俺たちの『生活支援』と、彼の『一級品の技術』、ちょっとマッチングさせてみるわ」
たどり着いたのは、岩山を力任せにくり抜いて作られた、煤と鉄錆の匂いが立ち込める薄暗い工房だった。
奥の寝台には、ずんぐりとした体格のドワーフの老人が、苦しそうに腰を丸めて横たわっている。
「……誰だ、お前らは……! 帰れ! ワシはもう、一本の釘すら打てん……うっ!」
起き上がろうとしたゴルドが、激痛に顔を歪めて自身の腰を押さえた。
「ゴルドよ、相変わらず手酷い有様だな」
「ハ、ハインツ……!? なぜお前が……いや、その足はどうしたのだ! 歩けないはずでは……」
「これは、ジン殿の『ケア』のおかげだ。ゴルド、大人しくその身を彼に預けてみろ」
俺はゴルドの傍らにしゃがみ込み、そのガチガチに強張った背中と腰にそっと触れた。
システムのアセスメントを展開する。
【状態:慢性変形性腰椎症、右肘・手首の腱鞘炎】
【原因:金槌を振るう際の前傾姿勢による、腰背部筋肉への過負荷】
「ゴルドさん、ちょっと背中を失礼。……うわ、鉄板が入ってるみたいに硬いな」
「触るなと言って……っ、あ……?」
俺は手のひらに、じんわりとした温熱と、筋肉の強張りを解く微弱なスキルを込めた。
これは「治癒魔法」ではない。長年の酷使で熱を持って腫れ上がった患部の炎症を優しく冷まして、ガチガチにロックされたインナーマッスルをほぐすだけの地味な支援。
(アクティブ──【生活機能回復:筋肉緊張緩和】&【絶対浄化:局所消炎】)
その瞬間、ゴルドの呼吸が劇的に軽くなった。
「腰の、あの焼けるような痛みが……引いていく……? 右腕の痺れも……」
「完全に治ったわけじゃないよ、ゴルドさん。長年の使い方のクセのせいで、骨と筋肉が悲鳴を上げてただけだ。……ゴルドさん、いつも金槌を振る時、背中を丸めて、腕の力だけで叩いてなかった?」
「うっ……そ、それは……ドワーフの伝統的な叩き方で……」
「だめだよ、それ。一番重い道具を使う時こそ、骨盤を立てて、膝のクッションを使って全身の体重を載せるんだ。いわゆる『ボディメカニクス』ってやつさ。ちょっと一回、その軽いハンマー持ってみて。俺が後ろから支えるから」
俺は戸惑うゴルドの背後に立ち、彼の骨盤と肩にそっと手を添えた。
重心の置き方、踏み込みの角度、重力に逆らわない身体の使い方。
介護の現場で、介助者が自分の腰を破壊しないために徹底的に叩き込まれる、究極の身体の知恵。
「そう、背中を丸めずに、お腹に少し力を入れて……ここで一気に、膝を軽く曲げながら腕を落とす!」
ゴルドがおそるおそる、ハンマーを床の金床へと振り下ろした。
──カンッ!!
工房の空気を引き裂くような、高く澄んだ音が響き渡る。
「……あ」
ゴルドは自分の手を見つめ、それから信じられないものを見るように俺を振り返った。
「痛くない……。それどころか、以前より軽い力なのに、何倍も芯に響く打ち込みができた……。なんだこれは、これが、人間の、お前さんの言う技術なのか……!?」
「身体を壊す努力はもうおしまい。これからは、身体を労わりながら最高の仕事を続けるんだよ、頑固おやじさん」
俺はいつものようにヘラヘラと笑ってみせた。
ゴルドの琥珀色の瞳から、一筋の涙がボロ布のような髭を伝ってこぼれ落ちる。
「ワシは……また、鉄を叩けるのだな……。この恩、どう返せばいい、ジン殿」
「それじゃあさ」
俺はカートから、あの『極純鉄』のインゴットを取り出し、ゴルドの前に差し出した。
「このとっておきの素材で、領主の鼻を明かすような、最高の一振りを一緒に作ってくれない? もちろん、ゴルドさんの身体のケアは、俺が最後まで責任を持つからさ」
純白に輝く『神の金属』を目にしたドワーフの鍛冶師は、その目をらんらんと輝かせ、豪快に笑った。
「面白い……! このゴルドの魂、お前さんに預けたぞ、若き主よ!」
魔法で傷を塞ぐだけでは、職人の魂までは救えない。
身体を整え、生きがいを取り戻す。それこそが、俺の目指す異世界での「介護」の形だ。
カルディア救護院の未来を拓く、究極の武器作りが、今ここに幕を開けた──。




