14 初めてのクエスト
アイアン・スライムの「極純鉄」を手に入れた俺たちは、台車をガタゴトと鳴らしながら、救護院への帰路についていた。
しかし、その道中──荒野の窪地にひっそりと佇む、獣人や貧しい人間が身を寄せる小さな集落を通りかかった時のことだ。
「……あれ? ジン、あそこ」
ガルが耳をピクピクと動かし、集落の中心にある共同井戸を指差した。
そこには、数人の腰の曲がったおばあさんたちが集まり、冷たい泥水が入った桶を囲んで、震えながらシーツをごしごしと手洗いしていた。
「冷たいねぇ……」
「水がこれだけ濁っていると、何度すすいでも汚れが落ちんよ。あいたた、指の関節が痛むわい……」
おばあさんたちは真っ赤にかじかんだ手を擦り合わせ、痛そうに顔を歪めている。
その光景を見て、前世で見たニュース──高齢者の「変形性関節症」や「冷えによる痛み」を思い出した。高齢になると、冷たい水での力仕事は関節に致命的なダメージを与える。
「……よし。ハインツじいさん、ガル。ちょっと寄り道して『クエスト』をこなしていこう」
「クエスト、だと? ギルドの依頼でもないのにか」
ハインツじいさんが不思議そうに首を傾げる。
「目の前に『生活がしづらくて困っている人』がいたら、首を突っ込む。それが俺のルールだからさ」
そう言って、俺はいつものようにヘラヘラと笑ってみせた。
だけど、そんな態度で繕った胸の奥は、じりじりと焼けるように痛んでいた。
(……前世の俺なら、間違いなく素通りしてただろうな)
冷たい風が吹く中、かじかんだ手で洗濯をするおばあさんたちの姿を見つめながら、俺は自嘲気味に思う。
前世の俺は、めんどくさいことから逃げて、チャラチャラと遊び回ってばかりの空っぽな奴だった。
おばあちゃんが病室で寂しく待っていると分かっていても、「今日はお見舞い行くのだるいな」「友達と遊ぶ方が楽しいし」と、適当な言い訳を作って自分の快楽だけを優先していた。そうやって、一生消えない取り返しのつかない後悔を背負った。
だから、ここに飛ばされて、スキルを手に入れたとき、自分の中で何かが決定的に変わったんだ。
神様から与えられたこの力は、あの日の俺への「お仕置き」であり、「ラストチャンス」だ。
もう、見て見ぬふりをして逃げるのはたくさん。
目の前で、誰かが「不快」や「痛み」に耐えながら、声をあげることもできずに生活しているなら。
おばあちゃんにしてあげられなかったことのすべてを、俺はここにいる人たちにぶつけたい。
それがどんなに自己満足で、ただの汚い罪滅ぼしだとしても、もう二度と「あの日の自分」には戻りたくないんだ。
「おばあちゃんたち、ちょっとその井戸、見せてもらってもいい?」
俺が声をかけると、おばあさんたちは驚いたように顔を上げた。
「おや、旅の若者かね? この井戸はもうだめさ。数日前の地響きで底の泥が巻き上がって、それからずっと濁った水しか出んのだよ」
「ちょっと、失礼」
俺は井戸のロープをたぐり、バケツで水を汲み上げた。
汲んだ水は、案の定、茶色い泥や砂が混ざってドロドロだ。これでは洗濯どころか、飲むこともできない。
(原因は、地殻変動による井戸底の粘土層の崩落、それに伴う雑菌の繁殖だな。……よし、やるか)
「ガル、まずは物理的な掃除からだ。井戸の中の泥をできるだけ掻き出すぞ。ハインツじいさんは、周りの危ない石を片付けて動線を確保して」
「おう! 任せて!」
「うむ、承知した」
俺たちはまず、泥だらけになりながら井戸の底の大きなヘドロやゴミを手作業でバケツに汲み出し、物理的な清掃を行った。スキルは万能の魔法じゃない。まずは「環境整備」が不可欠なのだ。
一通りゴミを取り除き、仕上げの段階で、俺は井戸の水面にそっと両手をかざした。
(アクティブ──【絶対浄化:残留泥質吸着・水質殺菌】!)
じわぁ……と、手のひらから微弱な光が水面へ広がっていく。
井戸水に残っていた微細な粘土質の粒子が急速に凝集して底へ沈殿し、雑菌が綺麗に分解されていく。
みるみるうちに、泥水だった井戸が、水晶のように澄み切った美しい清水へと変わっていった。
「す、すげえ……っ! 水が、透き通った!」
「これだけじゃないよ、ガル。例のやつ、組み立てて」
ガルが台車から取り出したのは、道中でハインツじいさんに切り出してもらった石と、木製の配管を組み合わせた「ろ過・集熱タンク」だ。
これを井戸の汲み上げ口に連結する。そこに、俺がそっと手を添えた。
(アクティブ──【生活機能回復:温熱循環バフ】)
これは、お湯を沸かす攻撃魔法ではない。
タンクの中を通る水に「熱を逃がさない断熱の膜」を張り、自然な摩擦熱や周囲のわずかな熱源を効率よく循環させる、生活支援の地味なバフだ。
ガルが井戸のポンプを引くと、カランカランと音を立てて、湯気を立てる温かいお湯がタンクから溢れ出てきた。
お湯の温度は、触れていて心地よい人肌の温かさ──約40度。
「おばあちゃん、このお湯で手、洗ってみて」
「おや、温かい……? ああ……なんて心地よいお湯なんだ……!」
おばあさんがおそるおそる温水に手を浸すと、強張っていた指先がみるみるほぐれ、その顔にパッと大輪の笑顔が咲いた。
「これなら、冷たい水で関節を痛めることもないし、冬場の洗濯も楽でしょ?」
「ありがとう、本当にありがとう……! 魔法使い様でも治せなかった井戸を、こんなに便利にしてくれるなんて……!」
集落の人々が集まってきて、涙を流して俺たちの手を握り締めてくれた。
俺たちが受け取った報酬は、金貨ではなく、彼らが大切に蓄えていたわずかな干し肉と、おばあちゃんたちが手作りした乾燥ハーブの束。
俺たちのカートに、温かい感謝の気持ちと確かな生活資源が積み上がっていく。
「……ジン殿」
それを見ていたハインツじいさんが、静かに、だけど深く感じ入ったように呟いた。
「やはりお前の技は、世界を救う大層な魔法よりも、人の心を救う。冷たい水に凍える老人の手を温めることこそ、真の救いなのかもしれんな」
「だから、ただの生活スキルだって」
夕日に染まる荒野を歩きながら、俺たちは救護院への帰路につく。
大した英雄にならなくたっていい。
目の前の「暮らし」がちょっとだけ楽になるのを見届けるのが、俺たちの最高の報酬なのだから。




