12 ウサギの母娘・ルナとルリ
領主の私兵たちを、文字通り「お昼寝」させるように追い払ってから、数日。
カルディア救護院の日常は、驚くほど穏やかに、そして確実に賑やかさを増していた。
「おい、ガル! そっちの角材を支えてくれ。私が一気に打ち込む!」
「了解、ハインツじいちゃん! いつでもいけるよ!」
救護院の庭では、ハインツじいさんとガルが汗を流しながら、何やら熱心に木工作業をしていた。
ハインツじいさんは、右脚が完全に動くようになったおかげで、かつての強靭な体力を取り戻しつつある。引退したとはいえ、元Aランク冒険者。そのパワーと身のこなしは圧倒的だ。
そこに、ガルの職人としての緻密な設計が加わり、救護院のボロかった外壁や柵が、みるみるうちに頑丈で美しいものへと補修されていく。
「いやー、本当に助かるわ。これで救護院の『バリアフリー化』と『防犯対策』が一気に進むよ」
俺はテラスの椅子に腰掛け、ばあちゃんにお茶を淹れながら、二人の作業をニコニコと眺めていた。
「ジン、本当に毎日が夢のようだねぇ。美味しいご飯が食べられて、こんなに若くて元気な子たちに囲まれて……長生きはしてみるものだねぇ」
車椅子に揺られながら、ばあちゃんがしみじみと呟く。
前世の──あの孤独な病室での最期を思い出すと、ばあちゃんがこうして笑ってくれているだけで、胸の奥がじんわりと温かくなる。
「まだまだこれからだよ、ばあちゃん。生活の質の向上に終わりはないからね」
俺がいつもの調子でウインクした、その時。
トコトコと、救護院の入り口の方から小さな足音が近づいてきた。
ハインツじいさんがすぐに気配を察知し、大剣の柄に手をかける。ガルも警戒して耳をピッと立てた。
──現れたのは、ボロボロの布をまとった、小さな一人の少女だった。
ウサギのような長い耳が頭から生えており、泥や埃で汚れている。その腕には、ぐったりとした大人のウサギ獣人の女性が抱えられていた。母親だろうか。
「あの……っ、ここ、は……」
少女はかすれた声で、怯えながら俺たちを見上げた。
「マ、ママが……お腹が痛くて、ずっと動けないの……。街の教会に行ったら、獣人の治療はできないって、追い出されて……。森のハーブを採りにいったら、ハインツ様が『ここに行けば、どんな病でも治す、凄腕の治療術師がいる』って言ってたのを聞いて……っ」
「……あ」
ハインツじいさんが、気まずそうに目を逸らした。
このじいさん、自分が歩けるようになったのが嬉しくて、リハビリがてら近隣を散歩したときに言いふらしたな?
しかし、そんなことはどうでもいい。
俺はすぐさま少女の元へ駆け寄り、母親の様子を観察した。
意識は朦朧としており、呼吸が荒い。お腹を抱えるようにして丸まっている。
(システム、起動!)
【名前:ルリ(32)】
【種族:兎獣人】
【状態:急性虫垂炎、脱水、高熱】
【精神状態:死への恐怖、娘への心配】
「盲腸か……! 放っておけば、腹膜炎を起こして命に関わる。だけど、この世界には外科手術なんて……いや、俺のスキルなら!」
神聖魔法でも治せなかったものを治すのが、俺のスキルだ。
「じいさん、ガル! この二人をすぐに中へ運ぶぞ! ガルは、温かい水と清潔な布を用意して!」
「お、おう! 分かった!」
「ルリ殿、すまぬ、少しの間だけ辛抱してくれ」
ハインツじいさんが、かつての戦場での手際を思わせる慎重さで母親を抱え上げ、救護院の中へと運び込む。
小さなウサギ獣人の少女は、涙をポロポロとこぼしながら、母親の手を握りしめていた。
「大丈夫だよ、お嬢ちゃん。俺に任せな」
俺は少女の頭をポンポンと撫でて、優しく微笑みかけた。
教会の高慢な神官たちが「獣人だから」と見捨てた命。
役に立たなくなったら、弱者になったら切り捨てる異世界の冷酷な常識。
そんな常識、俺のスキルで何度でも叩き潰してやる。
♢
急性虫垂炎。
前世の日本であれば、抗生物質で散らすか、あるいは外科手術でピピッと虫垂を切り取れば、それほど恐れる病気ではない。
だが、この世界にメスも、無菌室も、麻酔薬もない。もちろん、そんな高度な魔導具も存在しなかった。
「マ、ママ……っ! ママ、死んじゃうの……?」
小さなウサギ獣人の少女が、母親の手を握りしめたまま、ポロポロと大きな涙をこぼしている。
「大丈夫。お兄ちゃんに任せな」
俺は少女の頭をもう一度優しく撫で、母親であるルリさんの寝台へと向き直った。
彼女は高熱と腹部の激痛から、呼吸を荒くして苦しんでいる。これ以上放置すれば虫垂が破裂し、腹膜炎を起こして命に関わる。
しかし、ここで俺は焦らない。
俺の持つ力は、万能の治癒魔法でも、神聖な奇跡でもない。生活支援に特化した【介護】スキルだ。
病気を『消し去る』ことは俺にはできない。だけど、身体を最大限にいたわって、ルリさん自身の「生きる力」を引き出す環境なら、いくらでも整えられる!
それが、スキルを持つ俺のプライドだ。
治して終わりじゃない。治った後に、この人がどうやって「自分の力で暮らしていけるか」まで付き合うのが、俺の役目だから。
(システム、起動。アクティブ――【生活機能回復:体内毒素排出)】)
(さらにアクティブ――【絶対浄化:局所細胞修復】!)
ルリさんの右下腹部に、そっと両手をかざす。
手のひらから、優しくも吸い込まれるような清浄な純白の光が放たれ、彼女の身体を包み込んだ。
医療における「絶対的な清潔」を極める【絶対浄化】。
このスキルは、体外だけでなく『体内』の不要な不純物や、炎症を起こしている病原菌すらも対象にする。
そして【体内毒素排出】が、ルリの体内で悪さをしている虫垂の膿や毒素を、リンパや血管を通して急速に分解・処理していく。
次第に、ルリさんの口から吐息が漏れてきた。
しかし、それは、痛みの悲鳴ではない。
みるみるうちに、彼女の呼吸が穏やかになり、おでこにびっしょりと浮かんでいた冷や汗がすっと引いていく。
赤く腫れ上がっていた顔色が、まるで魔法のように健康的な小麦色へと戻っていった。
「ママ……? ママ!」
「う、うぅ……。ここ、は……?」
ルリさんの長い耳がぴくりと動き、ゆっくりと目が開かれた。
先ほどまでの死にそうな表情が嘘のように、その瞳には力強い光が灯っている。
「ママ! よかった……よかったぁ!」
「ル、ルナ……? ……あれ、お腹が、痛くない……? あんなに熱くて、身体が重かったのに……」
彼女は信じられないといった様子で、自分のお腹をさすりながら起き上がった。
「おいおい、起き上がるのはまだ早いって。今はス、キルで無理やり菌を滅殺して炎症を抑えただけだからね。しっかり水分と栄養を取って、安静にしてないとだめだよ」
俺はいつもの軽いノリでピースサインを作りながら、ガルに目配せをした。
「ガル、あの特製ゼリー持ってきてくれる?」
「おう! すぐ持ってくる!」
ガルが走って持ってきた、栄養たっぷりの冷たいハーブゼリー。
ルナと呼ばれた少女が、それをスプーンですくってルリさんの口元へと運ぶ。
「ママ、これ、冷たくて美味しいよ。お兄ちゃんたちが作ってくれたの」
「……ありがとう。いただきます……」
ゼリーを口に含む。
その瞬間、彼女の丸い目が見開かれ、ぽろぽろと涙が零れ落ちた。
「おいしい……。こんなに甘くて、優しい食べ物……生まれて初めて食べました……」
「そりゃよかった。まずは体力を回復させて、それから今後のことを考えようか」
俺が優しく微笑むと、ルリは寝台から滑り落ちるようにして、床に両膝をついた。
「お医者様……。街の教会では、獣人だからと門前払いにされました。この子がどれだけ泣いて縋っても、あいつらは冷たい目で石を投げつけてきたのです……。それなのに、あなたは……」
「医者ってわけじゃねえけど。目の前で苦しんでる人がいたら、種族なんて関係なく手を差し伸べる。それがうちの救護院の『ルール』だから」
俺の後ろで、ハインツじいさんが愉快そうに鼻を鳴らし、ばあちゃんが「本当に優しい子だねぇ、ジンは」と目を細めている。
ガルもまた、自分のことのように誇らしげに胸を張っていた。
しかし、その温かい空気の中、俺の脳裏には一つの「現実的な問題」が浮かんでいた。
(……助けるのはいいんだけどさ。これで入居者がまた増えたわけだ。ばあちゃん、ハインツじいさん、ルリさん、ルナちゃん、そして俺とガル。……食料も、生活費も、まじで本格的に底をつくぞ?)
悪徳領主の兵士を追い払ったとはいえ、ここは最果ての荒野。まともな産業もない。
救護院を維持し、みんなを健康に幸せにするためには、どうしても『資金』が必要だ。
「ハインツじいさん、ちょっと相談があるんだけどさ」
「ん? 何だ、ジン殿」
「じいさんの動くようになったその体と、元Aランクの知識……。ちょっと俺に貸してくれない?」
ニヤリ、と俺は悪い顔で笑った。
生活スキル【介護】の圧倒的な力を使って、荒野の資源や魔物の素材を『最高品質の生活資源』へと加工し、外の世界で大儲けしてやろう。
カルディア救護院の、本格的な「自給自足&成り上がり」計画が、ここから始まろうとしていた――。




