10 人を傷つける武器より、誰かを笑顔にする道具を
「す、すまない。柄にもなく、取り乱してしまった……」
大泣きしたハインツじいさんは、ガルが差し出した手ぬぐいで顔をごしごしと拭きながら、バツが悪そうに咳払いをした。
だが、その顔には先ほどまでの「死に場所を求める死相」は消え失せていた。かつて、Aランク冒険者として名を馳せた男の、力強い覇気がみなぎっている。
「気にすんなって、ハインツじいさん。男の涙は、男のフカフカになった敷布団が全部吸い取ってくれるからさ」
「ふん、相変わらず軽薄な口調の小僧だ。だが……この恩は一生忘れん。私の命、今日からお前に預けよう」
「重い重い! じいさんの命はいらないから、元気で長生きしてよね。……お、ちょうどいいところに」
リビングの奥、個室のドアがゆっくりと開き、ばあちゃんがひょっこりと顔を出した。
お粥とゼリーで体力を回復したばあちゃんは、壁に手を突きながら、少しずつ自力で歩けるようになっていた。
「あら、新しいお客様かい? ずいぶんと賑やかだねぇ」
「ばあちゃん! 紹介するよ、元・最強剣士のハインツじいさん。今日から、うちの入居者・第一号ね」
「まあ。ハインツさん、よろしくねぇ」
ばあちゃんが上品に微笑むと、強面のハインツは一瞬で毒気を抜かれたように、あわあわと頭を下げた。
「ハ、ハインツと申します、マレッタ殿。お初にお目にかかる……」
「あはは! ハインツじいちゃん、耳真っ赤だぞ!」
ガルが、尻尾を振りながら大笑いする。
元Aランク冒険者も、優しくて温かい「ばあちゃんの笑顔」には敵わないらしい。
そんな微笑ましい光景を見つめながら、ばあちゃんがふと、救護院の窓の外に視線を向けた。
赤茶けた荒野。だけど、そこには異世界ならではの、果てしなく広がる大きな青空と、地平線へと続く大自然が広がっている。
「……いい天気だねぇ。ジン、私、少しだけでいいから、外の風に当たってみたいねぇ……」
ぽつり、とばあちゃんが呟いた。
ずっと部屋に閉じこもっていることは、精神的なストレスに繋がる。外の風を感じ、太陽の光を浴びる「外出」は生活の質をブチ上げるための──最強のアクティビティだ。
(よし、ばあちゃんのお出かけ、プロデュースしちゃいますか! ……でも、そのためには、安全に移動するための『足』が必要だな)
俺が物置きで腕を組んで考えていると、ガルがトコトコと後ろからついてきて、犬の耳をピンと立てた。
「……ジン、ばあちゃんを外に連れていきたいんだろ?」
「そうなんだけどさ。荒野の地面はガタガタだし、普通に抱っこして歩くのはばあちゃんの体力がもたない。何かしらの乗り物が必要なんだけど……」
「それなら、俺に任せろ」
ガルが、自分の細い胸をドンと叩いた。
「俺さ……実は、昔に親父から木工とか鍛冶の技術を教わってたんだ。この国じゃ獣人は武器なんて作らせてもらえないし、俺自身、人を傷つける剣や槍なんて作りたくなかった。だけどさ……」
ガルは物置きの隅に積まれた、古い木材や鉄くずを見つめた。
「『人を守るための道具』なら、俺、魂込めて作れる。ジンが頭の中で考えてる『ばあちゃんを座らせて運ぶ道具』の形を教えてくれ。俺の手で形にしてやる!」
ガルの琥珀色の瞳には、職人としての強い信念と、ばあちゃんを喜ばせたいという真っ直ぐな想いが宿っていた。
「ガルちゃん……。よし、最高。相棒の腕前、見せてもらうよ!」
俺は前世の「車椅子」の構造――体重を分散させるシートの傾斜、頭を支えるヘッドレスト、そして動かすための車輪の仕組みをガルに伝えた。
ガルは驚くほど真剣な目で頷くと、すぐに作業に取り掛かった。
ボロい荷車を解体し、使えそうな木材をカンナで滑らかに削っていく。
金属のパーツをハンマーで叩き、車輪の軸を正確に調整していくその手つきは、完全にプロのそれだった。
額に汗を浮かべ、泥だらけになりながら、ガルは一切の妥協なく「ばあちゃんのための特等席」を組み上げていく。
「よし、組み立てはできたぞ! ジン、あとは頼む!」
ガルが作り上げたのは、無駄のない美しい曲線を描く、木製の『リクライニング車椅子』のフレームだった。
座る人の身体を優しく包み込むような、見事な職人技。
「すげえよ、ガル。──それじゃ、俺のスキルで仕上げるわ」
俺は完成した車椅子に両手を添えた。
(アクティブ――【環境整備:補装具形成(衝撃吸収・姿勢保持)】)
俺のスキルが、ガルの作った極上の車椅子と共鳴するように、淡いピンク色の光を放つ。
座面と背もたれには、絶対浄化済みのフカフカの綿クッションが魔法のようにピタッと敷き詰められた。
さらに、ガルが作った精巧な車輪の軸に、俺のスキルが「どんなでこぼこ道でも振動を完全に打ち消す、不可視の空気サスペンション」を付与していく。
ガルの『職人技』と、俺の『介護スキル』。
俺たちの想いと力が合わさることで、世界で最も優しくて、最も快適な『特製リクライニング車椅子』が誕生した。
「す、すごいな……。触ると、信じられんほど柔らかい。それに、車輪は驚くほど滑らかに回るぞ……!」
ハインツが車椅子を触り、その出来栄えに目を見張っている。
「やったな、ガル!」
「おう! ジン! これなら、ばあちゃんをどこにでも連れていけるぞ!」
俺とガルは、パチンと力強くハイタッチを交わした。
「よし、ばあちゃん。お出かけの時間だよ」
「あら、お姫様抱っこかい? 照れるねぇ」
「アクティブ、【移乗介助:無重力抱擁】」
ばあちゃんをフワッと持ち上げ、車椅子の特等席へと優しく着席させる。
膝には、風よけの温かいブランケットをかけた。
「座り心地が良すぎて、このまま眠ってしまいそうだねぇ。ガル、これを作ってくれたのかい?」
「うん! ジンと一緒に作ったんだ。ばあちゃん、乗り心地はどう?」
ガルが犬の耳を嬉しそうにパタパタさせながら覗き込むと、ばあちゃんは本当に嬉しそうに目を細めた。
「最高だよ。ガルの優しい気持ちが、じんわり伝わってくるよ」
「……へへ」
ガルは照れくさそうに鼻を擦った。
さあ、出発進行。
ガタガタの赤土の地面。本来なら激しく揺れるはずの荒野の道だが、車椅子はまるで氷の上を滑るかのように、完全に無振動で、スーッと静かに進んでいく。
「冷たくて、気持ちいい風だねぇ……」
ばあちゃんが、両手を広げて、荒野の風をいっぱいに浴びた。
その頬には太陽の光が反射し、瞳がキラキラと輝いている。
ふと──前世の、白い壁に囲まれた、機械の電子音だけが響くあの冷たい病室。を思い出した。
そこから、ばあちゃんを連れ出してあげたかった。 こんな風に、青空の下で笑わせてあげたかった。
あの日の後悔が、ばあちゃんの笑顔と、隣で誇らしそうに胸を張るガルの姿によって、すっと消えていくようで……。
「おい、小僧……いや、ジン殿。そして、ガル」
後ろを歩いていたハインツじいさんが、静かに俺たちに並んだ。
「お前たちのその『守る』ための力……。戦いの中で心を失い、ただ死を待つだけだったこの私すら、救われた。お前たちは、この最果ての地で、世界で最も価値のあることを成し遂げようとしているぞ」
「へへ、大袈裟だって。ハインツじいさん」
いつものように笑い合う、俺たち。
だが、その時。
俺たちの前に、荒野の向こうから、砂煙を上げて走ってくる──数騎の馬が見えた。
馬に乗っているのは、ぎらぎらとした金属の鎧を身にまとった、傲慢な顔をした男たち。
彼らの姿がはっきりと見えた瞬間、ガルの犬の耳がぴたりと後ろに寝そべり、その細い肩が怒りと恐怖で激しく震え始めた。
「……っ、ジン。あいつらは……領主の兵隊だ」
ガルは悔しそうに拳を握りしめ、怯えを殺した掠れた声で、俺に囁いた。
「この辺境を支配してる『バルドゥール領主』の私兵たちだよ。この救護院にまともな食料の配給もよこさないくせに、毎年、ありもしない『土地使用税』とか『獣人居住税』とか言って、めちゃくちゃな金をむしり取っていくんだ……! 払えないと、ボコボコにされて、最期は……っ」
ガルの悲痛な言葉に合わせるように、馬を止めた兵士のリーダー格が、俺たちの木製車椅子を舐めるように見下ろした。
「おい! そこの獣人と、見慣れん金髪のガキ! 領主様への今月分の税がまだ納められていないぞ! 今日中に金を出せ」
口の端を吊り上げて、ニヤニヤと笑みを浮かべる。
「……さもなくば、その救護院は今日限りで取り壊し、全員、奴隷商人に売り飛ばしてやる!」
ギラリと、錆びた鉄の剣が抜かれた。
せっかくのばあちゃんとの初めての外出。その穏やかな空気が、一瞬にして冷酷な暴力の気配に塗りつぶされていく──。




