第5話 【余計なこと】
田中義雄の死亡から三日。
グリーンヒルズなごみは通常運転に戻っていた。
食堂ではテレビが流れている。
利用者は食事をしている。
職員は忙しく動いている。
田中がいた席には別の利用者が座っていた。
まるで何事もなかったように。
介護施設では珍しくない。
誰かが亡くなる。
数日後には新しい入居者が来る。
現場は止まれない。
休憩室。
美月はノートパソコンを開いていた。
タイトル。
【田中義雄様死亡経過について】
事故発生前の薬剤変更。
食事量低下。
嚥下機能低下。
夜間状態。
時系列でまとめていた。
「何してるの?」
背後から声。
振り返る。
大森だった。
「あ・・・」
美月は画面を閉じようとした。
しかし遅かった。
大森は内容を見てしまう。
数秒の沈黙。
「これ。」
「・・・。」
「何のつもり?」
昼休み。
事務室。
美月は呼び出されていた。
中には主任の大森。
副主任。
フロアリーダー。
役職者やリーダー介護士が全員揃っていた。
美月は嫌な予感がした。
大森が口を開く。
「田中さんの件。」
「はい。」
「何が問題だと思ってるの?」
美月は戸惑った。
「え・・・?」
「だから。」
「何が問題なの?」
美月は意を決した。
「薬剤増量後に状態が変化しています。」
「食事摂取量も落ちています。」
「嚥下機能も・・・」
途中で遮られる。
「で?」
美月は言葉を失う。
副主任が口を開いた。
「佐藤さん、家族と会議をしてから、医師が処方した薬だよね?」
「はい。」
「家族も同意してるよね?」
「はい。」
「死亡診断書は?」
「誤嚥による窒息・・・」
「高齢者施設では珍しくないよね?」
美月は黙った。
確かに。
全部正しい。
大森が続ける。
「ねぇ。」
「私たちが田中さんを殺したって言いたいの?」
部屋の空気が凍る。
「違います!」
「じゃあ何?」
美月の声が小さくなる。
「ただ・・・」
「何か防げたんじゃないかって・・・」
大森は深いため息を吐いた。
「防げた?」
「どうやって?」
「夜勤二人で?」
「利用者七十八人いて?」
「毎日残業して?」
「欠員だらけで?」
誰も何も言わない。
大森の声は怒っていた。
だが。
どこか悲しそうだった。
「私はね。」
「田中さんを助けたかったよ。」
「みんなそうだよ。」
「でも限界なんだよ。」
その言葉は美月の胸に刺さった。
会議終了後。
美月は一人で階段に座っていた。
涙が止まらない。
その時。
「隣、いいかな。」
顔を上げる。
榊だった。
「聞いてました?」
「少しだけ。」
美月は苦笑した。
「私がおかしいんですかね。」
榊は答えなかった。
すぐには。
しばらく沈黙が続く。
そして。
「正しいことと。」
榊が言う。
「組織が求めることは別なんだ。」
美月は顔を上げる。
「君は正しい。」
「でも。」
「正しい人間が潰されるところを、俺はたくさん見てきた。」
榊自身、その仕事をしてきたからだ。
美月は知らない。
目の前の男が、
まさにそういう人間を消すために送り込まれた存在だということを。
その夜。
施設長室。
施設長の机の上に一枚の紙が置かれた。
【佐藤美月】
【組織適応困難】
【不満傾向あり】
【要対応】
【自主退職、非常に困難な状況】
施設長はペンを走らせる。
そしてメディカルリンク宛のメールを送信した。
件名。
「対象者の選定完了」
榊のスマートフォンが震える。
通知を見た榊は、
しばらく画面を見つめたまま動かなかった。
今回の標的。
佐藤美月。
彼女を辞めさせる。
それが自分の仕事だった。




