第4話 【静かな夜】
田中義雄が静かになって五日が過ぎた。
職員たちは安堵していた。
「最近落ち着いてるね。」
「夜勤が楽になった。」
「助かるわ。」
誰も悪気はない。
本当に助かっていた。
離床センサーは鳴らない。
深夜の徘徊もない。
怒鳴り声もない。
利用者同士のトラブルもなくなった。
グリーンヒルズなごみには久しぶりの平穏が訪れていた。
ただ一人。
佐藤美月だけは違和感を抱いていた。
昼食。
田中は椅子に座っていた。
目は開いている。
しかし焦点が合わない。
「田中さん。」
反応が遅い。
数秒後。
ようやく視線が動く。
「・・・ああ。」
小さな返事。
以前の田中からは想像できなかった。
昼食介助。
スプーンを口へ運ぶ。
飲み込みが遅い。
口の中に食べ物が残る。
頬に食物が溜まる。
美月は気になった。
「大森さん。」
「ん?」
「ちょっと飲み込み悪くなってません?」
大森は田中を見る。
数秒。
「薬の影響かな。」
「でも・・・。」
「最近転んでないでしょ?」
「・・・。」
「眠れてるし。」
「・・・。」
「いいことだよ。」
美月は黙った。
確かに。
転倒していない。
暴れていない。
夜勤も回っている。
施設としては良い状態だった。
その日の夕方。
榊は偶然食堂を通った。
利用者たちが夕食を食べている。
田中もいた。
だが。
食事が進んでいない。
口を動かしているだけ。
飲み込めていない。
そして。
一瞬だけ。
ごく小さく喉が鳴った。
「ゴロ・・・」
榊は足を止める。
田中はまた無表情に戻った。
夜勤。
午後十一時。
大森と美月。
いつもの二人体制。
利用者七十八人。
変わらない。
ただ。
今夜は珍しく落ち着いていた。
コールも少ない。
離床も少ない。
徘徊もない。
美月は記録を書いていた。
ふと気付く。
田中の部屋の巡視時間だった。
ドアを開ける。
薄暗い個室。
田中は眠っていた。
規則正しい呼吸。
そう見えた。
美月はドアを閉めようとして。
止まった。
何かがおかしい。
静かすぎる。
近づく。
耳を澄ます。
呼吸音が聞こえない。
「・・・田中さん?」
返事はない。
肩を叩く。
反応なし。
もう一度。
強く叩く。
その瞬間。
口元から茶色い液体が流れた。
美月の背筋が凍る。
「大森さん!!」
叫び声が施設中に響く。
大森が駆け込む。
ベッドの上。
仰向けの田中。
口腔内には吐物。
呼吸停止。
脈触知せず。
大森の顔色が変わる。
「吸引器!!」
美月が走る。
しかし。
数分後。
救急隊到着。
心肺停止。
搬送。
その結果。
死亡確認。
死因。
誤嚥による窒息。
翌朝。
施設長室。
誰も口を開かなかった。
沈黙の中。
施設長が言う。
「事故報告書を作成してください。」
「はい。」
「夜間巡視は実施していましたね?」
大森が答える。
「していました。」
施設長は頷いた。
「なら問題ありません。」
その言葉に。
榊は初めて違和感では済まない何かを感じた。
本当に問題はなかったのか。
田中義雄は。
本当に寿命だったのか。
それとも。
誰も気付かないうちに。
少しずつ殺されていたのか。
そしてその日の午後。
佐藤美月は一通の内部メモを書き始める。
「田中義雄様死亡経過について疑義あり」
そのメモが、
グリーンヒルズなごみを揺るがす最初の火種になる。




