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第35話 【解任請負人】



病院。


深夜。


大森は母の手を握っていた。


もう会話はできない。


意識もほとんどない。


呼吸だけが続いている。


その呼吸も少しずつ弱くなる。


大森は泣かなかった。


もう十分泣いたから。


ただ手を握っていた。


幼い頃。


熱を出した夜。


母がそうしてくれたように。


午前三時四十二分。


母の呼吸が止まった。


静かだった。


春子と同じだった。


あまりにも静かだった。


葬儀の日。


親族が帰ったあと。


大森は一人で実家へ残った。


古いアルバム。


幼い自分。


若い母。


運動会。


入学式。


卒業式。


そこには人生があった。


介護保険証も。


診療情報提供書も。


ケアプランもない。


ただ人生があった。


大森は写真を抱きしめた。


そして初めて気付く。


施設で見てきた利用者達も。


みんな同じだった。


春子も。


認知症の佐々木さんも。


暴言ばかり吐いていた山口さんも。


みんな。


誰かの大切な人生だった。


数日後。


グリーンヒルズなごみ。


大森は出勤した。


美月が驚く。


「主任。」


「休まなくていいんですか。」


大森は少し笑う。


「ここが私の居場所だから。」


食堂。


利用者達がいる。


テレビを見ている人。


眠っている人。


職員を呼ぶ人。


笑う人。


怒る人。


いつも通りだった。


世界は止まらない。


その時。


榊が施設へ来た。


施設長室。


榊。


施設長。


大森。


しばらく沈黙。


そして榊が言った。


「契約終了のご挨拶です。」


施設長が頷く。


今回の案件。


解任者なし。


メディカルリンクとしては珍しい結果だった。


榊は立ち上がる。


そして。


大森へ向き直る。


「負けました。」


大森は首を振る。


「違います。」


「・・・。」


「誰も勝ってない。」


その言葉が部屋に残る。


榊は施設を出る。


玄関前。


夕暮れ。


利用者を車椅子で散歩させる美月。


笑い声。


風。


沈む夕日。


榊は立ち止まる。


病院編なら。


不正を暴けば終わりだった。


解任すれば終わりだった。


だが。


この施設には。


解任すべき悪人はいなかった。


いたのは。


疲れた人達だった。


限界まで頑張っている人達だった。


榊は初めて名刺を見つめる。


そこには書いてある。


解任請負人


榊真司


しばらく見つめる。


そして。


小さく呟く。


「解任されるべきなのは。」


「誰なんだろうな。」


施設の中。


美月が利用者へ声を掛ける。


大森が新人へ指導する。


施設長が家族対応をしている。


また誰かが辞めるかもしれない。


また事故が起きるかもしれない。


また誰かが亡くなるかもしれない。


それでも。


明日もこの人達は出勤する。


誰かの人生を支えるために。


その姿を見ながら。


榊は歩き出した。


本当に解任されるべきもの。


それは人ではなく。


善人を壊していく疲弊。


現場を追い詰める制度。


誰も悪人にならなくても、


誰かが傷ついてしまう構造。


もし解任請負人が必要なら。


本当に向き合うべき相手は、


そこなのかもしれない。


夕日が沈む。


介護施設の一日が終わる。


そして。


明日もまた始まる。



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