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第31話 【解任できるものなら】


春子が亡くなって一か月。


グリーンヒルズなごみ。


現場は相変わらずだった。


欠員。


残業。


終わらない記録。


鳴り続けるコール。


何も変わらない。


ただ。


大森だけが少し変わっていた。


母の件以来だった。


職員へ怒鳴る回数が減った。


記録のミスにも以前ほど厳しくない。


新人が泣いていても、


すぐに叱らなくなった。


理由は単純だった。


みんな限界だと知ったから。


その日の午後。


施設長室。


佐久間施設長。


大森。


そして。


榊真司。


久しぶりの顔だった。


榊は書類を机へ置く。


「内部告発です。」


空気が変わる。


施設長が眉をひそめる。


書類をめくる。


転倒事故。


誤薬。


記録不備。


家族からの苦情。


そして。


ある職員の名前。


佐藤美月。


大森の表情が変わる。


榊は続ける。


「複数の職員から聞き取りを行いました。」


「業務遂行能力に問題があります。」


「事故との関連も否定できません。」


「解任対象として十分です。」


静かだった。


病院編の榊なら。


ここで終わっていた。


事実。


証拠。


解任。


それで済んだ。


だが。


大森は黙っていなかった。


「反対です。」


榊が顔を上げる。


施設長も驚く。


大森は続けた。


「佐藤は解任できません。」


「なぜです。」


「現場が回らなくなるからです。」


榊は眉をひそめる。


「感情論ですか。」


その瞬間。


大森の中で何かが切れた。


「違います。」


「現実です。」


施設長室が静まり返る。


「榊さん。」


「あなたはこの施設で夜勤したことありますか。」


「・・・。」


「利用者八十人。」


「夜勤二人。」


「コール同時多発。」


「看取り。」


「転倒。」


「認知症による離棟。」


「全部経験したことありますか。」


榊は答えない。


大森は止まらなかった。


「佐藤は確かにミスをします。」


「記録も遅い。」


「判断も未熟です。」


「でも。」


「誰よりも利用者の部屋へ行きます。」


「誰よりも残業しています。」


「誰よりも泣いています。」


榊の表情が変わる。


初めてだった。


ここまで感情を見せる大森を見るのは。


「解任したらどうなります。」


「代わりはいますか。」


「求人応募はありますか。」


「来月の夜勤表作れますか。」


「利用者を誰が見るんです。」


一つ一つ。


重い言葉だった。


施設長は俯いている。


全部事実だから。


榊は静かに言う。


「しかし問題はあります。」


「あります。」


大森は即答した。


「あります。」


「改善も必要です。」


「必要です。」


「指導も必要です。」


「必要です。」


そして。


大森は榊を見た。


「でも。」


「解任だけが解決じゃない。」


「・・・。」


「この業界は。」


「人を切れば終わりじゃないんです。」


「切った瞬間。」


「残った人間が壊れるんです。」


誰も喋らない。


長い沈黙。


やがて。


施設長が口を開いた。


「今回の解任案件は見送ります。」


榊は動かない。


施設長は続ける。


「ただし。」


「改善計画は提出します。」


「佐藤への教育も強化します。」


「・・・。」


「メディカルリンクへの委託料は契約通りお支払いします。」


榊は静かに頷いた。


反論はしない。


ただ。


納得したわけでもなかった。


会議終了後。


榊は一人で施設を歩いていた。


夕方。


食堂。


美月が利用者の食事介助をしている。


疲れた顔。


目の下の隈。


荒れた手。


それでも。


利用者へ笑顔を向けている。


榊は立ち止まった。


そして初めて思う。


病院と介護施設は違う。


不正を暴くだけでは救えない現場がある。


解任して終わりではない。


もっと根深い何かがある。


榊はまだ答えを見つけられない。


そして。


その夜。


大森の携帯が鳴る。


母が入院する病院からだった。


嫌な予感がした。


今度は。


転倒ではなかった。



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