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第28話 【ありがとうございました】


春子が亡くなった朝。


グリーンヒルズなごみは、


いつも通り動いていた。


朝食。


配薬。


排泄介助。


記録。


コール対応。


何も変わらない。


昨日と同じ朝。


ただ一人。


春子がいないだけだった。


美月は空になった部屋の前で立ち止まった。


102号室。


名札はまだ残っている。


昨日まで。


ここに春子がいた。


「ありがとう。」


その声が耳から離れない。


「佐藤さん。」


振り返る。


大森だった。


目は少し赤い。


だが表情はいつも通り。


主任の顔だった。


「仕事戻ろう。」


「・・・はい。」


現場は待ってくれない。


それが介護施設だった。


数日後。


春子の葬儀。


小さな家族葬だった。


浩一。


妻。


子ども達。


親族数名。


そして。


施設からは大森と美月が参列した。


焼香が終わる。


遺影。


春子は笑っていた。


施設では見せなかったくらい、


元気な笑顔だった。


美月の胸が痛む。


こんな風に笑う人だったんだ。


もっと早く知りたかった。


式が終わる。


帰る前。


浩一が二人を呼び止めた。


「本当に。」


深く頭を下げる。


「ありがとうございました。」


美月は固まる。


大森も。


浩一は続けた。


「母は幸せだったと思います。」


「・・・。」


「最後に会えました。」


「ありがとうって言ってくれました。」


「それだけで十分です。」


美月は俯いた。


十分じゃない。


そう思った。


もっとできた。


もっと食べられたかもしれない。


もっと早く異変に気付けたかもしれない。


もっと。


もっと。


浩一は知らない。


職員達がどれだけ後悔しているか。


帰りの車。


運転する大森。


助手席の美月。


しばらく無言。


そして。


美月が呟いた。


「私。」


「うん。」


「春子さん救えましたか。」


大森は答えない。


答えられない。


数分後。


ようやく口を開いた。


「分からない。」


「・・・。」


「でも。」


赤信号で止まる。


大森は前を向いたまま言う。


「一人で死ななかった。」


「・・・。」


「浩一さんは間に合った。」


「・・・。」


「それは大きいと思う。」


美月の目から涙がこぼれた。


春子は救えなかったかもしれない。


でも。


最後の瞬間。


独りじゃなかった。


それだけは事実だった。


その夜。


大森は実家へ電話した。


母が出る。


「あら。」


「どうしたの。」


大森は少し笑う。


「元気?」


「元気だよ。」


母も笑う。


その声を聞きながら。


大森は春子を思い出していた。


そして。


初めて言った。


「今月帰る。」


電話の向こう。


沈黙。


そして。


母の声が少し震えた。


「そう。」


「楽しみにしてる。」


その言葉が。


なぜか胸に刺さった。


大森はまだ知らない。


その約束が、


思ったよりずっと早く試されることを。


翌朝。


大森の携帯が鳴る。


見慣れない番号。


発信元。


実家近くの介護施設。


嫌な予感がした。


長年現場にいる人間だけが持つ、


説明できない感覚。


震える指で電話に出る。


「大森さんでしょうか。」


「はい。」


「お母様の件でご連絡です。」


大森の表情が変わる。


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