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第27話 【間に合わなくても】


午前四時二十三分。


呼び出し音。


一回。


二回。


三回。


浩一は眠っていた。


スマホが震えている。


四回。


五回。


ようやく目を開ける。


画面を見る。


施設名。


心臓が嫌な音を立てた。


「もしもし。」


自分の声とは思えない。


電話の向こう。


美月だった。


「夜分に申し訳ありません。」


「・・・。」


「お母様ですが。」


浩一は息を止める。


「状態がかなり変化しています。」


「・・・。」


「可能であれば来ていただけますか。」


可能であれば。


介護施設職員が使う、


優しい言葉。


でも本当の意味を浩一は理解した。


来てください。


今すぐ。


十分後。


浩一は車に乗っていた。


パジャマのまま飛び出した。


妻も起きた。


「私も行く。」


「いや。」


「子ども達いるだろ。」


それ以上言えなかった。


車が走る。


まだ暗い。


信号だけが赤く光っている。


浩一は何度も時計を見る。


五時。


五時十分。


五時二十分。


時間だけが進む。


施設。


春子の部屋。


美月。


大森。


二人がいた。


春子は眠っている。


いや。


眠っているように見える。


呼吸が浅い。


そして長い。


一回呼吸する。


しばらく止まる。


また呼吸する。


美月の胸が苦しくなる。


何度経験しても慣れない。


大森が時計を見る。


五時二十八分。


浩一はまだ着かない。


春子の指が少し動いた。


美月が近づく。


「春子さん。」


反応はない。


でも。


口が少しだけ動いた。


何か言っている。


聞き取れない。


美月は耳を近づけた。


かすれた声。


ほとんど息だけの音。


それでも聞こえた。


「浩ちゃん・・・」


美月の目から涙が落ちた。


浩一を待っている。


最後まで。


母だった。


五時三十六分。


施設の自動ドアが開く。


浩一だった。


走る。


廊下を走る。


相談員が止めることもできない。


誰も止めない。


走れ。


間に合え。


全員がそう思っていた。


部屋の扉が開く。


「母さん!」


浩一の声。


その瞬間。


春子のまぶたが少し動いた。


本当に少しだけ。


そして。


ゆっくり目を開いた。


浩一を見る。


焦点は合っていない。


それでも。


分かった。


息子だ。


浩ちゃんだ。


春子が微笑んだ。


最後の力を振り絞るように。


そして。


小さく言った。


「来たの。」


浩一は泣いた。


声を上げて。


子どものように。


「来たよ。」


「母さん。」


「来たよ。」


何度も。


何度も。


春子は頷く。


安心したように。


本当に安心したように。


そして。


最後の言葉を残した。


「ありがとう。」


浩一の手を握る。


昔。


小さかった浩一の手を握ったように。


優しく。


そして。


その手から力が抜けた。


静かだった。


あまりにも静かだった。


時計の秒針だけが聞こえる。


誰も声を出せない。


浩一だけが。


春子の手を握り続けていた。


「母さん。」


返事はない。


「母さん・・・」


返事はない。


それでも。


浩一は手を離せなかった。


美月は部屋を出た。


廊下へ出る。


そして。


誰もいないナースステーションの奥で、


壁に背中を預けた。


涙が止まらない。


春子が亡くなったからじゃない。


浩一が間に合ったからだ。


最後に。


「来たの。」


と言えたから。


それだけが救いだった。


大森も窓際へ向かった。


朝日が昇っている。


涙を拭く。


施設長だから。


今から家族対応。


死亡確認。


書類。


職員への指示。


やることは山ほどある。


でも。


ほんの数秒だけ。


娘として祈った。


「お疲れさまでした。」


春子へ。


そして。


いつか同じ日が来る自分の母へ。


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