第17話 【最後のベテラン】
西田が退職届を出した。
施設中に衝撃が走った。
勤続十八年。
グリーンヒルズなごみの歴史そのもの。
利用者のことも。
家族のことも。
職員のことも。
誰より知っていた。
昼休み。
職員食堂。
皆その話をしていた。
「冗談でしょ。」
「西田さんまで?」
新人職員は青ざめる。
大森は何も言わない。
一番ダメージを受けているのは、
たぶん大森だった。
西田は同期だった。
訴訟も。
コロナも。
大量離職も。
全部一緒に乗り越えてきた。
「なんで辞めるんですか。」
美月が聞いた。
西田は少し笑う。
「疲れた。」
それだけだった。
だが。
その一言が重かった。
その日の夜。
榊は西田と話していた。
施設裏の駐車場。
自販機のコーヒー。
「本当に疲れただけですか。」
西田は笑った。
「鋭いな。」
沈黙。
「春子さん見ただろ。」
榊は頷く。
「田中さんも。」
「・・・。」
「俺さ。」
西田は缶コーヒーを見つめる。
「最初は怒ってたんだ。」
「・・・。」
「なんでちゃんと食べさせない。」
「なんで記録直さない。」
「なんで報告しない。」
「ずっと言ってた。」
榊は想像できた。
若い頃の大森と同じ。
若い頃の山下と同じ。
そして今の美月と同じ。
「でもな。」
西田は笑う。
力なく。
「十年やると分かる。」
「・・・。」
「正論だけじゃ人は増えない。」
「・・・。」
「会議しても人は来ない。」
「・・・。」
「事故報告増やしても人は来ない。」
榊は黙る。
西田は続ける。
「なのに利用者は増える。」
「重症者も増える。」
「家族の要求も増える。」
「書類も増える。」
「責任も増える。」
「給料は増えない。」
笑いながら話している。
だが目は笑っていない。
「だから辞める。」
それだけだった。
翌日。
西田の退職が正式発表された。
職員会議。
空気は重い。
そして。
さらに追い打ち。
事務長が言う。
「補充予定はありません。」
誰も驚かない。
驚けない。
予想していたからだ。
西田一人分の仕事。
誰かがやる。
いや。
全員で背負う。
会議終了後。
美月は配置表を見る。
西田が抜けた来月。
夜勤回数。
大森 8回
男性介護士 9回
新人職員 7回
異常だった。
法律違反ではない。
だが。
まともな状態でもない。
その時だった。
春子の部屋からコール。
美月が駆け込む。
春子がベッド上で苦しそうに呼吸している。
顔色不良。
痰が絡んでいる。
「春子さん!」
酸素飽和度。
88%。
低い。
明らかに低い。
美月はナースコールを押す。
しかし。
誰も来ない。
皆他利用者対応中だった。
一分。
二分。
三分。
ようやく応援が来る。
大森だった。
春子を見る。
そして。
一瞬だけ。
疲れ切った顔をした。
「またか・・・」
その呟きを、
美月は聞いてしまう。
またか。
春子は急変したのではない。
何度もこうなっている。
何度も見逃されている。
そしてその日の夕方。
美月は春子の過去記録を遡る。
酸素飽和度88%。
三か月前。
90%。
二か月前。
89%。
一か月前。
88%。
しかし記録欄には。
【様子観察】
【経過観察】
【異常なし】
異常なし。
異常なし。
異常なし。
美月は愕然とする。
春子は突然悪くなったんじゃない。
少しずつ。
何か月もかけて。
悪くなっていた。
そして誰も、
それを問題にできなかった。
なぜなら。
問題にした瞬間、
対応する人間が必要になるから。




