第16話 【見ない選択】
栄養補助ゼリー。
未開封。
十数本。
引き出しの奥。
綺麗に積まれていた。
美月は動けなかった。
家族からの差し入れ。
記録上は摂取済み。
しかし現実は違う。
その日の夕方。
美月は大森を探した。
事務所。
誰もいない。
裏口近くの喫煙所。
大森がいた。
電子タバコを吸っている。
珍しい光景だった。
施設内で大森は弱みを見せない。
「主任。」
大森は振り返る。
「どうしたの。」
美月はゼリーを差し出した。
「春子さんの部屋です。」
沈黙。
大森の顔色は変わらない。
しかし否定もしない。
「記録には飲んだって。」
「・・・。」
「飲んでませんでした。」
風が吹く。
大森は電子タバコを灰皿へ置いた。
そして。
「ごめん。」
美月は固まった。
言い訳が来ると思っていた。
否定されると思っていた。
だが違った。
「私が書いた。」
「どうしてですか。」
大森は空を見上げる。
「時間がなかった。」
「・・・。」
「それだけ。」
美月は納得できない。
「でも栄養が・・・」
「分かってる。」
「家族は・・・」
「分かってる。」
「じゃあ、なんで!!」
初めて声を荒げた。
大森は静かだった。
「昼の食事介助。」
「え?」
「春子さんに四十分かける。」
「・・・。」
「山本さんが立ち上がる。」
「・・・。」
「別の利用者が転倒する。」
「・・・。」
「職員が呼ばれる。」
「・・・。」
「私はどっちを見る?」
美月は答えられない。
「春子さんか。」
「転倒しそうな利用者か。」
「どっち?」
沈黙。
答えはない。
大森も知っている。
どちらも正しい。
どちらかを捨てなければならないだけだ。
その夜。
榊は大森の過去資料を読んでいた。
十五年前。
入職。
新人介護士。
事故報告提出数。
年間三十二件。
施設トップ。
改善提案。
十五件。
研修参加。
多数。
榊は少し笑った。
美月と同じだ。
いや。
もっと酷い。
当時の大森は、
山下よりも美月よりも面倒な職員だった。
さらに資料をめくる。
十年前。
改善提案。
八件。
五年前。
二件。
現在。
ゼロ。
榊は資料を閉じた。
人が変わったのではない。
削られたのだ。
少しずつ。
何年もかけて。
翌朝。
美月は春子の家族からの手紙を見つける。
施設宛て。
『母をよろしくお願いします』
『私は遠方で頻繁に行けません』
『皆様のおかげで安心して仕事ができます』
『本当にありがとうございます』
美月は読み終える。
胸が痛い。
誰も騙そうとしていない。
大森も。
施設長も。
本気で頑張っている。
だが。
結果として、
家族は本当の状態を知らない。
その時だった。
施設長室から怒鳴り声が聞こえる。
「また退職です!」
事務長の声。
「今度は誰だ。」
「西田さんです。」
静寂。
勤続十八年。
施設の生き字引。
その西田が辞める。
佐久間施設長は椅子へ座り込む。
「終わったな・・・」
誰にも聞こえない声だった。
その光景を見た榊は、
初めてこの施設の未来を想像した。
もし西田が辞めれば。
現場はさらに回らなくなる。
春子のような利用者は増える。
第二の田中義雄も生まれる。
そして。
その犠牲者は、
まだ誰も数えていない。




