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第14話 【手のかからない人】


午後三時。


グリーンヒルズなごみ。


食堂。


利用者たちがテレビを見ていた。


その中に、


小林春子がいた。


九十一歳。


要介護五。


寝たきり。


発語ほぼなし。


家族面会月一回。


ナースコールなし。


暴言なし。


徘徊なし。


転倒なし。


大森は介護士へ言う。


「春子さん終わった?」


「終わりました。」


食事介助。


口腔ケア。


オムツ交換。


すべて終了。


所要時間。


十五分。


大森は頷く。


一方。


向かいの席。


八十三歳の山本清。


認知症。


大声。


徘徊。


拒否。


暴力。


昼食だけで四十分。


職員二人が付きっきりだった。


美月はふと気付く。


「なんか変ですよね。」


「何が?」


「春子さん。」


大森が見る。


春子は天井を見ている。


まばたきだけ。


「最近元気ない気がして。」


大森はカルテを確認する。


体温正常。


血圧正常。


酸素正常。


記録。


【異常なし】


【異常なし】


【異常なし】


「問題ないでしょ。」


そう言って仕事へ戻る。


しかし。


美月は引っかかっていた。


翌日。


体重測定。


春子の体重。


三十八キロ。


先月。


四十一キロ。


その前。


四十三キロ。


また減っている。


美月は眉をひそめる。


記録を確認する。


食事摂取量。


毎日八割。


毎日八割。


毎日八割。


おかしい。


三か月で五キロ減る人の記録じゃない。


夕方。


美月は春子の食事介助へ入る。


スプーンを口へ運ぶ。


春子は飲み込まない。


口の中に残る。


さらに次の一口。


また残る。


そして。


口腔内には食塊が溜まっていた。


美月は息を飲む。


これ。


八割も食べていない。


その夜。


記録を遡る。


介助者。


日によって違う。


だが。


記録は全員同じ。


【摂取量八割】


【異常なし】


【異常なし】


【異常なし】


美月は理解する。


誰も嘘をつこうとしているわけじゃない。


ただ。


忙しい。


忙しすぎる。


だから。


見ていない。


見ていないのに、


いつもの数字を書く。


それが日常になっている。


翌朝。


職員会議。


美月は勇気を出した。


「小林春子さんですが。」


会議室が静かになる。


「栄養状態が悪化しています。」


「摂取量の再評価が必要だと思います。」


沈黙。


やがて西田が口を開く。


「今さらか。」


「え?」


「みんな知ってる。」


美月は言葉を失う。


知っている。


みんな知っている?


「じゃあなぜ・・・」


西田は苦笑した。


「誰が見るんだ。」


「・・・。」


「昼は戦場だぞ。」


「・・・。」


「山本さん対応して。」


「コール対応して。」


「トイレ介助して。」


「転倒対応して。」


「その上で一時間かけて春子さん食べさせるのか?」


誰も答えない。


答えられない。


その時だった。


会議の最後。


榊が初めて口を開く。


「つまり。」


全員の視線が集まる。


「手のかかる利用者は職員の時間を奪う。」


「・・・。」


「手のかからない利用者は後回しになる。」


誰も否定しない。


できない。


それが現実だからだ。


榊は窓の外を見る。


田中義雄は死んだ。


しかし。


もしかすると。


本当に危険なのは、


暴れる利用者ではない。


静かな利用者かもしれない。


誰にも気付かれず。


誰にも問題視されず。


少しずつ衰弱していく。


そして。


その日の夜。


美月は春子の家族へ送られた月次報告書を見つける。


そこにはこう書かれていた。


【食事摂取良好】


【状態安定】


【大きな変化なし】


美月は凍りつく。


これを家族が信じているなら。


春子は、


誰にも助けを求められない。


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