第12話 【引き継がれるもの】
翌朝。
佐藤美月は眠れなかった。
ロッカーに入っていた紙。
【山下明美の二の舞になりたいのか?】
誰が入れたのか分からない。
だが。
不思議と恐怖はなかった。
代わりに違和感があった。
もし本当に黙らせたいなら、
もっと直接的な方法がある。
呼び出し。
人事面談。
配置転換。
なのに紙一枚。
どこか警告のようだった。
昼休み。
職員食堂。
美月は珍しくベテラン介護士の西田と同席した。
勤続十八年。
なごみで最も長く働く職員の一人。
普段は寡黙。
余計なことを言わない。
そんな人だった。
「西田さん。」
「ん?」
「五年前の事故って知ってますか。」
箸が止まる。
数秒。
「知ってる。」
「どんな事故だったんですか。」
西田は味噌汁を飲む。
そして小さく言った。
「誰も悪くなかった。」
美月は聞き返す。
「それなのに訴訟になった。」
「・・・。」
「家族も悪くなかった。」
「施設も悪くなかった。」
「でも人が死んだ。」
介護施設では珍しい話ではない。
転倒。
骨折。
肺炎。
誤嚥。
高齢者は亡くなる。
しかし家族は受け入れられない。
それもまた当然だった。
西田は続ける。
「事故の後な。」
「会議ばかりになった。」
「報告書も。」
「始末書も。」
「再発防止も。」
「毎日。」
「毎日だ。」
美月は黙る。
「仕事が増えた。」
「人は減った。」
「現場はもっと苦しくなった。」
「・・・。」
「だからみんな思ったんだ。」
西田は苦笑した。
「事故を起こさないことより。」
「事故を問題にしない方が大事だって。」
その言葉に、
美月は背筋が寒くなる。
悪意じゃない。
諦めだ。
その日の夕方。
榊は施設の古い議事録を読んでいた。
事故直後。
職員会議。
そこには今では考えられない言葉が並んでいた。
【インシデント報告件数増加】
【事故報告提出率向上】
【問題の可視化】
理想的だった。
だが。
半年後。
【報告書作成負担増大】
【現場疲弊】
【残業増加】
一年後。
【軽微事案は口頭報告へ変更】
二年後。
【フロア判断で対応】
三年後。
【記録簡素化】
四年後。
【異常なし】
【異常なし】
【異常なし】
榊はファイルを閉じた。
誰かが命令したわけじゃない。
現場が生き残るために、
少しずつ削っていった。
その結果。
本来残るべき記録まで消えた。
その夜。
大森は残業していた。
誰もいない事務所。
パソコン画面には職員配置表。
空欄だらけ。
退職予定者。
二名。
育休。
一名。
病休。
一名。
求人応募。
ゼロ。
大森は頭を抱える。
「もう無理だ・・・」
思わず漏れた本音。
その時。
施設長の佐久間が入ってくる。
「まだいたのか。」
「帰れませんよ。」
大森は笑う。
力のない笑いだった。
「施設長。」
「なんだ。」
「私たち間違ってますか。」
佐久間は答えなかった。
しばらく沈黙し。
「分からん。」
そう言った。
「でもな。」
「施設を潰すわけにはいかない。」
その言葉に、
大森は何も返せなかった。
一方その頃。
美月は山下明美の内部通報記録を読み返していた。
そこで初めて気付く。
通報内容の最後の一文。
今まで見落としていた箇所。
【なお、本件に関与した職員を処分することが目的ではない】
【人員不足に起因する構造的問題である】
美月は息を飲む。
山下も分かっていた。
犯人探しではない。
問題は、
人だったのではなく。
この施設そのものだった。




