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その夜、クラゲが光った ——水族館飼育員の娘が父の冤罪を晴すまで  作者: 一条信輝


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24話 記者会見

 記者会見は、釈放から五日後の火曜日に行われた。

 水族館の二階、会議室。あの夜、窓が開いていて森川の声が降りてきた場所。今日は窓が閉まっていた。エアコンは直っていた。九月末、修理の予算がようやく通ったのだ。

 長机が前に置かれ、パイプ椅子が三十脚並んでいた。地方紙の記者が五人。テレビ局が一社。全国紙の支局から一人。小さな水族館の事件にしては、多い方だった。「冤罪」「12歳の娘が父の無実を証明」という見出しが先に出ていたからだ。美月はその記事を読んでいなかった。読む必要がなかった。事実は全部、自分のノートに書いてある。

 会見には美月は出なかった。本多弁護士と相談して、未成年者の露出は避けることにした。会議室の隣の小部屋で、佐藤と一緒にドアの隙間から見ていた。

 机の前に三人が座った。大野館長。父。本多弁護士。

 大野が最初に話した。白髪交じりの頭を下げて、「当館の管理体制の不備により、多大なるご迷惑をおかけしました」と言った。声は落ち着いていたが、手が震えていた。ぬるい緑茶を淹れる手が、マイクの前では別の手に見えた。

 本多が事件の経緯を説明した。法的な用語を交えながら、簡潔に。密輸の概要、冤罪の経緯、証拠の再検証による釈放。森川の名前が出るたびに、記者のペンが走った。

 父の番が来た。

 雄一はマイクの前に座ったまま、三秒ほど黙っていた。メモは持っていなかった。本多が用意した原稿も断ったと、佐藤が教えてくれた。「自分の言葉で話す」と言ったらしい。

「白石雄一です。飼育課長をしております」

 声は低かったが、通った。美月は隣の部屋で、その声を聞いていた。

「今回の件で、ご心配をおかけしました。私は四十日間、ここにいませんでした。その間、スタッフが水族館を守ってくれました。クラゲは一匹も死にませんでした。まず、そのことに感謝します」

 記者が一人、手を挙げた。

「白石さん。冤罪について、警察への怒りはありますか」

 父が少し間を置いた。

「怒りはあります。ただ、警察は状況証拠に基づいて判断しました。その証拠が意図的に作られたものだったことは、後からわかったことです。私を疑った人間を責めるつもりはありません」

「では、森川元副館長に対しては」

「森川さんのことは、裁判の場で明らかになると思います。私が今ここで言うべきことではありません」

 記者が食い下がった。

「お嬢さんが無実の証明に大きな役割を果たしたと聞いていますが」

「娘のことは、伏せてください。未成年です」

「一言だけ、お嬢さんについて何か」

 父が黙った。五秒。美月はドアの隙間から、父の横顔を見ていた。

「娘は——クラゲの観察記録を、毎日取っていました。夏休みの自由研究として始めたものです」

 父がまっすぐ前を向いた。

「クラゲは正直な生き物です。環境が変われば、光が変わる。嘘をつけない。ごまかせない。娘はその光を、一日も欠かさず記録しました。五十三日間」

 会議室が静かになった。ペンの音が止まった。

「記録は事実です。事実は消えません。誰かが光に嘘を混ぜても、記録が残っていれば、嘘は見つかる。娘はそれを証明しました。私が証明したのではありません。クラゲと、娘のノートが証明しました」

 別の記者が手を挙げた。

「水族館の今後について、何かお考えは」

 父が大野の方をちらりと見た。大野が頷いた。

「私は飼育員です。経営のことは館長にお任せします。ただ、一つだけ」

 父がまっすぐ前を向いた。カメラのフラッシュが光った。父は瞬きもしなかった。

「この水族館にはクラゲがいます。光るクラゲです。その光は、人が作ったものではありません。クラゲ自身の生命活動です。見に来てくれた子どもたちに、それだけは伝えたい。光は作るものじゃなくて、見るものだということを」

 会見が終わった。

 美月はドアの隙間から手を離した。佐藤の方を見なかった。見たら泣いてしまう気がした。

 佐藤は缶コーヒーを持っていなかった。代わりに、腕を組んで壁にもたれていた。目が赤かった。何も言わなかった。


   *


 会見が終わった後、記者たちが帰っていった。大野が会議室の片付けを始めた。パイプ椅子を一脚ずつ畳んでいる。誰にも手伝わせなかった。自分の手で片付けたかったのだろう。

 美月と父は展示ホールに降りた。閉館後の静かな時間。水槽の前のベンチに並んで座った。いつもの場所。

「お父さん。原稿なしで話したの」

「ああ」

「緊張した?」

「した。お前の前で話すのが一番緊張した」

「見てるの気づいてないと思ってた」

「ドアの隙間が開いてたぞ。佐藤の靴が見えた」

 美月は少し笑った。父も少し笑った。

 水槽の中で、オワンクラゲが泳いでいた。LUNA照明の点灯時刻まであと三十分。今日は自動プログラムの日だ。二十時三十分きっかりに紫外線が照射される。そこからおよそ三分で最初の一匹が光る。いつもの時間。いつもの光。

 正面玄関の方で、ドアが開く音がした。閉館後のはずだった。

 佐藤の声が聞こえた。誰かと話している。女性の声だった。

 足音が展示ホールに近づいてきた。佐藤が先に現れた。後ろに、女性が一人いた。

 四十代くらい。地味な服。手に紙袋を持っていた。顔に疲れが滲んでいたが、目は逸らさなかった。まっすぐ父を見ていた。

 佐藤が言った。

「主任。山田さんの奥さんだ」

 父が立ち上がった。美月も立ち上がった。

 山田の妻は、父の前で頭を下げた。深く。長く。

「夫が、ご迷惑をおかけしました」

 父は何も言わなかった。何と言えばいいのか、わからなかったのだろう。美月にもわからなかった。

 山田の妻が顔を上げた。目が潤んでいた。それから、美月の方を見た。

「美月さん——ですか」

「……はい」

「夫から聞きました。クラゲの光で、全部わかったって」

 美月は頷いた。

 山田の妻が紙袋を差し出した。中身は見えなかった。

「お見舞いのつもりで——何を持ってきたらいいかわからなくて。こんなものしか」

 父が紙袋を受け取った。中を見た。果物だった。梨が四つ、丁寧に新聞紙で包まれていた。

 加害者の妻が、被害者の家族に、梨を持ってきた。

 山田の妻が水槽を見た。オワンクラゲが泳いでいる。まだ光っていない。

「綺麗ですね」

「……はい」

「夫は馬鹿なことをしました。でも、この生き物は何も悪くない」

 父が静かに言った。

「山田さんも、最初から悪い人だったわけじゃないと思います」

 山田の妻が目を伏せた。唇が震えていた。何か言いたそうだったが、言葉にならなかった。頭を下げて、展示ホールを出ていった。

 足音が遠ざかって、正面玄関のドアが閉まった。

 美月は父の隣に立ったまま、水槽を見ていた。何が正しいのか、わからなかった。森川は悪い人なのか。山田は悪い人なのか。二千八百万円の帳簿の裏に、フィルターの交換部品や養育費があったことを、美月は知っている。

 善と悪は、ノートに書けるほど単純ではなかった。

 でも、梨は四つあった。家族の人数分だけ持ってきたのだろう。美月と父の二人分と、もう二つ。もう二つが誰の分なのかはわからなかったが、山田の妻が数を数えて買ってきたことだけは確かだった。

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