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その夜、クラゲが光った ——水族館飼育員の娘が父の冤罪を晴すまで  作者: 一条信輝


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18話 時間の地図

 本多弁護士の助言は、二つあった。

 一つ目。記録に日時と署名を入れること。「誰が、いつ書いたかが明確なデータでなければ、証拠として扱われにくい」。美月はその日からノートの各ページに日付と自分のイニシャルを入れるようにした。

 二つ目。事件当夜のタイムラインを再構成すること。「誰が何時にどこにいたかを整理すれば、矛盾が見えてくるはずです」。

 美月は週末を使って、それを作った。


   *


 ノートの見開き二ページを使った。

 横軸は時間。十九時から翌朝六時半まで。縦軸は人物。雄一、森川、大野、佐藤、田中、山田。六人分の行が並んでいる。各人物を色分けした。雄一は青。森川は赤。大野は緑。佐藤はオレンジ。田中は紫。山田は黒。

 それぞれの行に、わかっている情報を書き込んでいった。


 雄一(青)。十九時、美月と帰宅(自転車)。二十時過ぎ、水槽の夜間点検のため一人で水族館に戻る。二十二時十五分、正面玄関を施錠して退館。翌六時半、出勤して異変を発見。

 森川(赤)。退館時刻の記録なし。事件当夜の行動について、警察への供述は「二十時頃に退館した」。

 大野(緑)。十九時三十分に退館。出勤簿の記録あり。

 佐藤オレンジ。十九時十五分に退館。当日は早番。

 田中(紫)。十九時に退館。定時。

 山田(黒)。来館時刻不明。バックヤードで発見されたのは翌朝六時半。襲われた推定時刻は二十二時頃。


 美月はタイムラインを見つめた。

 問題は二十時から二十二時十五分の間だ。この時間帯に館内にいたことが確認できるのは、雄一だけ。雄一は施錠を認めている。しかし、雄一が二十二時十五分に施錠した後にも、鍵を持つ人間なら入館できる。

 鍵の保有者は三人。館長の大野、副館長の森川、飼育課長の雄一。大野は十九時半に退館している。森川は「二十時頃退館」と供述しているが、記録はない。

 ——森川が二十時以降も館内にいた可能性。

 あるいは、一度退館してから戻った可能性。

 美月はペンを置いて、タイムラインの森川の行を見た。赤い線が、二十時で途切れている。この空白が、すべてだ。雄一の行動は青い線で細かく記録されている。森川の行動は、二十時以降が空白。

 記録がある人間が疑われ、記録がない人間が疑われない。

 美月はその不公平さに、唇を噛んだ。


   *


 月曜日の放課後。水族館。

 佐藤に頼んで、館内の設備ログを見せてもらった。空調の運転記録、展示ホールの照明プログラム、防犯カメラの記録——防犯カメラは正面玄関と駐車場にしかなく、バックヤードには設置されていない。これも、森川が侵入ルートとして裏手を選んだ理由の一つだろう。

 美月は一つずつ確認していった。空調は二十二時に自動停止する。照明は二十一時に展示ホールが消灯。防犯カメラの映像は警察が押収済み。

「他にログが残る設備はありますか」

「ログ? そうだな——」佐藤が顎を触った。「自動清掃ロボットがあるな」

「清掃ロボット?」

「展示ホールの床を掃除する奴。閉館後に自動で動く。センサーで障害物を避けるんだが、記録が残る」

「どんな記録ですか」

「走行ルート、開始・終了時刻、あと——障害物検知のログ。何かにぶつかりそうになると止まって記録するんだ。『何時に、どのエリアで、障害物を検知した』って」

 美月の目が変わった。

「それ、見せてもらえますか」

 佐藤がパソコンを操作した。清掃ロボットの管理ソフトを開く。事件当日の日付を選択。ログが表示された。

 清掃ロボットは二十時に起動。展示ホールの南端から巡回を開始。二十時十一分、第一水槽前を通過。二十時二十一分、第二水槽前を通過。

 二十時二十九分。第三水槽前。「障害物検知」。

 美月は画面に顔を近づけた。

「何を検知したんですか」

「人だろうな。足とか、鞄とか」

「第三水槽の前って、私がいつもいるベンチの場所ですよね」

「そうだ。ベンチの脚に反応することもあるが、ベンチは固定物として登録してあるから、通常は検知しない。検知したなら、ベンチの近くに何か別のものがあったということだ」

 美月はタイムラインに目を戻した。雄一の行。「二十時過ぎ、夜間点検のため水族館に戻る」。

「お父さんは、夜間点検のとき展示ホールを通りますか」

「通る。バックヤードに行く前に、展示水槽を目視で確認する。主任のルーティンだ」

「第三水槽の前で立ち止まりますか」

「いつも止まる。一番長く見る水槽だからな。オワンクラゲの状態を確認して、それからバックヤードに入る」

 美月はノートに書いた。手が震えなかった。


 「20:29、清掃ロボットが第三水槽前で障害物検知。→お父さんが展示ホールにいた証拠。お父さんが20:29に展示ホールにいたなら、同時刻にバックヤードで山田を襲うことは不可能」


 佐藤が画面を覗き込んだ。

「……これ、アリバイになるのか」

「なります。清掃ロボットのログは自動記録です。改竄できない。二十時二十九分にお父さんが展示ホールにいたなら、バックヤードにはいなかった。山田さんが襲われた推定時刻の前に、お父さんは別の場所にいた」

「推定時刻は二十二時頃だ。二十時二十九分じゃ、まだ一時間半ある」

「それでも、お父さんがバックヤードではなく展示ホールにいたという記録は、お父さんの供述を裏付けます。『夜間点検のために戻った』という説明と一致する」

 佐藤が缶コーヒーを開けた。一口飲んで、ため息をついた。

「掃除ロボットに救われるとはな」

「救われてはいない。まだ足りない。でも、一歩前に進んだ」

 美月はタイムラインに青い印を追加した。二十時二十九分。展示ホール。障害物検知。

 雄一の青い線が、少しだけ長くなった。空白だった時間に、一つだけ点が打たれた。

 まだ、赤い線の空白の方がずっと大きい。でも、一つの点があるのとないのとでは、全然違う。

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