表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
その夜、クラゲが光った ——水族館飼育員の娘が父の冤罪を晴すまで  作者: 一条信輝


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

12/37

12話 犯罪者の娘

 夏休みが終わった。

 九月一日。始業式。美月は教室に入った瞬間、空気が変わるのを感じた。

 変わった、というよりも、止まった。それまでざわついていた教室が、美月の姿を認めた途端、一拍だけ静かになった。一拍の後、またざわめきが戻る。でもその中身が違っていた。美月に向けられた視線が、夏休み前とは別のものになっていた。

 席に着いた。隣の席の女子が、鞄を少しだけ自分の方に寄せた。小さな動き。気のせいかもしれない。気のせいだと思おうとした。

 一時間目が始まるまでの十分間に、誰も話しかけてこなかった。

 美月は元々、友達が多い方ではなかった。クラスで親しく話す相手は三人か四人。放課後に一緒に帰る子が一人。その子も、今朝は目が合うと逸らした。

 ——知ってるんだ。

 父の逮捕は地方紙に載った。名前は伏せられていたが、「市内の水族館」「飼育員の男」という表記で、知っている人間にはすぐにわかる。夏休みの間に、保護者のSNSか、子ども同士のLINEグループで広まったのだろう。

 二時間目の休み時間。廊下を歩いていたら、後ろで声がした。

「——あの子のお父さんでしょ」

「水族館の」

「逮捕されたって」

「やばくない?」

 振り返らなかった。足を止めなかった。

 四時間目の理科で、班に分かれて実験をした。美月の班は四人。普段なら役割分担を決めるときに「美月、記録やって」と言われる。美月はいつも記録係だった。記録が正確だからだ。

 今日は誰も言わなかった。三人が黙って準備を始めて、美月は何をすればいいのかわからないまま立っていた。結局、使い終わったビーカーを洗った。それが、いつの間にか美月の役割になっていた。

 トイレの個室に入って、鍵をかけた。便座の蓋に座って、膝を抱えた。

 泣かなかった。泣いたら、目が赤くなる。赤い目で教室に戻ったら、「泣いてた」と言われる。それは事実になってしまう。事実は記録される。記録されたら消せない。

 ——事実だけを見ろ。

 美月は目を閉じて、三つ数えた。立ち上がって、鍵を開けて、廊下に出た。


   *


 昼休み。

 美月は教室で弁当を食べていた。父がいないので弁当は自分で作った。昨夜の残りの卵焼きと、冷凍のコロッケと、白いご飯。母がいた頃はキャラ弁だった。父になってから白飯と焼き魚になった。今は白飯と冷凍食品だ。段階的に質が落ちている。そのことが、少しだけおかしかった。

 教室の端で一人で食べていると、椅子を引く音がした。

「よう」

 健太が、自分の弁当を持って隣に座った。

「隣いい?」

「いいけど」

「いいけどじゃなくて、ありがとうだろ」

「……ありがとう」

 健太は弁当を開けた。美月のより明らかに豪華だった。肉巻きと海老フライとポテトサラダ。健太の母親は料理が上手い。

「あのオヤジがそんなことするわけないじゃん」

 唐突に言った。声は小さくなかった。周囲に聞こえる音量だった。

「健太」

「なんだよ」

「声でかい」

「聞こえた方がいいんだよ。あのオヤジが人を殴るような人間じゃないことは、夏休みに水族館に行った奴ならわかるはずだ。クラゲ相手に『今日は調子いいな』って話しかけてる人間だぞ」

 美月は箸を止めた。

「……聞いてたの」

「聞こえたんだよ。閉館後にお前と帰る準備してたとき、お前のオヤジが水槽に向かって独り言言ってた。『今日は調子いいな、光が綺麗だ』って」

 美月は知っていた。父がクラゲに話しかけることを。毎晩見ていた。でも、他の人もそれを見ていたということが、少しだけ嬉しかった。

「ありがとう」

「だから、ありがとうは俺に言うんじゃなくてだな——」

「いいから食べて。海老フライ冷める」

 健太が海老フライを噛んだ。美月は冷凍コロッケを食べた。おいしくはなかった。でも、隣に誰かがいるだけで、味は少しだけましになった。


   *


 放課後。佐藤の車で水族館に寄った。

 休館が続いていたが、生き物の世話は止められない。佐藤と若手の飼育スタッフ二人が、雄一の代わりに水槽を管理していた。

 佐藤に頼んで、父のロッカーを開けてもらった。

「何探してるんだ」

「お父さんの作業メモ。水質管理の記録があるはず」

 ロッカーの中は整然としていた。作業着が二着。長靴。タオル。棚の上に、クリアファイルが三つ。水質検査の記録、飼育マニュアル、業者の納品書控え。

 業者の納品書控えを開いた。

 試薬の納品リストが時系列で綴じてある。pH試薬、溶存酸素計のセンサー、塩化ナトリウム。どれも通常の水質管理に使うものだ。

 最後のページの手前で、手が止まった。

 セレンテラジンの納品書。五月と七月、二回。「Ca²⁺調整済」と赤字でスタンプが押してある。

 美月はその文字を見つめた。

 セレンテラジンは、オワンクラゲの発光に関わる物質だ。カルシウムイオンと結合すると発光反応が起きる。父が以前説明してくれた。「クラゲの光は、二つの段階がある。まずGFPが紫外線で励起する。それとは別に、セレンテラジンがカルシウムイオンに反応して光る。二つの光が合わさって、あの緑色になるんだ」。

 Ca²⁺調整済。カルシウムイオン濃度を調整した上で納品されたセレンテラジン。

 普通の飼育には使う。研究用途にも使う。問題はない。

 でも、美月の頭の中で、別の回路が繋がった。

 小さなずれ。早い方向のずれ。照明では説明がつかないずれ。水質が変化したとき——カルシウムイオン濃度が変わったとき——発光パターンが変わる。

 もし。

 もし誰かが、夜間にカルシウムイオン濃度を変えていたら。

 ノートを開いた。白紙のページ。三十八日目以降、何も書けなかった空白の先。

 美月はペンを取って、ページの上部に四文字書いた。


 「証明計画」


 その下に、最初の一行を書き始めた。


 「①お父さんのノートとわたしのノートを照合する」


 手が震えていた。でも、字は震えなかった。ノートの上では、いつも事実だけを書く。事実は震えない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ