第三十七話【一縷の薔薇が散り行く時】(一)
それは今まで見た事ないぐらいの眩い光だった。
太陽の灼熱の光を思い出させるそれが、明日香の手の中から溢れ出す。
全ての闇を飲み込もうと言わんばかりに光が、アリダを、明日香を照らしていた。
アリダの悲痛な叫び声が響く。
しかしどうにかして明日香の身体を取り込もうとしたのか、複数の茨の鋭利なつるが明日香の腕に、肩に刺さった。
鋭い痛みが明日香の全身を駆け巡る。
しかし明日香は痛みで顔を歪ませつつもアリダの胸から手を離さず、逆にアリダから離れんと言わんばかりに抱きついた。
「くそっ、なぜだ! なぜお前の身体が手に入らない!?」
アリダが苦しそうに叫ぶが、明日香は動じない。
それどころか逆に取り込もうと言わんばかりに水晶をアリダの胸にめり込ませた。
「お前は私の物だ! 大人しくその身体を私に渡せ!」
自分勝手なアリダの叫びに、明日香は静かに答えた。
「違う……あなたが私の中に戻るの……!」
諭すように、しかし有無を言わせないように力強く、明日香は言葉を続ける。
「これは元々、私の中にあったものだ……私の中に戻るべきなんだ……!」
アリダの服の胸元がはだけ、隠されていた核である黒い結晶で出来た薔薇があらわになる。ディオの胸にあった物と似たそれが水晶に触れ、ピシリと短い音を立てた。
「私は、あなたの物じゃない……あなたが、私の物なんだ!」
明日香が叫んだその時、一際強い光が明日香とアリダを包み込んだ。
明日香が作り出した光の繭から、眩い光が漏れ出す。
リリカとグラサイトがそれに気付いた時、二人の目が大きく見開かれた。
「アリダ様!!!」
取り乱したグラサイトが叫んだ次の瞬間、大きな衝撃が全身を走る。
恐る恐る下を見ると、自身の胸に大きな風穴が開き、薔薇の形をした黒い結晶の核がむき出しになっていた。
グラサイトが肩越しに振り向くと、バズーカを構えた杏の姿が目に入る。その銃口からは白い煙が細く出ていた。
ピシリ、ピシリと短く鋭い音がグラサイトの胸から鳴る。そして、黒い薔薇の結晶が砕け粉々になった破片が周囲に飛び、杏と和真に降りかかった。
─────
男は、仕事に追われていた。
デスクの上には山積みになった書類の山がいくつもあり、男の仕事をするスペースの大部分を占拠していた。
「はい、これ追加」
「え、でも……」
「なに、まさかこの程度の仕事もこなせないって言うの?」
彼の机の上に新たなファイルを積み重ねた男の同期が面倒くさそうに言い返すと、男は押し黙ってぶつぶつと何かを呟きながら仕事に戻った。
「お前ひでーな。今日中に終わらねえだろあの量」
「良いんだよあいつは。あれが終わってようやく給料分働いた事になるんだから。出来なかったらただの給料泥棒だろ」
男の様子を見ていた二人の同期の男が憐れみながらも嘲笑する。それを遠くで聞きながら男は黙ってペンを滑らせていた。
(良いんだこのぐらい……今週末の為に俺は生きてるんだ……)
男の鞄の財布の中には、最近テレビの露出も増えてきて人気急上昇のアイドルグループのライブチケットが入っていた。
そして待ちに待った週末の修業終わり間近、任された仕事を全て終えた男の机の上に置かれたのは、山積みにされた分厚いファイルだった。
「……え?」
「わりぃわりぃ、これ来週の月曜までにまとめておかなきゃならない資料でさ。代わりにやっといてくれない?」
呆然とする男に対して悪びれてなさそうな声が降りかかる。今からこの仕事に取り掛かれば確実にライブは愚か、終電すら間に合わない。しかもこの案件は男の担当では無い。
「でも、今日の夜は予定が……」
「あ? お前がこの間ミスった案件、俺が尻拭いしてやっただろ。あれに比べたらこのぐらいどうってことねえよな?」
高圧的な態度に、男は萎縮する。
ふらふらの状態でどうにか終えた仕事の中に致命的なミスがあり、それのリカバリーをよりにもよってこの同期の男が引き受けたのだ。
反論する材料が男には無かった。もしかしたらあったのかもしれないが、今の男にはその材料を探し出す事も出来ない。
二人のやり取りを遠くから見ていた他の人間達が、男に助け舟を出すことはとうとう無かった。
消灯時間を過ぎビルの灯りが消える。
真っ暗になったビルの一角から、小さな蛍光灯の光が漏れていた。
男はペンを走らせ、パソコンのキーボードを叩いていた。キーボードを叩く音がカタカタと小さく響いている。
時計の秒針がカチカチと規則的な音を立てる。秒針が何度目かの十二の数字を通り過ぎた時、壁にかけてある時計から無機質な電子音が鳴り始めた。
その音を聞きながら男の意識が遠のいていく。
時計の短針と長針が十二の数字に重なった時、ぷつんと男の中で何かが弾け、そのまま机に突っ伏した。
休み明けの月曜日の朝、陽の光が照らし明るくなった室内に出社した社員が入る。
そしてとある机の上で男が突っ伏しているのを見つけた。
男の身体は揺すっても動かず、温もりもなく冷たかった。
ふわふわとしながらあてもなくふらついていた時、一人の少女が現れた。
「これ、よかったらあげる」
少女の差し出した黒い塊に触れた時、何かが流れてきた。
『パパとママは悪くない』
『だけどパパとママのせいだと思ってしまう』
『そう考えてしまうのは嫌だ』
『誰のせいにもしたくない』
誰かの悲痛な思いに触れ、少しだけ心地よい気持ちがした。
もう少し他人のせいにしても良かったなと後悔もしたが、そんな思いは目の前の少女を見てたらどこかに消え去ってしまっていた。
「いっしょにきてくれる?」
差し出された少女の手を撮る。
誰かに頼られたのは久しぶりで、その感覚は心地よい物だった。
─────
頭の中に流れてきた映像に、和真は何とも言えない気持ちになる。グラサイトにバズーカを放つ際に杏から受け取ったロストファクターの子どもを抱き抱えたまま、和真はその場に座り込んでいた。
杏が表情を変えずにまっすぐ前に進む。立ち止まった時そこに居たのは、くたびれたスーツを着た血色の悪い男だった。
「……正常な判断が出来なくなっていたんだな」
同情とも取れる、事実を客観的に見た淡々とした杏の言葉に反応して、男が顔を上げた。
「生きる希望を突然奪われた気持ちが、貴様に分かるっていうのか……またそうやって奪っていくのか……」
「貴様の心情は正確に理解出来ない。だが、それに対する行動と判断は自分で決めるものだ」
杏の言葉が針のように今の男に突き刺さる。
黙り込む男に、杏は更に言葉を続けた。
「お前が死んだのは運が悪かった。ただそれだけだ。アリダに付け込まれたのも運が悪かったんだろう」
「違う。アリダ様は希望だった。死してなお光を照らしてくれたのがアリダ様だったんだ」
「そうか、だがその希望は間違っている。正解も何もあったものではないが、これだけは違うと言える」
言いながら、自分はどうだったかと杏は考える。
自分も兄を失い全ての重圧がのしかかっていっときの迷いで命を手放そうと考えた。それを救ってくれたのはそばに居た執事だった。
男には自分にとっての執事のような存在が居なかった。
つまり杏は運が良かった。男は運が悪かった。
それだけなのだ。
「与えてもらうだけでは何も変わらない。自分が変わる必要がある。今度は自分で考え、判断出来ると良いな」
「……ふっ、次があるとでも」
「願えばあるだろう。それを新たな一縷の希望にするんだな」
杏の言葉に、男は反論はしなかった。
そのまま静かに消える男を見ながら、杏は小さく呟いた。
「……私も、ああなっていたのかもしれないんだな」
その言葉を和真は静かに聞いていた。




