第三十二話【心の傷に向き合って】(二)
杏が突然消えたことにより、明日香は動揺していた。
無理もない。今までどんな状況でも敵なしだった杏が身を挺して自分を庇ったことにより、ロストの攻撃を受けて異空間に飛ばされたのだ。
自分のせいで杏が消えてしまった。このことが明日香の精神的にどれだけ影響を与えるかは言うまでもない。
「明日香!?」
その明日香の状況をリリカも見逃さなかった。
木の杖を再び構え赤い林檎を生み出し、それを明日香に目掛けて放つ。それが明日香に当たらぬよう誠司が林檎を狙って銃で撃とうとした時だった。
「くそっ! 邪魔すんじゃねえよ!」
ハンマーを振り上げる小人のロストを蹴り飛ばしながら誠司が放った銃弾が当たり、林檎が消える。そしてその林檎と同じ物が、誠司の前に突如現れた。
「は……?」
小人に妨害された時に林檎を飛ばす座標が狂ったのか、迫り来るそれを誠司は避けることが出来なかった。
紫色の煙が誠司に覆いかぶさり、辺りに充満する。
煙が消えたそこには、誠司が苦しそうに胸を抑えて倒れていた。
「誠司!?」
明日香が顔色を変えて叫ぶが、誠司がそれに答えることはなく、ガンブレードから手を離して苦しそうにはくはくと口を動かすだけだった。
どうにかして酸素を取り入れようとしている様だが、上手く呼吸が出来ないのかその顔はどんどん青ざめていく。
酸素不足で青ざめる顔とは裏腹に、顔の表面の皮膚は赤い斑点が浮かび上がり、ぼこぼこと歪な腫れが増えていった。
「が……は……げほ、ごほっ!?」
同じ腫れが浮き出る手で喉を押さえ、細く空気を取り込んでは激しく咳き込む。
そんな誠司の姿を見て明日香が顔色を変えたその時、無線機から興奮気味の声が聞こえてきた。
『出来ました! 解毒剤です! 誠司君の上から投下します!』
職員の声を聞き、助かったと明日香は安堵する。
そして突如、何も無い空間から小さな注射器の形をしたプラスチックの物体が現れた。それが速度を上げながら誠司の真下に落下していく。
しかしそれが誠司に届く寸前、小人が構えたシャベルで弾き飛ばし、注射器は弧を描いて誠司から遠く離れて行った。
遠くでカラカラと軽い物が転がる乾いた音が響く。
「あそこですね」
同時にリリカが杖を構え、解毒剤が投下された上空に何かを放つ。突然何も無い場所が爆発し、誠司の周りに細かい金属が飛び散った。
金属同士がぶつかり合うそれは、誠司にとっても明日香にとっても絶望の音だった。
「やりますねリリカ。こちらも少々手こずってるのでそちらは任せます」
グラサイトがカボチャのロストに杖を掲げながら明日香を見下ろして冷ややかに笑った。
解毒剤を取りに行こうと明日香は足を動かすが、ガラスの重りがくっ付いた足は鉛のように重く動かない。
誠司も息が出来ず、はくはくと岸に打ち上げられた魚のように酸素を必死で取り入れようとしていた。
弓の弦を引き光の矢を生み出し、震える手を叱咤しながら何とか解毒剤に焦点を定める。しかし矢を放とうとしたその時、バチッと眩い光が一瞬弾けて消えた。
呆然とする明日香の手元には、自身のコアである水晶が鈍く光っていた。
「こんな時に……っ!」
明日香は顔を歪ませながらコアを睨みつける。
握りしめて力を込めてみるが、コアから光が放たれることは無かった。
コアを握りしめたまま、明日香は腕の力を駆使して解毒剤の方へ向かおうとする。ガラスの塊が離れず鉛のように重くなった足を抱えながら進むその速度は、亀の歩行よりも遅かった。
(お願い……誠司を助けたいの……!)
何がなんでも誠司に解毒剤を投入しなければ。
そうしなければ誠司の命が危ない。
絶望に押しつぶされないよう一縷の望みに手を伸ばそうとする明日香に、再び小人がツルハシを掲げて飛びかかる。
そのツルハシが明日香に届き、誠司が声にならない叫び声をあげたその時だった。
カキンと金属がぶつかり合う音が細く高く響く。
それに小人がたじろいだ瞬間、明日香が腕を横薙ぎに払い、小人がツルハシと共に消えた。
誠司が呆然と明日香を見つめる中、明日香も自身の手の中を目を見開いて見つめる。
その手の中には、黒い杭が握られていた。
それはロストの身体に食い込まれた、ニードルにそっくりだった。
明日香は力無く笑った。
そうだ。私はロストファクターだ。
ロストファクターなんだから、ニードルを生み出すことが出来て当たり前なんだ。
自分がロストファクターだと明日香は自分で言ってたのに、いざニードルを生み出した事実が重くのしかかり胸の中に暗い物が充満していく。
今まで散々ロストに埋め込まれたこれを壊してきたのに、何故か今更ながらの恐怖心が明日香の胸の内から湧き上がり始めていた。それに答えるように、ニードルを持つ手も小刻みに震え始める。
しかし現実はそんな明日香を放っておいてはくれない。
小人のロストが総出で明日香に攻撃を仕掛けてくる。
ぎゅっとニードルを握りしめ、明日香は襲ってくるロストをそれで返り討ちにしていった。
返り討ちにされても尚、残りの小人が各々の武器を振り上げながら、明日香に向かって飛びかかって行く。それを弾き飛ばしながら、明日香は苦悩の表情を浮かべた。
違う。ニードルの使い方は、こうじゃない。
この使い方は間違ってると、明日香は理解していた。
『ザザッ……ザー……ぁす、か…………し、た……』
無線機から誠司のか細い声が流れる。
力を振り絞って出されたであろうその声を聞いて、明日香の口から乾いた笑いが漏れた。
誠司に解毒剤を届けられるかもしれない方法が、一つだけある。
成功する確率は限りなく低いが恐らくゼロではない。少なくとも使えない足を抱えたまま何も出来ないこの状況よりかは、遥かにマシな方法だと明日香は考えた。上手く行けば、この状況を打破することが出来るかもしれない。
「ごめん、誠司……」
明日香は耳元の無線機にコアを握りしめたまま手を伸ばし誠司に話しかけ、自嘲するように笑う。
約束したのに、自己犠牲はもうしないと約束したのに。
こんなすぐに破ることになるとは。
「必ず、助けるから……」
震える声で話し出す。誠司の声にならない雑音が聞こえてくるが、何と言ってるのか分からない。
誠司の言葉を無視するように、明日香は言葉を続けた。
「あとで私を、助けて欲しい……!」
乞うように言い切った次の瞬間、明日香はニードルを持った震える腕を勢いよく振りかざし、それを自身の胸に深く突き刺した。
包丁って色んな料理が出来る便利な道具ですが、同時に人を簡単に傷付けることが出来る恐ろしい一面を持っています。
普段なんの気もなく普通に使ってる道具の恐ろしさを改めて理解した時、自分は恐怖を覚えて上手く使いこなせないかもしれません。
明日香がニードルを持った時の心境は、この心理経験を元にしています。




