第二十九話【心の音を響かせて】(一)
そこはだだっ広い空間で、遠くが霞んでいた。
といっても何が見えるとかは特になく、青と群青が織り交ざった非現実的な空間だった。
「おお、また会ったのう娘」
戸惑いの表情を浮かべる美琴に、龍神が気さくに話しかける。その接し方は美琴が初めて出会った時と同じ温度だった。
「龍神様……なんで、」
どうしてここに居るのだろう。
当たり前の疑問を口にしようとして、しかし言葉が詰まる。決して話しずらい空気感や威圧感は感じられないのに、何故か美琴は言い淀んでしまった。
そんな美琴の心境を知ってか知らずか、龍神は特に気にしたそぶりも見せずに話し続ける。
「そりゃお主も少しだが我の力があるからだろう」
さもそれが当たり前かのように龍神が答えるが、美琴はその言葉の意図が読めず複雑な表情を龍神に向ける。
「力って……私に力はない。あなたの力を受け継いだのは、奏と……私のお姉ちゃんだけ……」
胸の当たりを手で掴み、美琴は下を向く。
確かに血縁だけなら美琴にも龍神の力が流れてると言えるだろうが、自分には奏や姉と違って目に見えて分かる力は持ってない。使えない力があると言われても、信ぴょう性は感じられなかった。
しかし龍神はその美琴の言葉を聞き、頭を左右に振った。
「それは娘よ、お主がまだ気付いておらぬだけじゃ」
「え……」
「お主にも我の力が流れておる。意識してみよ。さすればその力はお主の物になるであろう」
そう意味深な言葉を残し、龍神の周りを風がとぐろを巻く様に流れ出す。
その姿が隠されそうになり美琴が待ってと叫ぼうとしたその時だった。
「美琴」
美琴の背後から声がする。
少し高いその声は、子どものそれだった。
振り向くと、そこには小さな少女が立っていた。
つむじの位置で結ばれた長い髪が、僅かな空気の流れにそってなびいている。それは美琴がついこの間まで姿を模倣していた幼き日の姉そのものだった。
美琴よりも小さく、明日香の妹の沙夜よりも小さい姉がそこにはいた。
「お姉ちゃん……」
震える声で美琴は姉を呼ぶ。
名を口にした時胸の内から感情が溢れ出し、美琴の目から熱いものが込み上げた。
口を押さえ膝から崩れ落ちた美琴に、姉がそっと近付く。
「美琴……」
「……め、なさい……ごめん、お姉ちゃ……っ」
泣きながら謝罪を口にする美琴を前にして、姉は不思議そうに首を傾げた。それに気付いてないのか美琴はつっかえながらも言葉を続ける。
「私だけ……わた、しだけ、おおきくな、て……ごめんなさ……」
そこまで言った時、美琴の頬に温かく、柔らかな物が触れた。顔をあげると、姉が美琴の頬を優しく包み込んでいた。
「それは違うよ美琴。あたしが神様に頼んだの。美琴を助けて下さいって」
美琴より小さな姉が見下ろす形でふわりと笑い、美琴の言葉を否定した。それは優しい否定だった。
「だから、美琴は気にしなくていいの。美琴は、大きくなっていいんだよ」
優しい姉の言葉が、美琴を静かに包み込む。
自身の存在を肯定する声色で、美琴の目から更に大粒の涙が零れた。そんな彼女を見て姉がくすりと笑う。
「大丈夫だよ美琴。だってあたし達、二人で一人でしょ?」
姉の言葉の意図が少し読めず美琴が少しだけ首を傾げる。しかしさも当然のように言い切る姉の言葉には、力が感じられた。それは美琴を信じてる力だ。
姉が美琴と目線を合わせ、美琴の両手を小さな手で包み込む。
「あたし達は二人で一人。だから、あたしの力は美琴の力でもある」
美琴の手の中から暖かな光が溢れ出す。
姉が目をつぶり、祈るように光に触れた。
「感じて、美琴……大丈夫、美琴はひとりじゃない。あたしがそばに居るから……」
そして姉が静かに微笑みながら、光の中に包まれていった。
* * *
徐々に意識がはっきりとし、美琴の目がゆっくりと開く。綺麗な鈴の音が鳴り響き雨が滴るそこは、水の音と鈴の音が合わさり幻想的な音楽を奏でていた。
呼吸を奪っていた黒い煙は雨に流されたのか、雨と共に澄んだ空気が美琴を包み込んでいる。手とギアに付着した粘りのある液体もその雨が流してくれた様だ。
遠くで何かが弾ける発砲音が鳴り、それが美琴目掛けて飛んでくる。遠くから飛んでくるそれを目で捉えた時、美琴の目には止まって見えた。
目と鼻の先にまで来た弾丸を美琴は紙一重で避ける。遠くの木に当たった音を聞きながらもう二、三発飛んでくる音が聞こえる。それが当たる直前に鉄扇を前に出し防いだ時、当たった音が僅かに変わった気がした。
それが琴の一音に聞こえたような気がして美琴は訝しみながら前を向くと、雨の雫が一本の線のように見える。
琴の弦が並んでいるように見えたその時、僅かに何かが燃える匂いが鼻腔をくすぐり、炎の音が耳を捉えた。
どこからするのか辺りを見回すと、ルークとリゼットが頭を抱えてうずくまっている背後で、ロストがよろよろと立ち上がり火の玉を作り出そうとしていた。
奏を助けなきゃと美琴は身体を起こし、雨を鉄扇で一閃する。琴の穏やかな音が鳴り、線を描いていた雨が切れて無数の雨粒になって浮かび上がる。
それを美琴はくるりと回転して勢いをつけ鉄扇で吹き飛ばすと、雨粒が鳥のように水しぶきをあげて羽ばたき、美琴を捕らえていた鳥かごを壊して飛び出した。
《鵯乱舞》
雨粒が小さな鳥となり、それらが合わさり一羽の巨大な鳥となってロストに目掛けて飛んで行った。
小さな子供(中身大人)が大きな大人を諭す構図、好きです。




